第12話「はるかアゲインPartQ」

 我が校の生徒会はアホみたいに仕事熱心だ。元々賽ノ目高校には有象無象の部活があったのだが、彼が生徒会長になってからそのほとんどが潰された。弓道部もその対象だったのだが、弓道部は三年生の異常なカリスマ性と、それに伴う部員の圧倒的な数の差があり、強硬手段をとっても廃部には追い込めなかったという。

 そうなると今の実質部員が僕一人という状況は相当に悪い。だって僕が部活を辞めればそれだけで廃部になるのだから。僕に何か仕掛けてくるかもしれない。それは十分に考えられた。

 

「それで俺に手を貸せと」


 恭弥が僕を見ながら言う。見ただけで分かる。明らかに面倒臭そうな顔だ。


「生徒会には風紀委員会っていう武力集団がいるだろ。僕がそいつらに畳まれないように護衛をお願いしたいんだ」


 風紀委員会は委員会でありながら特殊な立ち位置にいて、公務の様なものが存在しない。ほとんどのイベントにおいて彼らは自由行動を認められている。そんな彼らにとって仕事とは一つだけ。生徒会の犬となることだ。

 生徒会にとっての敵を砕く。それだけが彼らの存在意義なのだ。


「風紀委員が動き出せば、僕じゃあどうにもならなくなるからな」

「……あそこの連中は俺でも手を焼くんだがな」


 恭弥は強いがそれはただ喧嘩が強いだけだ。風紀委員には武道系の運動部所属の生徒が多数在籍している。だからそんな生徒に囲まれれば恭弥と言えど無事では済まない。そこを見越して僕はお願いをしているのだ。

 とりあえず奥田恭弥という戦力の確保は済んだ。生徒会が風紀委員を使う

「……Blu-ray一本」

「はぁ?」

「今度発売するアニメのBlu-rayの初回限定盤を買うのならば、お前の護衛をしてやる」

「幾らなんだ? それ」


 確かアニメのBlu-rayとなると結構高額だった様な気がする。恭弥は値段を言わない。お金は命には代えられないだろう。


「……まあ何でもいいさ。分かったよ。アニメのBlu-rayでも何でも買ってやるから」

「契約成立だな。これからは俺を剣だと思えマスター」

「気持ち悪いなやめろよ。それにお前は剣ではなく盾だ」


 可能性は、最悪の可能性なので無いのが一番だ。それに無いなら無いで恭弥を有効に使えばいい。人数は武器なのだから。


「で、これからどうするんだ? それと俺はお前の状況をよく知らんのだが」

「よく知らなくて快諾したのか。お前にとってアニメのBlu-rayって命を懸けるようなものなのか」

「愚問だ。俺を待つ嫁の為なら命を懸ける。それが男ってものだろう」


 その台詞を三次元相手に言えるのなら、こいつは相当カッコいい男なのだが。


「しかしだな、自分が思う一番大事なものというのは、それこそ命を懸けるべきものだと俺は思うぞ」

「急にどうした」

「ここ最近のお前は大事な物を見つけているような気がしたからな。人生の先輩としての台詞だ」

「……」


 大事な物。守らなければならない物。確かにそれの為ならば命を懸けるべきだ。例え何が起ころうとも。だが僕にはそんな物を見つけたという実感はなかったのである。


「お前を先輩にしたら僕もいずれ捕まっちまうだろうが」


 しかしまあこうしてこのようにして、僕は奥田恭弥と契約を結んだのだった。弓道部復活に向けてのパズルのピースがどんどんと集まっていた。



「……それで?」


 どうでもいい話はここまでにして、時間は今になる。放課後の部活。静かな弓道場に僕と西園さんだけだ。

 僕は恭弥と契約を結んだことについて彼女に話していた。その反応が「で、それで?」だ。


「それでも何も……それだけだぜ」

「あー……私が聞きたかったのは、風紀委員会についてなんだけど……そんな委員会あったの?」

「ある。西園さんの疑問も最もだ。風紀委員会は他の委員会と違って、特に決まった活動が無いからな。それに担当の先生もいないみたいだし、だというのに権力はやたら強くて学校じゃあ裏の生徒会なんて言われてるんだ」

「何その設定」

「設定なら僕もよかったよ。一体何年代の設定だとは思うけどよ」


 そう。本当に設定上ならばいいのだ。設定上ならば実害は無いのだから。


「あいつら武道系の部活とかから人員スカウトして人数増やしてるんだけどさ、どうも血気盛んで武力的な解決を良くしようとするんだよ」

「じゃあここでこうしてるのも危ないんじゃ……私帰ってもいい?」

「いや、むしろここでこうしてるから安全と言ってもいい」


 まあ西園さんなら一人で歩いている分には危害は加えられないだろうが。それについては黙ることにした。


「一応最低限のルールみたいなものはあるらしくて、学校の備品を壊さないっていうルールはあるみたいだぜ。後、直接的手段をするからこそ搦め手をしてこない」

「搦め手?」

「人質取るみたいなの」

「いい人たちなんだ」

「ただ喧嘩したいだけだろ」


 それにいい人はそうそう殴りかかってこない。


「まあ何でもいいけどさ。とりあえず恭弥がいれば何とかなる」

「奥田君ってそんなに強いの?」

「強いぜ。元サッカー部で運動神経がいいだけじゃなく、センスもあるからな。武器も地十人に囲まれて無傷で全員倒したっていう逸話もあるくらいだ」

「ふーん……」

「何か反応薄いな」

「この学校に来てから色々あってあまり物事に驚かなくなったのかも。まだ三日しか経ってないのに」

「そいつは何ともご愁傷さまだ」

「君にも半分くらいは責任あるよね」


 まあ何はともあれだ。

 少しは事態が進んだからこそ、やらなくてはいけないこと、やるべきことへと僕は足を進めることが出来るのだ。


「西園さん。一つだけ聞いてもいいか」


 僕はそれまでの軽い空気をかなぐり捨て、毅然と彼女を見た。きっと僕の言葉に彼女は傷つくだろう。少なくとも彼女は僕を信頼はしてくれているのだ。それにつけ込むようで申し訳ないが、僕の為に、何より彼女自身の為に、僕は鬼になる。ならなくてはならない。


「弓道を辞めたってのは本当なのか?」

「うん。本当だよ。私は一度弓道を辞めてるんだ」


 その答えは予想通りのものだった。予想外だったのは彼女がさも当然の様に明かしてきたことだ。笑いながら、目は笑っていないが。

 僕は彼女がもっと言い難そうにするのか、誤魔化すのかと、そういう人間らしさを期待していたのかもしれない。僕は彼女に対してただただ恐怖を感じていた。


「……」

「理由なんて簡単なものだよ。君は私が弓を引いているのを見てどう思った?」

「そりゃあ、凄いなと」

「そうだよね。多分ほとんどの人がそう言うんだと思う」


 自信満々いや自分を客観的に見ているというのか。


「ほとんど……?」

「ほとんどだよ。こんな言い方するとあれだけどね。でさそのほとんどの枠から外れている人はどう思うと君は思う? 私の射を見て、ほとんどの枠から外れた人はどう感じるのかな」


 ほとんどの枠から外れた人。彼女の言うその人達は一体誰なのだろうか。僕には彼女の過去を想像できない。出来る人なんてほとんどいないだろう。

 何も言えずにいると、彼女が言った。


「分からないよね。君はそのほとんどの人じゃないから」

「……」


 失望……ではないきっと諦観だ。彼女は諦めてしまっている。何を? まだ分からない。


「どう思うかと言うとね、妬ましいだよ」


 妬ましい。つまり嫉妬だ。まあ分からなくはない話だと思う。彼女は美しく強い。一度しか弓を引いているのを見たことはないのだが、あのレベルは高校生程度では並び立つのも出来ないだろう。あまりに圧倒的なものを見ると人は諦めてしまうものだ。だがそれを許容できない人種もいるということだろう。


「中学校まではね。別にそういうことも無かったんだけど。高校に入ってから、天宮館に入ってから、弓を引く時に人の視線が気になる様になったんだ。何で気になるんだろうって思ったらさ、私はどうやら強い敵意を向けられていたみたいでね」


 天宮館は弓道の名門校だ。僕なんかでは入ることも許されないであろう部活。そんな環境においても、彼女はエリートだった。エリートの中のエリートである。

 天宮館に入るような人間だ。自分がエリートであることは自覚しているだろうし、自分がエリートであることを誇りに思っているだろう。その誇りを恐らく彼女は踏みにじったのだ。それも部員全員の。


「私は部活から居場所を無くした。ていうか最初からなかったのかもね。それまでは良くも悪くも人の評価はそこまで気にしてなかったし、敵意を向けられたこともないんだよ。あ、この場合の敵意はライバル扱いとか超えるべき壁と思われるのとは違うよ」


 彼女は言葉を紡いでいく。悪夢のような現実を。


「でまあそんな中でも割と普通に私はやってたんだ。一人は好きだったから。でもある日、私が入部して一週間が経った時かな。初めて外したんだよ」


 初めて外した。そんなカッコいいことを言ってみたいものである。僕の場合は初めて当てたになるだろうが。


「外した時さ、周りで驚きの声が上がったんだよね。それも割といいことがあったぞ的なの。ひそひそと話す人もいたりさ、私を笑いながら見ている人もいたっけ。顧問の先生なんて怒ってきたからね。何で外したんだって。私だって外す時は外すよ」


 ああ知りたくなかった。天才が天才であるが故の悲劇を。現実を。いつまでも憧れに留めておきたかった。だというのにこんな現実を知らされたらもう僕は憧れられないじゃないか。

 声音は多少笑っている様に見せているが、顔は一切笑ってはいない。むしろ感情が死滅していた。


「天才だ、実力がある。そんな言葉で勝手に人を持ち上げておいて、いざ雲の上の存在と分かると、今度は勝手に諦める。そんな部活の空気に私は耐えられなかったんだよ」


 歴史の授業などで知った数々の天才はそのほとんどが人格の狂った人間だと、僕らは聞かされるがそれは暗に彼ら天才の周囲にいる人間が彼らを理解していなかっただけではないか。多分、これはそういうお話だ。


「これが私が弓道を辞めた理由だよ」


 こんな話を彼女は顔色一つ変えずに話しきった。そうなるまでにどれだけの涙を流したのか。どれほどの感情を擦り減らしたのか。僕なんかでは分かりようもない。それは何よりも明らかなものだ。だって僕は彼女とは別人で、彼女とは全く違う過去を持っているのだから。だから僕は彼女に対する遠慮は一切しない。してはいけない。


「じゃあ何で僕の前で弓を引いたんだ。いや違うか。何であの日、弓を引こうと思ったんだ?」


 彼女は最初から弓を引くつもりで来ていた。それは準備していた道着などから見ても明らかだ。


「別に。ただの気の迷いみたいなものよ」


 彼女は分かりやすく、不機嫌になった。


「……」


 踏み込むべきか。ここで踏み込んでしまえば、僕はもう後戻りが出来なくなる。彼女の中に踏み込めば、もうただの彼女の友人にはなれない。敵か、友人の先の何かにしかなれない。考える必要は無かった。


「気の迷いっていう割には、弓を引いてた時、楽しそうだったよな」

「……?!」


 意表を突かれたように彼女は驚いた。自分でも実感が無かったのだろうか。それともあの時、楽しかったのは僕といたことだとでも錯覚しているのだろうか。だとしたらそれは大きな間違いだ。


「この世の春が来たみたいな、そういうレベルで浮かれてたぜ。溜めに溜めた石で狙っていた星五キャラが出た時の恭弥と似たようなもんだ」


 本当に好きなことをしている時、人は総じて人様に見せられないような反応を見せる。あえて言葉を選ばないならば「気持ち悪い」だ。

 気持ち悪いというのは他人から理解されないということだ。どういう形であれ、西園さんは他人から理解されなかった。西園遥をちゃんと見て評価した人間など、まだどこにもいないのだ。

 西園さんは、これまで見たことも無いくらいに語気を荒げる。


「ふ、ふざけたこと言わないでよ。私が浮かれてた?! 何でよ。あの日は、君と一緒にいて楽しかったって前にも言わなかった?!」

「一度も言われてねえよ。いや言われたとしてもきっと僕は誤解してた。お前はあの日、弓道が楽しかったんだ。見ず知らずの男子と談笑したことなんてどうでもよく思えるくらいにな」


 考えてもみれば当然のことである。国宝クラスの美少女と関わっていて完全に麻痺していたが、普通初対面相手に人はそこまでフランクにはなれない。僕は人並みに普通ではない。なので例外だ。

 クォーターの彼女も、どこかに日本人じゃない血を持つ彼女でも、例外なのかもしれないが、それは置いといて。そもそも女子が見知らぬ男子と二人きりでずっといるなんて状況は明らかに異常なのである。僕はそれに気付けなかった。まるで物語のように進んでいく展開に認識が麻痺していた。


「そりゃあ僕だって自分にどれほど魅力が無いかは十分に分かってるさ。だから本当は考えるまでもないことだったんだよ。お前が僕を見ていないことは。お前の物語の中に僕がいないことなんて、初めから考えるまでも無いことだったんだ」

「……」


 とはいえそれに何が問題があるなんてことはない。僕だって彼女を利用していたのだ。僕を利用して悪いなんて道理はどこにもない。

 僕の部屋に普通に入って来たのもそうだ。僕を男として見ていないどころか、僕を認識すらしていなかったのだから。人畜無害を通り越して最早空気である。彼女が嫌った空気、ならば彼女が嫌いにならない空気だってあるだろう。そんな空気に僕はなれるだろうか。


「別にそれに関しての何か謝罪が欲しい訳じゃない。ただ僕は思い出してほしいだけだ。お前が何を思ってあの日、弓を引こうなんて考えたのかを」

「……」


 彼女は考える。自分がどうして弓を引いたのか。

 だがそれは恐らく考えるまでも無いことだ。人が何かをしたい理由なんてそんなに難しいものじゃない。


「きっとこう思ったんだろ。弓道がしたいと」

「弓道が……したい……」

「部活辞めて、学校も転校した。何でウチに来たんだよ。天宮館なんてエリート校からウチみたいなバカ校に」


 その二つの高校に共通点があるとしたら、どちらにも弓道部があるということだ。


「だっておかしいじゃねえか。将来を考えれば、どう考えても天宮館にいた方がいい。ウチに来たって最低限の高卒資格を得られるだけだ。正直、行かないよりはマシ程度でしかない」

 

 だというのに彼女がウチに来た。そこに理由が無い訳が無い。


「この賽ノ目高校に弓道部があるから来たんだろ。だからあの日、弓を引きに来たんだろ。空気が変われば、弓も引けると思ったんじゃないか」


 僕の答えに彼女は、小さく笑った。それは初めて見た彼女の素の笑顔だ。


「君は不思議な人だね。何も興味が無い様に見えて、かなり周りを見てる」

「……そりゃ僕は脇役だからな」


 周りの空気代表みたいなものだ。傍観者だ。


「そうだね。私がここに来た理由はそれで正解だよ。何となく弓道部がある高校を選んだのは確か。あの日、ここで弓を引いたのも場所が変われば引けると思った。でもねそれは違ったんだよ」

「……違った?」

「うん。場所が変わっても、空気が変わっても、弓を引こうとする度にあの高校でのことを思い出すんだ」


 だから彼女はここ二日、一度も弓を引こうとしていなかったのだ。僕の指導なんていう丁度いい逃げ道を用意してまで。フラッシュバックするのだろう。それほどまでに天宮館でのことは彼女の心に深い傷を残した。


「あの日はどうなんだろうね。多分、初対面の男子と二人きりなんていう初めての状況に認識が麻痺してたんだろうね。だからかなあの日は本当に楽しかった。楽しかったんだよ」


 そう寂しげに彼女は言った。まるでもうあの日はやってこないと言っているみたいだった。


「私の過去も、全部君には話すつもりだったんだ。部長だし部活には入らないつもりだったからさ。話すことで私の気持ちに決着をつけようとしたんだけど……」


 僕みたいな脇役がその決着の場を搔っ攫ったということだ。主役を食う脇役というのも極稀にいるものだ。


「じゃあどうすんだよ決着は。僕は過去を知った。だからもう決着をつけられるんじゃないか?」

「うん。そうだね。これ以上、引き延ばしをしてもしょうがないか。だから決着をつけよう」


 彼女が示してきたのはあの日の続きの賭けだ。

 弓を一本引き、当てたら西園遥は弓道部に入る。外したら入らない。あの日と違うのは引くのは僕ということだ。


「君が決めてほしい。私の心を暴いた君なら、その資格はあると思う」


 弓道というのはアーチェリーと違い、狙って当てる競技ではない。綺麗で正確な射形ならば誰でも中てることは出来るのだ。だがそれが一番難しい。誰だってそうだろう。教科書通りにやるなんてのは実は何よりも難しいのだ。完璧を追い求めるならば人は自然と自己流になりがちだから。


「……」


 自己流なんてそんなものは脇役の僕には存在しない。僕は脇役だから誰かを引き立てることしか出来ない。必殺技も、異能も、そんなものは無く僕にあるのは誰かの踏み台にしかなれないこの体だけ。

 だったらそれを有効活用するしかないだろう。僕のこの肉体を。


「……」


 僕は道着に着替えた。勝負服というやつである。

 弓掛を装着し、弦を張り直し、弓を引く準備をした。


「……?! ねえ有村君ってさ、中学校から弓道やってたりしたの?」

「いややってないぜ。僕が弓道を始めたのは、高校生になってからだ」


 西園さんが驚いたのも無理はない。弓道を始めたからってすぐに弓を引けるわけではない。射法八節を学び、射法八節を知り、射法八節を刻み込んでようやくだ。基本を知り、基本を極めるのが弓道ともいえる。

 基本を知るには、弓は使わずにゴム弓という練習道具を使う。大体一か月か二か月か。これは西園さんの様に中学からの経験者でない限り、通常通る道だ。

 そして弓掛や道着を着用する機会はそうした練習期間を経てからなのだ。つまり僕に弓掛や道着を着ける練習をしていた時間はあまり無かったということだ。

 きっと彼女はそこに驚いたのだろう。


「さて……準備も終わったことだし、やるか」


 僕は射場に立つ。的を見る。

 射法八節を一節ずつ丁寧にこなし、弓を構えた。

 きっと僕は外すと誰もが思うだろう。僕だって自分がまさか中てられるなんて思っちゃいない。そう思えるだけの根拠はどこにもないのだから。


「……」


 僕には何も無い。特技も無いし欠点も無いし、画一的な人間なのだ。僕は。

 昔からそうだ。何でもかんでもとりあえず基本は素早く覚えることが出来るのだ。料理だってそう。単純な調理行程ならば問題なくこなせるが、応用や個人の技量が必要になると何も出来なくなる。道着や弓掛の装着だってそうだ。

 僕は基本は完璧だ。僕には個性が無く、僕にとっての完璧には自己流は無い。

 故に僕は的に矢を中てるのではない。弓を引くだけだ。射法八節をこなすだけだ。


 結果的に、僕は的に矢を中てた。

 狙ったのではないし、始めから中てる意図は無い。ただ中っただけである。


「……」


 僕は西園さんを見る。彼女の表情は読めない。喜んでいるのか、悲しんでいるのか、驚愕しているのか、失望しているのか。


「綺麗だった……」


 彼女は一言だけ言った。それだけで分かった。彼女は圧倒されたのだ。僕なんかの、脇役如きの完璧な射法八節を。完璧なる基本形に。

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