第22話「かのんシャドウ其ノ九」
放課後、僕は帰宅する花音の十メートルくらい離れたところから見ていた。彼女の最寄り駅から出て、しばらく歩いているが、今のところストーカーらしき人影はない。
「ストーカーって本当にいるのか? 何かここまで見てきた感じ、いなさそうなんだが」
もう帰ってもいいだろうか。そんなことを思い始めた。
暗い住宅街には妹の姿以外に無い。長い直線の道なので隠れる所もそうない。こうしていると僕がストーカーと疑われそうだ。
流石にそうなったら洒落じゃすまない。花音からの証言はあるだろうが、そうなると僕らの関係性を話す必要が出てきそうだ。これでは何の意味もない。
誰からも見られていないことを祈りつつ、僕は足を進めた。
「あら? そこにいるのは有村君じゃない」
聞き覚えのある、嫌な声が考えうる限り最悪のタイミングで背後から聞こえた。
「四十万鹿乃……」
四十万鹿乃。クラスメイトだ。眼鏡に三つ編みの地味な風貌の女子。地味過ぎて声が聞こえても、どこにいるか目視するのに時間がかかった程だ。
「お前、何しに来た」
「何をって私の家はこっちの方向なのよ? むしろ私からしたら君が何をしに来たのかが気になるくらいだわ」
ここら辺には生徒の家は少ないと言っていたが、少ないと言うならば零ではないという意味か。いた生徒は間違いなく最悪の部類だが。
だが彼女の気持ちも分からんでもない。知っている男子が暗い路地でこそこそとしてたら不審に思うだろう。話しかけるかどうかは別として。
「僕は有栖川かのんの護衛だよ。見て分からねえか」
「ふむふむ。つまり絶賛ストーキング中という訳ね」
「西園さんみたいな嫌な返しはやめろよ」
「……私は本気で言ってるわ」
「もっと質が悪いだと?!」
僕と四十万鹿乃の間には一切の信頼関係は無い。僕も彼女を不審には思っている。だって彼女の家は違うところにあったはずだ。
「引っ越したのよ。高校に入ってからね」
「そうだったのか。だとしたら変に疑って悪いな」
「いいのよ」
あっさりと彼女はそう言った。
「お前は有栖川かのんのストーカーの正体を知ってるか?」
「今、私の目の前に」
「違う。そいつじゃない。僕が聞いてるのはこの一ヶ月、一週間スパンで切り替わる奴らの方だ」
一か月と一週間スパンは噂でも流れているので、四十万鹿乃も知っているだろう。彼女はそこまで考慮したうえで言った。
「知らないわ。私はストーカーの正体は知らない。でもいることだけは断言できるわ」
「断言? 見たことあるのか?」
「いえ、予想よ」
それは断言とは言わないだろう。だが、予想にしては妙に自信ありげなのも確かだ。元からこいつはよく分からない所があるので、こいつが断言するのなら、そうなのだろう。
少なくともこいつの中では。
「ねえ有村君」
四十万鹿乃は僕を見て言った。
「主人公に必要なものって何だと思う?」
「主人公に必要なもの……?」
そんなことを聞いてくる理由が分からなかった。主人公に必要なもの。主人公の条件。そんなものは僕がいつも自分には無いと思っているものだ。
「将来性だろ。主役にはそれなりの活躍が必要になるからな。将来性というか才能だな」
「つまり君は自分には将来性ないし才能があると」
「は? 何言ってるんだよ。僕は主役なんかじゃねえぞ」
「人は誰だって主役だよ。その人の人生のね」
「僕はその言葉は嫌いだ。何をしたって主役になれねえ奴だっているだろ」
僕なんかがその筆頭だ。
断言した僕を見て、四十万鹿乃は小声で何か言った。
「全く。君は本当に主人公だよ」
「……?」
そして満足そうに頷くと、そのまま通路を駅に向かって戻って行った。
「じゃあね。私、家こっちの方じゃないから」
「ああ。じゃあな」
「久々に君と話せて楽しかったよ。匠君」
「……」
家はこっちの方じゃない。
あいつは、四十万鹿乃は、僕をつけて来たのだ。僕と話をする為に。僕をストーカーしていたのだ。全くゾッとする。ミイラ取りがミイラになるとはこういうことか。
「そんなことに何の意味があるんだよ」
主人公。物語を先導し、物語を主導し、物語を終幕まで導く存在。そんなものには僕はなれない。そんなのは誰よりもお前が分かっていることだろ。鹿乃。
「……」
歩きながら話をしていたので、花音はまだ見失ってはいない。花音は一人で暗い夕暮れの道を歩いている。あんな感じで有名人が無防備に歩いていたら、ストーカーされるのも頷ける。有栖川かのんはそれだけの存在なのだから。
しかし腑に落ちない。アイドルとしてずっとやってきた彼女ならストーカーやパパラッチを巻くのだってお手の物なはずだ。あの母親が教えないはずがない。それが今更になってストーカー、それも同じ学校の人間相手にこうも後手に回っているのだ。同じ学校の人間と分かっているのなら話しかけに行ったっていいはずだ。少なくとも全く知らない不審者とは違うのだから。制服を着た他人の可能性があるのならば僕なんかをお供にすればいい訳だし。それをせずにストーカーを暴けなんて言うのはちょっとおかしい。
「……んー」
だがまあおかしいことなんて、あったっておかしくないだろう。そもそもストーカー自体おかしいのだから。
「んー?」
ストーカーは一か月前からいる。一週間スパンで入れ替わっている。今週のストーカーを含めて恐らく五人。うちの学校には有栖川かのんの大ファンが五人いる。人数の一致。
光と影。二面性。主役。脇役。ストーカーの影。
「……」
何か頭に素通りしていくものがあった気がしたが、すぐにどこかへ消えていった。そして花音の姿も消えていた。この道は一直線だ。少し緩やかなカーブをしているが、完全に視界から消えるなんてそれこそおかしい。
「くそっ! 完全に見過ごした!」
見てないうちにストーカーが現れたのか。もしくはこの道の中のどこかの家にストーカーの家があるのか。
とにかく僕は走り出した。ストーカーなんて何の冗談かと高を括っていたのだが、実際に目の当たりにすると、焦るものだ。いやストーカーを見たのではない。ストーカー被害と思われる光景を見ただけだ。
道の果てにも花音はいない。右か左かに曲がるT字路があり、花音のいる家は右だ。
だから僕は右に曲がろうとして、壁にぶつかった。
「のわっ……」
素っ頓狂な声を上げて、僕は地面にしりもちをつく。壁といったが、それはただの比喩で、実際の壁ではない。ただ壁の様に僕を待ち受けてはいたが。
見上げた僕の前には賽ノ目高校の男子がいた。肩幅が広く、身長も大きい。恐らく運動部か。
「お前が……」
ストーカーなのか、と聞こうとした僕にその壁の様な男子は言った。
「お前がストーカーだな。成敗してやる」
そして僕の胸ぐらをつかむ。一瞬呼吸が出来なくなり、僕は嘔吐いた。
地面から足が離れる。この男、身長が本当に高い。バスケ部かよ。
バスケ部?
「お前……榊信人か?」
僕を掴み上げるそいつは一瞬驚いた顔をした後、手から力を抜いて僕を落とした。またもや尻もちをつく。
「なんで俺の名前を知ってる? お前は誰だ?」
「僕は有村匠。一年、弓道部」
制服のズボンに付いた汚れを払いながら、僕は立ち上がった。
「有栖川かのんに頼まれて護衛をしてただけだ。僕は断じてストーカーなどではない」
急に胸倉掴まれた挙句、ストーカー呼ばわりされて少し気が立っていたのだろう。僕よりも背が高い、榊信人を見ても全然脅威には見えなかった。
僕の言葉に榊信人は激昂した。
「嘘を付くな!」
嘘を付くなだと? 僕は嘘など一切ついていないのだが。しかし榊信人が冗談を言っている様にも適当を言っている様にも見えない。
そして榊信人はこれまでの僕らの想定を覆す言葉を吐いた。
「俺が頼まれたんだ。かのんに。ストーカーがいるから助けてくれって」
「は?」
どういうことだ。花音は僕以外にも頼んでいたということか?
「一つ聞いていいか」
「ストーカーが何を聞くか」
「それは置いといてだ。お前はいつ有栖川かのんにストーカーの話を聞かされた」
この答えが僕の想定通りなら。多分、真実はそういうことなのだろう。
榊信人は言う。
「一週間前だ」
一週間前。一週間スパンで入れ替わるストーカー。
ああ、そうか。そういうことだったのか。ストーカーとは……。
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