第3話「たくみリスタートPart3」
「どうだった? 私の射は」
宣言通り、二本の矢を的の中心にぶち当てて見せた彼女は、その後、すぐに制服に着替えた。そして職員室までの道すがら僕にややドヤ顔で訊ねてきた。
まあ元弓道部と言い、そして転校生で部活に所属していないのに、休日に学校に来ているほどだ。弓道ガチ勢なのだろう。僕はエンジョイ勢ですらないので、少し気まずかった。
とはいえ、彼女の射がいいものであるのは、僕の目にも明らかだ。きっと誰が見ても思うだろう。それほどまでに素晴らしく美しいものだった。
「ああ綺麗だった」
「……何かそういうこと言われると照れるね」
ドヤ顔で威張るでもなく、頬をポリポリと掻きながら彼女は曖昧に笑った。何だかその態度がとても可愛らしく思え、僕は胸が締め付けられる感覚を覚えた。
「西園さんは中学時代から弓道やってたのか?」
「うん」
「……こっちの学校に転校して部活に入ろうとかは思ってるのか?」
「思ってないよ」
「じゃあどっかの道場に入るとかそんな感じなのか?」
「いいや、私はもう弓道はやめようかと思ってるんだ」
「……何だかもったいないな」
「え?」
つい、口をついて出てしまった言葉に僕は慌てて息を呑む。だが時すでに遅く。僕を睨み付ける彼女の視線と目が合ってしまった。言い逃れは出来ないだろう。
「もったいない……ってどういう意味?」
「……」
「ねえお願いだから、下手に誤魔化したり、黙ったりしないで答えてよ。私は別に何言われても怒らないからさ」
もはや質問ではなく、懇願の様にも思える彼女の言葉に僕は頭の中で固まらない感情を言葉をそのまま吐き出していくことにした。
「いやー……何というか、他人にこういう感情を覚えるのは僕史上初めてのことなので、どう言語化すべきか困っているところなんだけども……」
一言で言うならば簡単だ。だがそんな簡単な問題ではない。しかし下手に言葉を紡げば紡ぐほどに嘘になってしまいそうなので、僕は一番大事なところを簡潔にかつ分かりやすく伝えることにした。
「僕は君が好きだ」
「……?」
一瞬、何を言われているか分からないとばかりに西園さんは硬直した。そしてその後、その可愛らしい頬を真っ赤に染めた。
「え?! す、すすすす好き?! 君は何を言っているのかな?! いきなりすぎて私びっくりだよ」
「いきなりって言われても仕方ないだろ。それが僕の想いなんだからさ。それに言えって言ったのはお前だろ」
「確かに言ったけどさー。違うって言うか、こう来るとは思わないじゃん普通はさ」
手をパタパタとやって「今日暑いね?」と僕に聞いてきたが、今は十月。むしろ寒くなってきかけたくらいだ。でも確かに熱さは感じた。僕の中にある熱は消えることなく燃え続けている。ほぼ勢いで僕は彼女の細い両の肩を掴んだ。
「ふえっ?!」
制服ごしに分かるくらいに彼女の体温が上昇していた。頬はすっかり上気していて、色っぽさすら感じさせる。いやいやと手を振ったりしているが、僕の腕を強引に引き剥がそうとはしなかった。やや肩が震えていて、僕は自然と彼女の肩を掴む力を緩めていた。
「西園さん。何度も言うが、僕は君が好きだ。その上で、君に頼みたい事がある」
「え、えええ! ……ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってって! 私、まだ心の準備が……?!」
涙目で顔中真っ赤になって喚く西園さんに僕は言った。
「弓道部に入ってくれ」
「出来てな……。今何て言った?」
刹那、時間が止まったような気がした。それまであった熱がどこかへと消え去っていくようなそんな不思議なイメージがあった。
「弓道部に入ってくれって言ったんだ」
「……えともしかして好きって……」
「ああ、あの射形が好きだ。綺麗で折れそうなくらいの透明感なんだけど、どこか力強さを感じるお前の射形がだ」
彼女の肩から手をどけると、彼女は数歩後ろに下がるとそのまま僕に背を向けて、数度深呼吸をする。
「ごめん。ちょっと落ち着かせて。すーはー」
そして次にこちらを振り向いた時、彼女は何故か涙目になっていて、
「わ、私のドキドキを返せー!」
と怒りながら僕の腹に強烈な蹴りをかましてきた。
「もったいないってそういう意味か」
彼女がやめてしまったらあの射形は消えてしまう。それがもったいないのだ、というのを説明するとようやく彼女は怒りを抑えてくれたようだった。
「むしろ他にどういう捉え方出来るんだよ」
「他の捉え方しか出来ないでしょ。あの狙いすましたような言葉の数々は」
「……?」
「自覚無し?! まさかこの人って天然タラシ?!」
「人を自生するブラシ扱いとか、結構酷いこと言うな」
「天然タワシなんて私言ってない」
そしてやって来た約束の自動販売機。ジュースを二本奢ることになってしまった僕。僕は比較的守銭奴なタイプだが、こうして約束をしてしまった以上、お金を使わなければいけない。うちの高校、賽ノ目高校の自動販売機は高い物は190円台のエナジードリンクがあって、安い物ならば90円台のものがある。
「ど、どれがいいか?」
「うーん、君から持ちかけてきた話だし、ここは容赦なく一番高いのを二本欲しいけど、流石に私はエナドリは飲めないからな……。うん、150円の二本でいいですよ」
「あい……」
それだとしても合計380円が300円になっただけではあるが、長期的にみればこの浮いた80円が何かに使えるだろうと思うことにした。今日僕が得た教訓はむやみやたらと人を賭けに誘わないということだ。泣く泣く財布から300円を出し、オレンジジュースを二本買い、それを西園さんに手渡した。彼女が一本の蓋を開けると、一気にそれを飲み、500mlあったそれは一瞬で半分ほどに減った。
それを僕が啞然としてみていると、僕の視線に気づいた西園さんが顔を赤くしながら言った。
「あ、あははは。私、喉が渇きやすい体質で……」
「気持ちは分かる」
僕の気持ちのこもってない言葉に、西園さんは「……せめてもっと感情込めて言って下さいよ」と言うと、これまた恐ろしいスピードで残りを飲み干し、ペットボトルのゴミ箱に投げ入れた。正確な軌道で投げられたペットボトルは、丁度ペットボトル一本分より一回り大きい程度の穴にすっぽりと入り込んだ。
「さすが弓道部」
「君もでしょう。それにこれは弓道関係ないよ」
それに考えてもみれば、弓道は狙って中てているのではないので、高い命中率を誇るからといってさすが弓道部という発言が出るのは心底おかしいのだが、特にそれが気にならない程度には高校生の弓道が狙っているものだという意味でもあった。
「しかし途轍もない命中力だったな」
「……別にちゃんとした射形なら誰だってああなるよ。何もおかしなことじゃない」
「そのちゃんとした射形が難しいんだよ。だからすげぇよ」
西園遥はそっぽを向いた。ちらりと見える頬は赤かった。
「まあ……称賛は受け取っておきますが」
「そういうのは遠慮なく受け取っておけ」
「君は遠慮し無さそうだよね」
「僕は……まあ、そもそも称賛を受けること自体が極レアだからな」
「ああー……それは……すみませんでした」
「謝られるとそれはそれで何か凹むな」
むしろ遠慮なく罵倒してくれた方が楽な事だってあるのだ。彼女に罵倒されるというのは違った意味合いも持ちそうだが、今のところ僕に被虐趣味は無い。
「で、弓道部には……」
「入らないよ」
彼女は即答した。
「理由があるって感じか」
中学からやっていてあれだけ技術のある弓道をやめるのだ。それなりの理由はあるのだろう。それに彼女に部活に入ってほしいというのは完全に僕のエゴだ。無理強いは出来なかった。
職員室に付いた僕達はすぐに弓道部の顧問を探したが、見つからなかった。残っていた先生方も知らないという。それどころか、弓道部の顧問という存在自体を知らない先生もいる。まあ僕も知らないのだが。
打つ手なしということで僕は諦めて帰る事にした。西園さんも特に職員室に用がある訳では無かったらしく帰るらしい。何故付き合ってくれたのか。疑問は残るが。
「付き合ってくれてありがとう。本当、僕なんかの用事で時間使わせて悪いな」
「別にいいよ。暇だったし、そこそこ楽しかったから」
「そこそこか。次があるなら、もっと挽回してみせるよ」
次があるのならばだが。
「へぇ随分と自信家だね。じゃあ楽しみにしてよっかな。ああそうだ。君って何組?」
「い……」
「待ってやっぱり言わないで」
彼女が力強く制止する。僕はすぐに黙ったが。「い」と言ってしまった時点で既にクラスは決まったようなものではないか。
「どうしたんだよ」
「こういうのは先に聞かない方が縁起がいいのかなって」
クラスが決まって教室に入るまで、地雷のクラスかどうか知りたくないということだろうか。こんな回りくどく「てめぇと同じクラスは嫌だぜ」と言われるくらいならば正直に言ってほしいものだが。
まあ難しいだろう。
「気持ちは分かるぜ」
僕は曖昧に答えることにした。だが信じられないことに西園遥の顔がみるみる赤くなっていった。
「それは……有村君もなの? 君も私と……」
「……? 待て待て。何か凄い誤解を受けてないか僕。いや誤解じゃないのかもしれないけど」
本音を言えば、彼女と同じクラスになりたい。彼女もそうなのかもしれないと思うのはとても僕に都合がよく、そして都合がいいからこそそんなことはあり得ないと思うのだ。
「青春してんなー」
西園さんの言葉は突如背後から聞こえた声に遮られた。その人物の姿形は僕からは見えないが、だが気配だけで只者ではないと感じる。
「誰だ?!」
そして振り返ってみると、そこには幼女がいた。
白い髪、袴を着用している。足にはブーツと、大正ロマンを感じさせる服装をした幼女だ。僕の直感が告げる。この幼女は只者ではないと。
「いやーやっぱ青春っていいなー。見てるだけで若返りそうな気分になるぜ」
などと年寄みたいな事を言った幼女に僕は一切警戒心を緩めない。隣にいる西園さんは普通に見ているが、彼女が思う程、あの幼女は容易くないと僕は思うのだ。例えるならば物語最終盤で急に正体を現す魔王みたいな。ラスボスポジション。
「あなたは誰だ? ちなみに僕は有村匠。賽ノ目高校の一年生だ」
「へぇ、先に名乗って来るとはこの学校の生徒にしては礼儀をわきまえてる奴だな。私は姫川開耶。賽ノ目高校の教師にして弓道部の顧問だ」
今、あの幼女は何と言っただろうか。先生? それも驚きだ。いやかなりの驚きだ。だがそれよりも僕には驚きの優先事項があった。幼女は、姫川開耶と名乗った幼女は、事もあろうに弓道部の顧問と言ったのだ。
「こ、顧問だと?! 嘘付け! どう見たって僕よりも年下じゃないか!」
不審な幼女は手を口に当てて、涙目になった。
「まさかこの年になって若いと思われるなんて……先生嬉しくなっちゃうぞ」
「褒めてねえ! 純然たる事実を言っただけだ!」
「有村君、落ち着いて!」
「はぶっ」
西園さんが僕の頬にとつぜん、ビンタをかましてきた。
バチーンという音が夕暮れに染まる校門に響き渡る。状況といい場所といい言いようのない敗北感に駆られるが、それでようやく落ち着くことが出来た。
「……少し熱くなりすぎてたか。いや、西園さんがクールすぎるだけだ。しかし平手打ちとは……」
癖になってしまいそうだ。とはいえ、目の前の不審な存在を見れば誰だって騒ぐだろう。だからUMAという概念が世界に存在するのだし。
「有村、落ち着いたか。これでようやく話が通じそうだぜ」
「話? ……いや、いいや聞きたくない。それよりもあなたが弓道部の顧問だっていう話は本当なのか? どうにも僕には、それが信じられないし、信じてはいけない事だと脳が認識している」
さっき僕の頬に思いっきりビンタをかました西園さんが怪訝な顔で僕を見ていた。何だろう。何か僕はおかしなことを言っているだろうか。
「有村君はさっきから何を言っているの?」
「この人が教師だという事実に対しておかしいと思わないのか?」
「え……? そりゃまあ、うん」
と軽い調子で返してきた西園さんの返答がとても信じられなかった。冗談でもなく本気で彼女はこの白髪の幼女が教師だと思っているのだ。
「白髪だぜ?」
「人間生きてればいずれ白髪になりますよ。私は地毛だけど金髪ですし」
確かに。髪の色に関してはそこまで問題でもない。それにキャラ付けと思えば、何もおかしなことはないのだ。考えてみれば。
「二千歩置いて白髪はいいとしてもよ、幼女だぜ。ロリだぜ?」
「よ、幼女? 突然何言ってるんですか。姫川さんは立派な大人の女性ですよ。目にゴミでも詰まってるんじゃないんです? いい眼医者を紹介しますよ」
「失礼な。立派な眼球が入っているぞ」
「大人の女性が幼女に見える眼球が立派とは。まあある意味では立派ですね。変態という意味で」
ジト目で、睨んでくる彼女に、僕は「突然何言ってるんだ」と返しそうになった。しかしさっきと同じく彼女からは冗談を言っているような素振りは全く見えなかった。
「……まさか姫川先生って」
と言いかけた僕は、その先を言うのを辞めた。姫川先生がこちらを見ているのだ。しかし、その目はつぶらな瞳の中には黒よりも黒いものが渦巻いている様に見えたのだ。僕は宇宙的な恐怖を感じたのだ。
「有村匠。この世には知らなくていいものってのはあるもんだぞ」
などと凄まれてはこれ以上、追及することは出来なかった。僕はただ口を閉じて、彼女が教師なのだという現実を僕の脳みそに刻み込むだけだ。
「それで姫川先生は確かに弓道部の顧問なんだよな?」
「ああ」
「……まあ、いいやもう面倒臭いからそれで」
そう言ってにししと笑う彼女はどう見ても年齢相応の女子にしか見えない。
だが本人がそう言うのだからそうなのだろう。僕が弓道部に入ってから一度も見たことがないので、恐らくは名前を貸しているだけろうし。部活が無くなるならばそれはそれで彼女にとってもいいことだろう。ならばこの場で弓道部を辞めると伝えてしまってもいいだろうと思ったのだが。
「先生もご帰宅ですか?」
「ん? いやいや私はまだ仕事が残ってるぜ。ここに来たのは有村に一つ、命れ……いえ頼みがあってな」
ん? 今一瞬、命令と言いかけなかったか?
という僕の疑問をよそに、姫川先生は、僕がやるとも言ってないのに、話し始めた。
「道場に行ってきたならもう分かってるかもしれないが、お前以外の部員は全員部活を辞めた」
「やっぱりか。じゃあ丁度いいし僕も……」
「そして最後に残ったお前は自動的に部長となる訳だが」
「辞めようと思ってたんだけど」
「はぁ? 誰が辞めさせるかボケ。お前はこれから弓道部を再興させるんだよ」
まさか幼女にボケと言われるとは。何だか得した気分だ。しかし辞めさせてくれないとは。酷い顧問である。部活なんて先生的には百害あって一利なしだろうに。
「お前、ずっと部活サボってただろ。その罪滅ぼしと思え。部活での態度は今後の受験とかにも関わってくるし、何よりいい宝だ」
「そういうのは僕みたいな脇役向きじゃないだろ。西園さんとかそういう人に頼めよ」
突然、僕から振られた西園さんは頭の上に「?」マークを浮かべている。
「仕方ないな。お前が部活を辞めたらお前の家族に適当なこと話すし、他の部活に何て入れさせないからな」
「そ、それは……」
自決しかねない母親がいるというのに、まさか家族を人質に取られるとは。
こうなると僕にはもう拒否権などなかった。それにそもそも僕が部活をサボってなければこんな展開になっていなかったのだから、罪滅ぼしというのもあながち間違いではない。
「分かった。何とかしてみるよ」
「にしし。それでいいんだ」
四ヶ月ぶりに部活に行ったら、僕以外全員が部活を辞めていて、自動的に部長にされ、そして顧問から言い渡されたのは、それは僕みたいな脇役では不可能な、主役に与えられるべき無理難題であった。
だが、それは僕が主役なのは無理という話だ。逆に言えば僕が脇役として活動する分には問題ない。そしてこの場には主役向けの人がいる。西園遥。彼女が活躍できる部活を創り上げる。いや創り上げたい。今はそう思うのだった。
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