第2話「たくみリスタートPart2」

 道場に美少女を招待した。部員の名簿を見たところ、あれを信じるなら現部員は僕だけということになる。となると、この道場は僕の物だ。そこまで踏まえると僕の道場に美少女を招待したということになってしまうのではないかと思いかけ、やはりそれは無いなとすぐに考え直した。何を考えてるのでしょうね僕は。


「ああ、そういえば名乗ってませんでしたね」

「……」


 僕如きが彼女の記憶に残ってしまうのは、彼女の脳のメモリーの無駄だと思っていたので名乗りはしなかったのだが、会話する時に面倒だと思い、僕は名乗った。こういうのは先に名乗るべきだ。


「僕は有村匠。一年。一応名乗っておくよ。家に帰ったら忘れてくれ」

「はぁ……有村君。覚えたよ」

「でそっちは?」

「私の名前は西園遥。あなたと同じ一年。どうぞ末永く、覚えていてね」


 ひょっとして僕が言ったのはジョークか何かだと思ったのだろうか。言われずともこんな美人の名前は忘れろと言われても永劫に忘れることは無いだろうが。

 西園遥が道場内を見回して言う。


「有村君、この道場って更衣室ってあったりする?」

「ああ。そこの用具入れがそうだよ。普段は男子が使うんだけど、鍵もかかるし、たまに女子も使う。ってわざわざ道着に着替えてやるのか?!」


 彼女が背負っているリュックを開けるとその中には道着等が入っていた。やる気満々らしい。道着なんかこの高校では試合でしか着る機会が無いというのに。


「それはそうでしょう。道場とは神聖な場所ですから」

「それは何とも……」


 高校生の弓道をやる人間の果たして何人が、彼女の様な思考をするだろうか。少なくとも、僕はこの道場を神聖視してはいなかった。土足厳禁だとか、綺麗に使う程度の一般常識程度だ。


「弓と矢は……うん、これなら使えそう。有村君って意外と筋力ないんだね」


 思わぬ言葉のナイフにグサリと胸を穿たれた。それを取り繕う様に僕は言う。


「……そりゃ幽霊部員だからな」


 ボソリと呟いた僕の言葉を西園さんは聞き逃してくれなかった。


「何か?」

「いや、何も。で、その部屋は自由に使っていいよ」

「分かりました。では、更衣室を使わせてもらうね」


 極めて冷静に、鍵を掛けられるとはいえ、男子がすぐそばにいて二人しかいない環境で着替えを行うというのはそれなりに精神的プレッシャーがありそうなものだが、そんなものを微塵も感じさせず、西園さんは用具入れ兼更衣室へと入って行った。恐らく男として認識されていないのだろう。流石僕だ。モブ度に関しては日本一を自負する僕だ。空気よりも透明な存在感のおかげで僕はこうして美少女と二人きりになれている訳で。


「……まあだからといって何があるでも無いんだけど」


 こういう所で今後のイベントに繋げるのが主人公だ。いっそのこと、あの更衣室に踏み込んでしまおうか。更衣室の扉は鍵がかかっているが、男子の力で本気で叩けば開きそうではある。やらないが。やらないからな!

 その時、彼女が入った用具入れの入口が少し開いた。隙間からは端正な顔と暗がりでも存在感を失わない金髪が見える。


「覗いたりしないでね」


 一瞬、ドキッとした。まさか心が読まれていたのではないかと思ったのだ。僕はあくまで平静を装いつつ言った。


「しないよ。つか鍵掛けられるだろ?」

「はい。ですが、この部屋隙間風があるので、色々と気になりまして」


 隙間風。つまり物理的にかなり狭かろうが、隙間があるということだ。


「……」

「急に黙らないでよ」

「隙間なんて言われたら変な希望持っちゃうだろうが」

「……覗かないでね絶対だよ!」


 そう言うと用具入れの扉が勢いよく締まった。


「こういう時は、風の音でも聞いてぼうっっとしているのが一番だ」


 風の音に混じって衣擦れの音が聞こえてきた。

 これは何とも、いたたまれない。


「……何かやっちゃいけないことをしてる気分だ」


 なので、僕は気になる事を調べてみることにした。顧問に聞けば解決する問題だろうが、こうして道場にいるのだから、調べてみる価値はある。


「確か、部活の日誌みたいなのがあったよな」


 僕も一度付けた記憶がある。実際の競技を模して四本、弓を引き、的中数を一人ずつ記入したものがある。その記録を見れば、この部で何が起きたのかは分からなくとも、いつから異変が起きたのかを察することは可能だ。

 日誌は僕の記憶の通りの場所にあった。

 中を見てみると、僕が来なくなった六月以降もしっかりと毎日、日誌が記されているのが分かる。七月の終わりに三年生が引退し、三年生の分、人数は減る。ここまでは普通だ。八月も何の問題もなく、毎日記されている。合宿なんてものがあったのかと、僕の知らない内に過ぎ去った青春の日々を想って哀しくなった。それ以外と言えば、同期と先輩方の平均スコアが七月以前に比べてやや落ちているくらいだ。

 そして九月。異変は起きた。九月の半ばから少しずつ、じわりじわりと人が減っているのだ。九月半ば。何か事件があっただろうか。今が十月の初めだから、ほぼ半月前である。一つの部活の部員が続けざまに退部していくなんて、ちょっとした事件だ。そして事件ならば僕が知らないというのも変な話だ。


「九月に何があったんだ……?」


 部活動で起きた事件というのならば、思い当たるのは八月のサッカー部で起きた大事件だが、弓道部で事件が起きたなんて話を聞いた事はないし、それらしき記述も見つからな……


「ん?」


 日誌の中に紛れ込むようにルーズリーフが一枚挟みこまれていた。紙にはサインペンで書かれた文字があり、まるでこの日誌を読んでいる方へ向けたメッセージの様にも思えた。


『日に日に部員が退部していく。俺達はもう限界だ……! どうして、どうしてこうなってしまったのだろうか。時間が巻き戻せるのならば、俺はどんな手でも使おう。だから、あの輝かしき日々をもう一度……』

「何だこの怪文書」


 意味ありげなメッセージに見えて意味が無さげだ。つまりゴミだ。

 これは一つの文章ではなく、ルーズリーフに雑多に記されたメモなので、前後の繋がりが無いのはいいとしても。


「何か伝えたいものでもあるのか」


荒唐無稽な話の雰囲気がした。時を巻き戻したいとか書いてるし。この世界には魔法もスタンドも無いというのに。日に日に部員が退部していくとあるので、何か手がかりを期待したが……これはポエムか、ラノベのネタだろうか。


「日誌にこんなもの挟んで怒られないのかよ。弓道部ってもう少し、お堅い部活だった気がしたんだけどな」


 日誌はともかく、このルーズリーフはほっといたら捨てられてしまうだろう。意味が無いとバッサリ切ってしまうのは楽だが、これが何なのか答えも出ていないうちに捨てるのは得策ではないと僕は思ったのだ。


「やっぱりゴミだろこれ」


 日に日に部員が退部するというのはこの記述や、日誌から見ても正しいのだろう。部員がいなくなるような事態と言えば、生徒会からの圧力とかだろうか。この弓道部は生徒会とは色々とやりあった過去があるし。いやそれならば、幽霊部員である僕にも何かしらのアクションはあって然るべきだ。僕は幽霊部員だが、れっきとした弓道部の部員なのだから。

 その時、更衣室の扉が開く音が聞こえた。西園さんが出てきたのだ。


「おお……」

「見惚れてしまってもいいよ」


 白と黒の道着に金髪、一見すると合わなさそうだが、実の所とても似合っている。金色の髪は後ろで括ってポニーテールにしており、アクティブな印象がある。それはそれで道着姿でここまでドヤるとは……彼女は自分の価値を分かっているらしい。


「何を見ているの?」


 彼女は僕が見ていた日誌が気になったようだ。


「ああ、部活の活動日誌だよ。日々のスコアが書いてある。見るか?」

「別にいいよ。私は部外者ですし」


 そう言うと、彼女は立てかけられている僕の弓と、矢筒に入れられた矢を二本取り出した。弦の調子を見た後、彼女は言った。


「……ま、まあギリギリいけそうな感じ……かな」

「強がりはやめておけよ」

「強がってないもん」


 ムッ、と頬を膨らます彼女に意外性を覚えた。割と負けず嫌いなのかもしれない。さっきは僕に対して意外と力が無いだとか言ってくれた彼女だが、やはり少し誇張していたらしい。


「弓、変えるか?」


 多分、倉庫になら余っているのがあるだろう。それに全ての弓が誰かの持ち物という訳でもない。借り物の弓ならばまだ倉庫にはあるだろう。その中には彼女に丁度いい弓だってあるはずである。


「大丈夫だよ。問題なく引ける」

「へぇ」


 随分な自信を持っているようだ。彼女は弓道が得意なのだろう。僕は、自分の弓を使ってもまともに中てられる気がしないというのに。

 とはいえ、僕の弓を持って問題ないなんていう彼女に少し対抗意識の様なものが芽生えた僕はつい口にしてしまった。


「その二本の矢、どっちか当てたらジュース一本奢ってやるよ」


 僕の挑発に西園さんは怒るでも、流すでもなく、むしろ笑って応えた。


「ならどちらも当ててみせる。それでジュース二本貰う。もちろん一本でも外したら私が奢るよ。二本ね」


 それどころか、自分から高いハードルを準備する始末。西園さんは見た目以上に勝負師みたいだった。


「いいぜ、後で泣いて謝っても奢ってもらうからな」

「ふ、問題ないです」


 西園さんが射場に立った。僕はそれを後ろから見ている。

 射法八節とは弓道における、弓を射る時の基本動作だ。基本にして最奥。これを極めるということは弓道を極めるということに同義だ。故に弓道では個々の特技は他の競技ほどには重要視されない。かといって皆が行う行動を取ればいいだけと思えば、そこまで簡単ではないのだ。足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、残心の八つの節を正しく行えば完璧な射を出来る。だがこれが色々と難しい。力み過ぎず緩み過ぎない肩の力、何があろうとも動くことのない体幹、そして凄まじい集中力。これがあってようやくスタートラインに立てると言っていいくらいには、奥深い。だからこそ弓道のプロなんかでは戦場帰りの様な気迫を発する人もいるらしいし、射の前に精神集中を行う人もいた。

 その点、西園さんは優雅に見えた。少しの準備運動の後、すぐに射場に立つ。道場を神聖視している彼女だから、長い精神の集中の後に射を行うのかと思ったが、違うようだ。


「……」


 的から真っ直ぐ線を引き、その並行線に重なる様に姿勢を造った彼女の表情が一瞬緩んだのを僕は見た。楽しんでいる。それは決してふざけている訳ではない。彼女は真剣に楽しんでいるのだ。八節を丁寧に完璧にこなしていき、ついに会に至る。弓を射る時の体勢だ。後は右手を離すだけで、矢は飛んでいく。


「……!」


 一瞬が永遠に引き延ばされているかのような錯覚を僕は感じた。

 彼女自身が弓になっている様にも見えた。それほどまでに完璧なのだ。

 そこに一切の邪念は無く、一切の苦悩も無い。無心という言葉を形で表していた。

 無我夢中と言ってもいい。ただそれほどまでに彼女は完璧なのだ。

 そして時間が進みだした。

 彼女が右手を離すと、まるで矢が吸い込まれる様に、的の中心を射抜く。


「……ふぅ……」


 息を吐いた彼女の首筋には汗が垂れていた。たった一本引いただけである。それほどまでの集中。圧倒的だ。感動的だ。僕は初めて、弓道という競技に本気で興味を持てたのかもしれない。

 そして彼女が放ったもう一本の矢も的の中心へ的中した。

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