第16話「かのんシャドウ其ノ三」
景気のいい音を立てて、西園さんの放った矢が的に中った。一週間前、弓道部に入部してから西園さんは弓を引くようになった。僕との問答で彼女が変わったとは思わない。彼女は自分で勝手に変わったのだ。僕はただ見ていただけだ。
「……これが弓道か。いいものだな」
僕の横でほほうと唸る変態こと奥田恭弥。入部すると言ったその日の内に、部活に参加するとは真面目な奴だ。こう見えてサッカー部は問題が起こるまでは真面目にやっていたのだし、勧誘したのは正解だったのかもしれない。不純な動機だとしてもやる気はあるのだ。僕よりはマシである。
「西園さんの道着姿見たら多分お前死ぬよな」
「貴様もだろう?」
「まあな」
きっと即死するだろう。その自信はある。馬鹿正直に話してしまい、はっとした。僕は慌てて言い訳をするかのようにぼやいた。
「だがまあ西園さん何て人がいながら。そこまで話題になってないのが僕は驚いているが」
西園さんが思ったより普通だとは思わない。思っていた以上に美しい。揺れる金髪も碧い目も。全てが美しいという概念で構成されている。とは言い過ぎだろうか。
「確かに西園は凄いが、うちの学年にはもうアイドルがいるだろ」
「アイドル? そんなのいたのか」
知らなかった。というか僕が知らないというのはそれはもうアイドルでも何でもないのではないだろうか。学校の空気を自称するだけに学校内の内情にはそれなりに知識を持つ僕が知らないアイドル。
「有栖川かのんだ。知らないとは言わせないぞ」
「ああ」
そういえばいた。有栖川かのん。うちの学年のアイドルというか、国民的なアイドルだ。スケールが違う。勝負にならない。
……しかし西園さんが同じ舞台に立てば、勝負はこちらが勝つだろう。僕にはどうもあのアイドルが魅力的に見えないのだ。
「反応が薄いな」
「悪いか」
「女好きのお前にしては珍しいものだと思ってな」
「いつ僕が女好きと言った」
嫌いだとは言わない。さして興味が無かったのは事実だ。
「お前……」
「人をそんな怪訝な顔してみるなよ」
「俺にはそっちの趣味は無いからな」
「僕にもねえし、女が好きじゃないからって男が好きだなんてロジック僕は決して認めないぞ」
ではどちらが好きなのかと聞かれたらどっちもそんなにだ。僕に好かれて嬉しい人間がいる訳ないだろうし。人に迷惑を掛けない一番の方法だ。
「貴様はどうしてそう鈍いのだ」
恭弥が失望を隠さず言った。
「おいおい誰が鈍いんだよ。僕は人一倍過敏な方だぜ」
「俺が見る限り、お前は限りなく朴念仁なタイプだと思うがな」
「やめろよ」
それじゃまるでラノベの主人公だ。何故僕が主人公の嫌な部分を引き継がなければならない。主人公のいい部分は何も持っていないというのに。
「しかし西園のことは気になるのだろう?」
「気にはなるが、これはそういうんとは違うよ」
「じゃあどういうのだ」
「……」
聞かれて僕は答えに困った。確かに僕の中でそこら辺の女子と西園さんの扱いは違う。だが、西園さんを友人として見ているかというと、恭弥とかと同列に見ているかというと、それも違う。謎の感情だ。恋とは違うだろう。僕はそれを知っているのだから。
「まあこの話は何でもいいだろ。僕の話なんて」
いちいち語るまでもない。何の話題だったか。そうだ有栖川かのんだ。
「確か隣のクラスだよな。有栖川かのんは」
「ああ。ってクラスがどこかは把握しているのか」
「……」
失言をした。そう思った時にはもう言葉は出なくなった。言わなくてもいいことを言うとは僕らしくも無かった。しかし恭弥はそれには気付かなかった。
「貴様はやはり変な奴だな」
「なあアイドルって何でアイドルって言うんだろうな」
「……そんなことを気にするのか。俺にはよく分からないが、アイドルは偶像だろう。偶像崇拝という言葉にもある通り、現代において崇拝されるべき人物ないし職業をアイドルというのは何もおかしくはないだろう」
よく分からないわりに饒舌な奴だ。
「たかだか人間一人をそんな神や仏の様に呼ぶのにおかしくないは無いだろ。恥を知れってんだ」
「貴様は全国のアイドルファンを敵に回したな……」
「知るか」
気付かれないのならそれがいい。一番だ。僕にとって有栖川かのんとはアイドルではない。だって偶像などではないのだから。偶像というには僕は彼女を知り過ぎている。
「つか恭弥がアイドルにもハマっているなんて初めて知ったぜ。お前二次元オンリーじゃねえのかよ」
「アイドルは別だ。それにこうして簡単に会えるわけでも無し、ほとんどがモニター越しである以上、立派に二次元と言ったっていいだろ」
よくはないだろ。せめて2.5次元とかにしておけ。有栖川かのんはペラペラな紙じゃないのだから。血が通って肉のあるただの人間なのだから。
「有栖川かのん……?」
「知ってるか。隣のクラスにいる国民的アイドルだ」
帰り道、僕は西園さんに有栖川かのんについて聞いてみた。隣のクラスにいる国民的アイドルとは字面的に凄いようなしょぼいような気もするが、彼女の答えは予想外のものだった。
「もちろん知ってる……というか私、かのんちゃんのファンクラブに入ってるわ」
ファンクラブに入る程のファンとは。しかし西園さんともあろう人が。かのんちゃんとは。有栖川かのん恐るべしだ。僕が羨望に近い感情に似たような似てないよう何だかよく分からない西園さんが、有栖川かのんのファンつまり信奉している。
「意外だ」
「意外も何も、有村君は私の趣味を知らないでしょう」
「まあ……確かに」
人には予想もつかない部分があるものだろう。光と影だ。僕から見える西園さんとは違う西園さんがいるのは当然だ。凛とした彼女然り、人目が気になる彼女然り。それを知った気になって意外だなんて言うのは、何と恥知らずなことか。
「悪い。お前のことを、知った気になってた」
「そこまで気にすることはないと思うわ。というか私だって君のことは知らない事が多いし、何かあるたびに意外だって思うことはある。人と人が関わる以上、避けては通れないことだと思うよ」
「そういうもんかね」
「そんなもんです」
……。人と人が関わる以上、避けては通れない。僕はこれから西園さんの影を知っていくことになるのだろう。意外な一面も見たくない一面も。光があれば影がある。ただ眩しいだけの人間なんていないのかもしれない。だったら僕にだって光はあるのだろう。きっと。おそらくは。
「かのんちゃんと言えば、こんな話を聞いたわ」
マンションが見えてきたとき、西園さんが唐突に口を開いた。
「話?」
「うん。公式な発表じゃなくて学校で流れる噂程度なんだけどね」
公式発表ではないというのならこれは有栖川かのんというアイドルの話ではないのだ。学生である有栖川かのんの話だ。だが僕は有栖川かのんにまつわる噂を聞いたことが無い。僕の聞いてない噂を同じクラスで、部活も同じな西園さんが聞いているというのは変な気もした。まあ男子と女子なので、四六時中一緒な訳でもないので、変じゃないと言えば変ではないのかもしれないが。
だがそんな戯言めいた思考も、彼女の一言で吹き飛んでいった。
「ストーカーがいるって。有栖川かのんのストーカーが」
「……」
「ストーカーねぇ」
「アイドルならばそりゃあいるだろう」とは言わなかった。ファンの前では言えないという意味でもあるし、もっと違う意味もある。
「でも公式発表じゃないんだろ? 誰が言ってるんだよそれ」
「その’誰か’は分からないよ。でも噂が流れているのよ。この学校に来てそんなに日が無い私でも知ってるのに、君が知らないなんてのは不思議よね」
「……別に僕は何でも知ってる訳じゃないぜ」
そんな知恵袋的なキャラ属性は無い。僕にあるのは脇役だけだ。
西園さんが不思議そうに首を傾げる。
「君が事情通だってことは、奥田君から聞いたんだけど」
ああそういうことか。だったら彼女の認識には何もおかしいことはなかった。
「あいつは嘘はついてない。確かに僕は校内の事情にはそれなりに詳しい。だけどそのアイドルのストーカー話は本当に知らなかったんだよ」
興味が無かったというのもあるかもしれない。意図的にシャットアウトしたのではなくて、聞こえても情報として脳が処理しなかった。聞き逃していた可能性。色々あるだろう。それくらいに僕は知らなかった。知らない方がよかった。
「ストーカーがいるってこと以上に何か分かってないのか?」
「これも噂だからどこまでの信憑があるかは分からないけど、賽ノ目高校の男子。それも運動部かもしれないって話は聞いたことあるわ」
「……男子で運動部……?」
同じ学校というのは驚きだった。てっきり社会人かとばかり思っていた。ストーカーをする人間を社会人と呼ぶのはどうかと思うが、まあ学生じゃない人間を一括りにどう呼ぶかと言われると社会人としか呼べないのだから仕方がない。大人となると範囲が広すぎるし。下手すると僕らも入ってしまう。まあ容疑者は僕らつまり高校生男子なのだが。
そもそも同じ学校なのだからストーカーなんてせず、話しかけに行けばよかろうに。そっちの方が健全だ。アイドルをやっているのだから人に話しかけれる覚悟だってしているはずだし。それにここまで噂が立っていて、本人に繋がりそうな情報が一切ないのは変な気もした。名前とか学年とか、そして運動部ならば部活名とか。
「それ以上には?」
「それ以上は何も分かってないわ。噂だからね。適当なことを言って流してる人もいるんだと思うけれど」
「適当か……」
情報を流す奴には一切の責任が無い。だからこそ適当言うのだ。嫌な話だ。僕はそんな奴にはなりたくはないものだ。
「ストーカーの目星はついてないのか?」
「個人名は出てないし、出てたとしても信じられるものではないでしょ」
「まあそうだよな」
噂は噂でしかない。それが正解でなくても構わない。そして噂に出すことで特定の人間を貶めたいという悪意もあるだろう。それが噂だし、噂の効力というやつだ。
容疑者候補はとても広く多い。これ以上、考えても何も分かりそうにない。僕は両手を上げた。
「噂を誰が流したのか分からないことには、何も分からないよな」
「……?」
西園さんが不思議そうに僕を見ていた。
「何だよ」
「有村君にしては珍しく色々と考えてるなって思って」
「……悪いか」
「有村君もファンだったの? かのんちゃんの」
「それはない」
僕がファンな訳ないだろう。どこをどう見たらそう見えてしまうのか。
「別に何でもないよ。少し気になっただけだ」
「ふーん」
とてつもなく軽い返事をしてきやがった。絶対に信用していない。彼女に説明するのはとても面倒だし、それに約束が違う。誤魔化しも難しいのなら話題に触れないのが一番だと僕は思った。
「まあいいよ。隠し事なんて誰でもあるし」
「何か悪いな」
彼女の心を暴いた身としては、彼女の言葉は心に重くのしかかった。
彼女に対して秘密を隠しながら、僕は彼女の秘密の部分に触れたのだから。
「別にいいわ。君には色々と迷惑をかけてるから」
「そう言ってもらえると、本当に助かる」
「それに君のご飯には命を繋げさせてもらってるし」
「……」
そういえば今日も来るのだろうか。となるとまた僕は大量の料理を作る必要があるということである。
「今日は外に飯食いに行こうかな」
お金の問題はないのだが、料理をするという手間がはっきり言って面倒臭かった。元々僕は料理好きではない。最近は西園さんがいるから料理をしているだけで、西園さんがいても料理は好きではない。
そんなことを思っていたら西園さんは
「じゃあ私も行こうかな」
とか言ってきた。
……。
僕はそろそろ確かめるべきなのかもしれない。誰からもはっきりとは言われなかったが、本当に確認すべきなのかもしれない。彼女が僕をどう思っているかについて。思い過ごしの可能性は十分にある。だけど毎食一緒に食べ、あまつさえ外食にまで付いてくるなんてこれはもうただの友人とは違う。彼女は僕に対して少なからず想っているのではないか。そんなことを最近は少し思ってきた。
「なあ西園さん。間違ってたなら申し訳ないし、僕の考えすぎなら謝るけどさ」
「どうしたの急に改まって」
「西園さんは僕のことが好きなのか?」
「……う、うーん……?」
「好きってのは友人とかじゃなくて男としてってことなんだけどさ」
「いや、仮にそうだとして聞かれてはいそうですって答える訳無いじゃない」
「まあそうだよな」
普通に考えればそうだ。誰だってこんな形で恋心を伝えたくはないだろう。情緒が無さ過ぎるなんて話ではない。
「それに……私は君の友達だよ」
「まあ……そうだよな」
当然の事実だ。僕だって期待はしていない。そりゃそうだろう。こんな美少女と僕が釣り合う訳が無い。だというのに少し残念な気がしたのは何故だろうか。まさか僕が、なんてこともあるまい。
「じゃあ何で毎日一緒に飯食うんだよ。金が無いのならバイトするって方法だってある訳だし」
「そりゃあ……女子と縁も無さそうな君に夢を見させてあげる為、かな」
「性格悪すぎだろ!」
罰ゲームで告白とかそういう並みのものだ。僕みたいな人間がされたら一番嫌なやつである。些細な夢を見せるくらいなら、現実を示してほしい。
「流石に冗談よ。そんなありきたりな嫌がらせは嫌だわ」
金髪で美人でややSっ気のある美少女にもそれなりの矜持があるのだろう。嫌がらせに矜持もくそも無いと思うし、嫌がらせをすることそのものが嫌とは言わない辺り、何とも西園さんらしい。
「ありきたりじゃない嫌がらせもやめてほしいんだが」
「ふふ。それはどうでしょうね」
と彼女は楽しそうに笑うのだった。
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