第17話「かのんシャドウ其ノ四」
ファミリーレストランで食事を終えた僕らがマンションに戻ると、そばの陰から誰かがやって来るのが見えた。マンションの人だとしたら中にいないのはおかしい。鍵が無くて入れないのだろうかとも思ったがどうやら違うようだ。この場合の違うはそもそもこのマンションの住人ではないという意味だ。
「家にいないと思えば、女子と一緒にいたとは……」
オレンジ髪のサイドテール、愛嬌のある顔、僕よりも少し背が高いそいつは、今日何度も話題に出た人物だった。
「かのん……」
「や、久しぶり」
有栖川かのん。国民的アイドルだ。
こいつがここに来るの何て一切予想していなかった。
「お前何で来たんだよ」
「何でも何も私達の間柄なら別にいいじゃん」
確かにいいのかもしれないが、それにしても事前に連絡くらいは入れておいてほしいものだ。僕がいつ誰といるかなんて分からないのだから。
「悪いとは思ったけどさ、まさか友達がいるなんて知らなかったんだよ。驚いたよ」
「おいおい嫌な冗談だぜ。僕にだって友人の一人や二人はいるさ」
「冗談じゃなくて割とマジに驚いてたんだけど」
「そんな低いレベルで驚くなよ!」
全くもって僕を何だと思っているのだ。
「ていうか、その隣の人……」
かのんが僕の隣にいる西園さんを指差した。指差すなんて何と不遜なやつか、と思ったが、そういえば西園さんはさっきから一言も話していないことに気付いた。有栖川かのんのファンだと言っていた気がしたが。
「うおっ?!」
心配になり西園さんを見ると、そこには緊張か感動か、残像が残るくらいガタガタと震えている西園さんがいた。
「あああああああ有栖川かかかかかかのんちゃん」
西園さんが壊れた。いやまあファンらしいし、壊れるのも当然っちゃ当然か。当然か?
当然かもしれない。
僕には誰かのファンになるなんてそんな経験は無いし、今後もそんなことはないだろうが、どういう感情なのかは少し気になった。アイドルとして、偶像としての有栖川かのんに対して、西園遥はどんな感情を抱いているのか。それは人が人を好きになる感情なのか。それとも……
「かのん。この人は同じクラスで弓道部の西園遥さんだ。お前なんかよりずっと凄い人だからきっちり敬えよ」
「……その上から目線がムカつくんだよな。ま、一組の西園さんの凄さは私も知ってるし、わざわざ言われなくたって尊敬はしてるよ」
あの有栖川かのんが人に対して尊敬するとは。僕は夢でも見ているのだろうか。しかしまあ信奉する人物から尊敬すると言われるのは、さぞかし気分がいいだろうと思い、僕は西園さんの方を見た。
「だってよ西園さん。……」
「か、かのんちゃんが……私を尊敬? え、は、ふぇ、ま、待った待つのよ私。これは夢。夢のはず。でなければあのかのん様が私を尊敬するなんて……」
ガタガタと震えながら現実を拒否し続けていた。
ちょっと見ていられない。面白いので見ていたいが、見ていられない。
「西園さんが完全にバグっちまった」
「叩いたら治るんじゃない?」
「こんな往来で胸触ったら捕まるだろうが」
「往来じゃなくても捕まるって。つか普通触るなら肩とかから始まらない?」
それは盲点だった。バグっている彼女のどこを触るか考えたら、最初に浮かんだのが胸だった。しかし普段はあまり気にしないようにしていたが、ちゃんと見てみると西園さんの胸も結構大きい。ネットで巨乳だとか何とか騒がれるかのんと同じくらいじゃないか。
「かのん。お前って胸何カップだったっけ?」
「それは流石にさ、上手く言えないけど、とりあえず死んで」
「上手く言えない割に凄い具体的だな」
死んでの部分が結構本気だった。
「ネットでも見たら? ウィキに載ってると思うよ?」
自分の体格の情報がネットに載っているというのも、複雑な気分だと思う。僕はすぐにスマホを出して検索してみた。『有栖川かのん バストサイズ』と検索するとFカップと出てきた。
「Fもあったのか」
「口に出さないでよ恥ずかしい」
「ふむ……」
いかん。調べただけに気になってしまう。嫌でも有栖川かのんの胸部が視界に映る。ああヤバい。さっきから胸しか気にならなくなってきた。胸、胸、胸、胸。
「目がヤバいことになってるけど大丈夫?」
「ああ大丈夫じゃない」
「大丈夫じゃないのが当然みたいなこと言わないでよ」
「とりあえず西園さんの胸でも触って発散させるか」
そう言って僕は、反射的にごくごく当然の様に西園さんの胸に手を近付けていた。
「ちょ……何やって」
驚き阻止しようとする有栖川かのんだが僕の方が速い。僕は彼女の胸に対して下から這い寄る様に手を近付ける。
僕の両手が双丘に触れるか触れないかの辺りで、僕の体は何故か空中へと上がっていた。
「……?!」
気付けば僕の手は空を掴み、両足は完全に宙を舞う。顎のあたりに強烈な痛みを感じ、下を見ると西園さんがいた。彼女の脚の周りにはほこりが舞っていて、ああ蹴られたのだなと思うと僕は意識を手放した。
「う……うん?」
目を覚ますと、見知った天井があった。
というか、僕の部屋だ。
「何があった?」
まさか眠っていたのだろうか。眠い時の寝る前後の記憶は割と飛んでいるものだ。これもそれに似たようなものなのだろうと思ったが、時計が示す時間は20時になっていた。寝て起きたなら少なくとも一桁だろう。
「つまり僕は一日中寝ていた……」
とはならないだろう。そして冷静になって思い出してみると、僕の記憶にあるのは西園さんの大きな胸だった。胸を触った感動で気絶したとかが考えられよう。
……僕は触れたのだろうか。感触を覚えていないのだからきっと触れなかったのだろうが、しかしそうなると気絶した理由が分からない。
「まあ何でもいいか。西園さんに聞けば分かる話だ」
起き上がると僕はまだ制服を着ていた。ブレザーは脱がされていた。ネクタイはそもそも付けていないし、僕はブレザーの下はパーカーなのでまあそのままだろう。ブレザーは部屋のハンガーに綺麗に引っ掛かっていた。あんなところにハンガーがあったのかと思う程度には僕は自分の制服の扱いは雑なので、きっと西園さんだろう。
「感謝しなきゃな。何で寝かされていたのかは皆目見当もつかないが」
部屋を出て、リビングに向かう。その途中で僕は顔を洗って目を覚まそうと思い、洗面所の扉を開けた。
「……は?」
僕は脇役だ。何度でも言うが脇役だ。脇役とは脇にいるべきもので、物語の主軸に入るべきでは無いのだ。だから部屋を開けたら下着姿の女子がいるなんてそんな状況はまずあり得ない。それは主人公の仕事だからだ。
さて先に進む前に状況を整理しようじゃないか。整理は必要だ。混乱した状況では正確な語りも出来なくなるから。
僕の住む一室は洗面台の奥にお風呂があり、脱衣所と洗面台が同じ部屋にある。僕は一人で暮らしているので、本来ならば特に何の問題も起きないのだが。この時は異例だ。
まさかクラスメイトが風呂を借りてるなんて思うまい。
「……は?」
洗面所の扉を開けた僕が見たのは、下着姿の西園さんではない。下着姿なんてものじゃない。そこにいたのは一糸纏わぬ西園遥だった。彼女の神々しい肢体が、惜しげもなく僕の眼前に晒されている。
お風呂から出たばかりなのか、髪は湿っていてお湯が毛先から滴り落ちている。肌は赤らんでいて、とても瑞々しかった。
女性のそれも家族以外の女性の服の中なんて今まで一度も見たことが無い僕には少々いやとてもショックが強いが、僕はこの光景を目に焼き付けることにした。
濡れた金髪は素肌に張り付き、彼女の胸の膨らみを強調している。そしてその胸の膨らみの素晴らしさと言えば、言葉が見つからない程だ。服の上からでも分かる大きさだ。それが裸になっているのだからその全体像がよく見えた。申し訳程度に腕でガードしているが、もちろんほとんど見えていて中心部が見えないくらいでしかない。更にその腕で多少潰されていて胸の柔らかさというのを視覚で感じた。
きゅっとくびれたウエストは余分な肉は付いておらず、それでいて女性らしいしなやかさ柔らかさがあった。瘦せ過ぎず太過ぎずだ。くびれの黄金比はヒップが10に対してウエストが7と言われているが、彼女のそれは正しく黄金比と言えよう。
すらりと伸びた脚は髪や肌を滴るお湯が通り、お湯の線を作っている。それが艶めかしく見えてしまう。制服のスカートからも伸びるいつも見ている(ガン見している訳ではない)生足は、まるで初めて見たようなそんな感慨を覚えた。
風呂上がりだからなのか、それとも僕に見られているせいなのか、赤く火照った頬,
悔しそうな苦々しそうな表情を浮かべている。それが何とも見てはいけないものを見ているという実感を湧かせた。
「……」
こちらを見て西園さんは固まっていた。まあ当然だろう。僕だって固まっているのだから。あまりの衝撃の事実の前には人は反射的に動けないというが、まさか身をもって体験することになるとは。
「あの……そんなにマジマジと見られていると動けないんだけど」
硬直した僕の体はそんな一言で解放された。
一瞬で回る僕の脳内。裸を見た嬉しさと恥ずかしさと申し訳なさが渦を巻いていて、僕は次の一言で何を言えばいいのか分からなくなった。
「あ……ありがとうございますっ!」
そして挙句の果てにそんなことを言いながら頭を下げていた。
「……」
頭を下げる僕を見下ろす西園さんの目が痛い。恐る恐る視線を上げると、真っ白い西園さんのおみ足が見えて、すぐに頭を下げ直した。
「まあ確かに私の体は国宝並みに素晴らしいものだと自負はしているけど」
自負しているのか。しかも国宝とは。スケールも胸も大きかった。まあ否定はできないし、その気もないのだが。
「だから私の裸を見て、君が男子的な何かを催しても仕方がないと思う」
おまけにとんでもないことを言い放ってきた。僕は慌てて取り繕う。
「べ、別に何も催してないわ!」
必死過ぎて逆に催していることを証明してしまった気がした。
「そうなの? だとしたら病気だと思うわよ」
「とんでもない自信家だな」
「あくまで事実を述べているだけよ」
凄い。僕の中で一度でいいから言ってみたい台詞リストの中の3番目の台詞だ。ちなみにこのリストには20番まで存在する。1番は「てめぇは俺を怒らせた」だ。宿敵を倒した時に言いたい。いないだろうけど。
「しかし僕は蹴られる覚悟まで済ました上で眺めていたのだが」
「まあそうね。普通の女の子だったら「きゃー、の〇太さんのえっちー!」って言いながら殴るなり蹴るなり、空気砲撃ち込むなりするかもしれないわ」
「空気砲を持ってる普通の女の子はいない」
一家に一台ドラ〇もんじゃないんだから。
「君にも話したように私は世界を放浪してたじゃない。その時に裸になる機会が結構あったから、素肌を見せることへの抵抗は普通の女の子よりも無いと思うわよ」
裸になる機会だって? その辺の話を詳しく聞きたい。今後の参考にしたい。もう一度顔を上げてみると、彼女は体を全く隠しもしていなかった。何というか剛毅だ。こっちが逆に恥ずかしくなる。
「顔を赤くして俯いてないで、前を見てごらんなさいな」
何だろう。そう言われると見たいという気持ちがどんどん薄れていってしまうのだが。僕が思うに女子の裸というのは通常見てはいけないものだからこそ燃えるものがあるのだと思う。向こうがあまりにもウェルカムだと逆に萎えるのだ。
僕は構わず見るがな!
「でも恥ずかしいのは恥ずかしいから、あまり見られると困る」
「……」
僕はすぐに下を見た。
「だから出て行ってもらえるととっても助かるわ」
「お、おう……すぐに出て行く」
僕はそそくさと脱衣所を出て行く。目は完全に覚めていた。それどころか、熱に浮かされている様な気分だ。
脱衣所を出て、一息ついた僕を驚いたような顔で見ていたのは有栖川かのんだ。彼女は替えの服(パジャマだろうか)を持っていて、恐らく西園さんとかわりばんこの予定だったのだろう。
驚く顔がやがて睨み付けるような顔になる。僕はどうしたものかと思い、とりあえず平静を装うことにした。
「ようかのん。何かあったか?」
かのんはそんな僕を素通りして一言だけ言った。
「このえっち」
どうやら全部バレていたみたいだ。まあそりゃあそうか。結構大声で話していたから扉から声が漏れていたのだろう。
「ふっ……返す言葉もない」
「いやカッコつかねえから」
「ですよね」
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