第二章「かのんシャドウ」

第14話「かのんシャドウ其ノ一」

 「光が多いところでは、影も強くなる」という言葉にもあるように、人は輝かしい一部分が強ければ強い程にその裏に潜む努力や執念という影の部分も強くなるものだ。光は他人が見ている部分で、影が人に見えない部分だとしたら、私の様な人間には影があるのだろうか。栄光もその裏に潜むものも全てが見られてしまう私には、本当に影が存在するのか。


「やっばーい! 遅刻遅刻!」

 

 はい。という訳でシリアス目めなモノローグから一転。よくある主人公みたいな登場をしたのは私です。有栖川かのんです。私は賽ノ目高校の一年二組。出席番号は33番。

 今をときめく女子高生です!

 本当はもっと早い時間に起きようと思ってたんだけど、スマホの充電を忘れて目覚ましが鳴ってくれなかったという経緯で現在爆走してます。トホホ……。

 でもでも実はまだ大丈夫! 遅刻するまでは後十秒もあるのだ。

 今日はいつもうるさい体育教師も会議でもあるのか、校門の前にはいない。私はこれぞ好機と更にブーストを駆ける。学校はもうすぐだ。教室はまだまだ遠いけど。

 だが――


「あら? あなた有栖川かのんちゃん?」


 げ。


「ああ! 有栖川かのんだ!」


 ぎょぎょ。


「かのんちゃん。サインちょうだい」


 ぬああああああああ!

 おばさん、少年、少女のトリプルコンボと遭遇してしまい私は学校前の通路で立ち往生してしまった。ここで振り切っていければいいのだけど、それが出来ないのが私という人間の優しさなのかもしれない。いや中途半端さとも言えるか。

 少女から色紙を受け取り、胸ポケットに常備している黒のサインペンを取り出す。もう何千回と描いたであろうサインを正確に書き、ふと思い至った。


「あ、お名前聞いてもいいかな?」

「私、かのんっていうの。花の音で花音!」


 その名前を聞き、一瞬サインペンを落としそうになるも、私はすぐに平静を保った。いつもの笑顔で。


「へぇ~。私と一緒だ~。すごいねー。これはミラクルだね」

「えへへ。かのんちゃんと同じ名前なことは私の自慢なんだ」


 うん。本当にそう思っていいと思う。自慢かどうかは別の話だが、私と同じという部分に関してはだ。だって彼女の名前は、漢字に至るまで私の本名と同じなのだから。まだ彼女は幼稚園生くらいの年齢だ。まだまだ人生はこれからで、何も始まっていない時期だ。普通ならば。どうか彼女には自由に生きてほしい。そんな思いが籠っていたからか、今回描いたサインは今までに類を見ない傑作が出来上がってしまった。


「はい。どうぞ。これからも有栖川かのんを応援してね☆」


 とウインクをしながら渡す。彼女は目を輝かせていた。


「うん! えへへ……かのんちゃんのサイン貰っちゃった。あ、お礼。ありがとうございました」


 彼女は深々とお辞儀をした。私より十も年下なはずなのに、私よりも礼儀が出来ていた。礼儀に関しては色々なところで軽く注意されているからな私。今のところは距離感が近い、親近感が湧くとかでむしろプラスポジションにされているけど、それも女子高生の肩書があるからだろうし。

 トリプルコンボのファンたちと別れた私はとぼとぼと通学路を歩き始める。もうとっくに学校は始まっている。余裕で遅刻だ。


「はぁー。もういやだこの人生……」


 人様には見せられない顔をしているだろう今の私は。だがここにはもう誰もいないのは分かっている。いたとしたら私が一人でいられる訳ないのだから。

 私は有栖川かのん。賽ノ目高校の一年二組で、出席番号は33番。女子高生であり、今をときめくアイドルです。



「はぁー。もういやだこいつ」


 何とか普通に一限に登校した私を、昼休みに生徒指導室へと呼んだ一条先生は、私が受けた再々再テストの答案を見てため息をついていた。

 一条先生。一条条一郎先生。茶髪で三白眼、猫背気味でやる気の無さそうな40代ほどの教師だ。白衣に眼鏡という装いだが、彼はそういう研究をするタイプの教科の担当ではない気がする。


「えっと……それはあれですか? 私の中の秘められた才能が凄すぎて、何で最初からやんねーの的なやつですかね」

「違ぇよ! どこをどう見たらお前の中の秘められた才能がこのA4コピー用紙に記されてるんだよ!」


 確かに私には勉強の才能は無いが、そこまで言われると流石にムッとする。


「先生。流石に私だって……えっと簡単な計算問題くらいは出来ますよ!」

「林檎6個とみかん3個あります。その中から、どちらも2個ずつ食べたら林檎とみかんは何個ずつ残るでしょうか」

「私が食べるので残りは零です!」

「もうほんとやだこいつ。俺の教師歴12年の中でここまでダメな奴は見たことねえよ」

 

 そこまで言いますか。私だってそこまでダメな生徒である自覚は無かった。


「単純な計算問題は出来るって言ってたじゃねえか」

「出来たと思いますが?」

「……ちょっと答えは予想ついたが、聞こうじゃないか。俺はお前が思うよりは、お前を高く買ってるつもりだぜ」


 先生からの信頼を感じる。正直初めてのことで少し驚いてるが、一条先生は私に期待してくれているらしい。

 私は言う。


「だって、全部食べたら零っていう計算は合ってるじゃないですか」


 一条先生は私の答えに目を丸くした。ふふん、どうだ。してやったり。私は自分が誇らしかった。

 そして先生は


「うん。予想通りの答えだ。期待通りの答えと言ってもいい。やっぱりお前は、俺が見込んだ通りのバカだ」

「んな失礼な!」

「失礼も何も……これが失礼に当たるなら俺ら教師一同はお前に対して一切の評価を下せなくなるんだが……それでもいいのか?」

「先生方みんな、私をバカだと思ってるんですか?!」


 それは何とも、酷い話だ。関わりのある一人二人からバカ扱いされるのはいいが、関わりのない先生からもバカ扱いされてしまうなんて。如何である。

 まあ私の場合、私と関わりのない人が私を知っていることなんて茶飯事なのだが。なので勝手な印象を持たれることも同じく茶飯事なのである。


「まあ何でもいいですよ。バカとでも何でも言えばいいじゃないですか。アイドル的にはプラスに働くこともあるので」


 ちょっとおバカなアイドルとか、受けがいいですよね。


「いやアイドル的にはプラスでも人間としてはマイナスだろ。それ」


 まさかの正論で返された。

 先生のこういう容赦のない、人の立場や状況を一切省みずに極標準的な視点でのツッコミは兄に似ている。私の大嫌いなお兄様に。くそ兄貴に。


「そういえば先生」

「何だ?」

「また再テストですか?」

「いやもう再テストはしなくていい。多分、お前にこれ以上あのテストを受けさせても無駄だ」

「それは、私はもう勉強をしても無駄だから遊びほうけてろってことですか?」

「そこまで思ってねえよ。勉強はしろよ。可能な限りで」


 しかしまあもう再テストをしなくていいのならそれは頂上である。


「先生方には俺から説明しとくよ。有栖川かのんはしっかりと再テストを合格したって」

「よろしくお願いします」

「ま、お前は色々と忙しい身の上だからな。学校ってのは社会でやっていくための知識や教養を付ける場だが、お前の場合はとっくに社会貢献している訳で、無理して学校に来る必要もねえんじゃねえかと俺は思うんだがよ、その辺、お前はどう思ってるんだ?」


 私は即答できなかった。確かに私に学校に来る意味は薄い。学力は悲惨なものだが、それでもアイドルとしてはやっていけているし、アイドルに学業的な資格はあまり必要が無い。あればあるで仕事の幅は広がるだろうが。しかしそれを理由に学校で勉強をするのも何か違う気がする。

 悩みに悩んで私が口に出したのは、突発的に感じた疑問だった。


「……一条先生って真面目な先生だったんですね」

「ホントお前いやだわ」



 そして放課後、特に部活に入っていない私は真っ直ぐ校門へと向かっていた。校舎を歩く中でひそひそと聞こえてきたのは、一つのうわさ話だ。


「最近、有栖川かのんをストーカーしてる奴がいるらしいぜ」


 私のストーカーだ。アイドルをやっていると不当に写真を撮られることも少なくは無い。だがストーカーに付きまとわれるなんて経験はこれが初めてだった。いや、今まではどこを歩くにも絶対にマネージャーか両親と一緒だったから、気付けなかったのかもしれない。


「ストーカーかぁ……」


 一体誰なんだろうか。私なんかをわざわざストーキングする物好きは。

 まあなんにせよ。何でもいいのだ。ただストーキングするくらいならば。私が私である以上、それくらいの覚悟はしてある。だが実際に何かされるまでの想定はしていない。私はどこまで言ってもアイドルでしかなく、蹴りの一撃で岩を破壊するような超人ではない。まあそんな女子高生はどこにもいないだろうが。

 

「誰かに助けてもらった方がいいのだろうか、これは」


 ストーカーを実は私は見覚えがあった。一週間前にだ。下校中の私を後ろから付けてくる影があった。影だ。そこに実体は無かったのかもしれないが、影があるのだからやはりそこには実体がある。物体が光の移動を妨げた時、そこに影が伸びる。

 光と影の間には物体があるのだ。人には光と影があるというのもそう考えれば納得のいく話だ。


「まあ何でもいいけど、とりあえず誰かに相談するべき……だよね」


 さて誰に相談するか。出来れば大事にはしたくなかった。両親やマネージャに無理言って、一人暮らしとこの賽ノ目高校への入学を認めてもらったのだ。ストーカーの相談なんかした日には、きっと芸能人ご用達の学校に移されてしまうだろう。


「こういう時に相談できそうなのは……!」


 一人しかいない。出来れば頼りたくはないが、背に腹は変えられない。私は目的地へと足を進めようとしたのだが、


『かのんちゃん』

「わひゃぁ!」


 声無き声が聞こえた。素っ頓狂な声を上げてしまい、私は羞恥に頰を染めた。声無きものが聞こえるというのも変だが、とにかくその人物は私に語り掛けてきているのだから、聞こえたという表現が正しいのだろう。

 私に向けて、スマホの画面を見せてきているのはクラスメイトの二草百花ちゃんだ。喋らずこうしてスマホの画面を介して意思を伝えてくるのだ彼女は。


「百花ちゃん。どうしたの?」


 彼女が話しかけてくるなんて珍しい。彼女とはそこそこの知り合いだが、帰り道に話しかけられるなんて。


『かのんちゃんが、何かを気にしているように見えた』

「……」


 全く鋭い。普段から何も考えて無さそうな顔をしているが、流石は生徒会の役員をやっているだけある。


「別に。何でもないよ」


 実際に何でもないのだ。まだ何も起きてはいない。私がそう言うと、百花ちゃんは困ったように眉を寄せる。割と本気で心配してくれているらしく、少し嬉しかったが、今の私には余り他の人と雑談に興ずる元気はない。


「だから、ありがとう。何かあったら相談させてもらうね!」

 

 そう笑顔で告げると、彼女は言った。


『分かった。がんばってね』


 何だか心配してくれている彼女に対して心苦しいものがある。しかし私という人間は有栖川かのんという人間は、人を信用するのが苦手なのだ。

 

 そして私は、とあるマンションへと向かうのだった。

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