第11話「はるかアゲインPart8」
天使にも似た悪魔ほど人を迷わすものはない。
——ウィリアム・シェイクスピア
西園さんが賽ノ目高校に転校してきて、もう二日が経つ。時間というのは随分と面白いもので、その時間の密度によって過ぎる速さが変わっていくもので、この二日間は僕にとっては一日にも満たないような気がしていた。
「部活のメンバー集め、捗ってる?」
西園さんに声を掛けられて僕は、改めて自分がそこにいるという自覚を覚えた。
校門の前でとりあえず弓道部の勧誘ポスターを配ることにした僕は、朝練を行う部活の生徒に混じって登校した。そしてそれから数十分、校門の前で張っているが、なかなか部員は集まらない。考えてみても当然のことだ。だって今は十月。部活をやる気のある生徒は既に何らかの部活に入っているだろうし、弓道なんて元から興味が無ければ入らない。
事実として僕が印刷してきたポスターはまだ一枚も減ってはいないのだった。
「全然ダメだ。これじゃあ西園さんが配ってもダメなんじゃないか?」
「どうだろう。少なくとも私がこうして話しかけたおかげで君という存在が他の人達にも認識されているのは確かだよ」
「それは誰よりも僕が分かってるから、改めて言わないでくれ」
実際、そうだった。西園さんが来た事で、こちらを見る生徒の数が明らかに増えた。零から百ほどに。だがその視線のほとんどが嫉妬にまみれている気がしたのは多分、勘違いであるまい。
「西園さん狙いで入部してくる奴もいるかもな」
「でも私、仮入部だよ?」
「そこが問題なんだよ」
「それに私狙いで入部してくる人が、弓道部のまっとうな部員って言える?」
「そこも問題なんだよ」
「そもそも部長が君だしね」
「そこは問題ないんだよ」
部長だからってキラキラしていなければいけないなんて理屈は存在しない。むしろ部長は誰よりも、セピアでなければならないと僕は思うのだ。
「君はイカ墨だったのか」
「そういうことは言ってない」
当たり前のように僕の心を読まないでほしい。
「君はイカクサいのか」
「そ、そんな訳無いだろ?!」
「何で必死なのよ」
イカクサいは女子から言われる一番の暴言だと思う。下手したらセクハラ発言だ。
「で、これからどうやっていくの?」
「ああ。部員集めは少し考えがある。だけどその為にも打開しないといけないものがあるんだ」
「……?」
西園さんは小首をかしげた。どうやら自覚は無いらしい。
今後この部活に人を集めるにしても、部活としてやっていくにしても、いつまでも仮入部でいられると困るのだ。
「まだ始まったばかりだ」
だがこの時の僕は知らなかったのだ。まだ何も始まってすらいないことに。
問題が起きたのは昼休みだ。朝に配ったポスターの余り(つまり全て)を、僕が学校中に張って回ったものが全て僕の教室の上にリリースされていたのだ。四限の体育を終えて、机の上の惨状を見て僕はため息が漏れた。
「うーん……やっぱりか……」
普通こういう張り紙は生徒会の印が無ければダメなので、剥がされる覚悟はしていた。リリースされるとは思いもよらなかったが。それと生徒会が張り紙を認知してから全て剥がすまでの時間が速すぎるように思えたのだ。
弓道部は生徒会と大揉めして出来たという経緯がある。その大揉めの仔細はかなり厳密に隠されているのか、どこにも情報が無いが、だからその弓道部が自然消滅から復活するのをよく思われないとは思っていたのだ。
この速さはそれゆえか。または偶然か。それとも何かの因縁か。
「あらあらどうしたの? そんな懐かしい物を広げて」
と言いながら僕の隣にやってきたのは四十万鹿之という女子だ。同じクラス。つまり一年一組。出席番号は1番。野暮ったい眼鏡と三つ編みが特徴の、これといって特色のない女生徒だ。彼女はニヤニヤとまるで僕を見透かしたように、瞳の奥の黒目は昨日見た夜の闇のように、僕を射抜いていた。
「別に。お前には関係ないだろ。いや訂正。もう関係ないだろ」
「そんな酷いことを言わないで。私達同じ部活のよしみじゃない」
「元な。時系列をしっかりと確認したらどうだ? 今は十月だぜ」
僕の嫌味を彼女はあっさりと流して、僕の机の上のポスターをうっとりとした視線で撫でた。まるで初恋の相手を見つけたよう……などと言う可愛らしいものではなく、お気に入りのおもちゃ(人)を見つけたような、そんなぞくりとするものだ。
「でもそのポスター。本当に懐かしいわ。それを見て私はこの部活に入ろうと思ったのだから。訂正するわ。今となってははあの部活ね」
四十万鹿乃は元弓道部員だ。九月に退部していった中の一人が彼女なのである。
「お前には色々と聞きたい事もあるんだけど、今は構ってやってやる余裕は無いんだ。後にしてくれ」
「酷いわね。西園さんとは仲良くやってるのに、私とは仲良くしてくれないの?」
「お前と西園さんを一緒にするな。少なくとも、西園さんは美人だ」
「人を顔でしか評価しないなんて、あなたって酷い男なのね」
「それは違う。少なくとも西園さんは美人だって言ったんだ」
中身に関してはどっちも対して差はない。どっちも怖い女性だ。だが西園さんは脚の筋力やキレた時の顔が怖いのに対して、四十万のは底の見えない怖さだが。
「でも私は好きよ。あなたのこと」
「――」
僕は何と答えたのだろうか。何となく何かを言ったような気はするが、僕の認識が鼓膜が聴覚が僕の言葉を認識できなかった。
「っ……」
視界が歪む。こういう感覚には覚えがあった。疲れが限界の時にベッドを見つけた時に急に来るようなやつだ。四十万の声だけがやたらと脳に響く。
「あなた達、弓道部を再建させようとしてるのよね」
曖昧にも僕は頷く。どうやら体はまだ動くらしい。ついでに声も出るみたいだった。
「あ、ああ……」
「でも上手くはいってないみたいね」
まあこの状況を見れば誰でもそう思うだろう。
「笑いたければ笑えよ」
「笑わないわよ。笑えないもの」
四十万はそれまでのニヤニヤとした表情をしていなかった。なるほど。彼女なりにあの部のことを思っているらしい。数度深呼吸をすると酸素が回り血が流れる。生きている実感というのを改めて感じた。
しかし弓道部のことを思っているのならば、入ってくる可能性はあるのではないだろうか。そんなことを思いながら僕は質問をしていた。
「だったらお前は入るか? 弓道部」
「私は別にいいけど、あなたは嫌でしょう?」
「……ああ」
「弓道部には入らないわ。悪いけど。それに嫌そうな顔、誤魔化さないのね。そういう所本当に好きよ」
「冗句はいいだろ。それより何が言いたいんだよ」
早く先を言ってくれ。そう思う僕を嘲笑するかのように彼女はその顔を歪ませる。
「結論を急がないでよ。男ならどっしりと構えるものでしょう?」
「僕が男を見せる相手はお前じゃない」
「嫌われたものね」
「まあいいわ」と彼女は肩をすくめる。
「西園遥、今あなたと一緒にいる彼女だけど、あの子実は一度弓道を辞めているのよ」
そして僕が彼女から聞けていなかったことを、事も無げに明かしてきたのだった。
「……」
「反応が薄いということは、薄々は考えていたのかしら。それなら正解。西園遥は弓道を辞めている」
僕が誘っても即答しなかったのはそこら辺が理由なのだろうか。しかしだとしたら、何故彼女は弓を引いたのだろうか。
「理由については、私が言うべきことではないわ」
「お前が冗句を言っている可能性はあるだろ」
「信じたければ信じればいいし、信じたくないのならそれでもいいわ。どうせ分かるのだから」
「悪かったよ。とりあえず信じるから、本当のことだけ言ってくれ」
「とりあえず信じるとか、それ信じてない人のセリフね。やれやれ。でもまあ信じてくれるというのならもう少し話してやってもいいかな」
四十万はため息を吐くが、不機嫌そうには見えなかった。彼女は話し始める。
「彼女は挫折をしているわ」
「しているってことは現在進行形なんだな」
「そう。天宮館に居た時から今までずっと。あなたと出会って、あなたの前で弓を引いて少しは良くなったみたいだけどね」
ではその挫折が解消された時には、彼女は晴れて弓道部の部員となってくれるのだろうか。僕の疑問を分かっているだろう彼女はその答えを言わない。見透かされているみたいで業腹だが、その心遣いは普通に感謝するところだった。
「彼女の挫折については何か知ってるのか?」
「知らないわ」
「……というか何で彼女が挫折していることを知ってるんだよ。お前はその情報をどこから仕入れたんだ?」
「それを聞いてどうしようっての? あなたは私の情報を信じると言った。例え冗句だとしても、質の悪い冗談だとしても、表面上ではあなたは私を信じると言った。ならその情報がどこから出たものであれ、信じるのでしょう?」
「……」
嫌な切り返しだ。大変ひねくれている。捻じ曲がっている。
人として大事な物が欠けている。そもそも信じさせたのはそっちだというのに。
だから僕は四十万鹿乃が苦手なのだ。まるで鏡を見ている様な気分になるから。同族嫌悪だ。
「まあとにかく分かったよ。お前の言っていることに嘘は一つもないって信じるさ。だからお前と彼女の関係について聞かせてくれ」
「中学時代のライバル。私も彼女も中学から弓道をやっていてね、ああ彼女については知ってたっけか。まあそういう訳で私が彼女を知っている理由はそんな単純なものなんだよ。県大会で優勝を彼女に譲ってから私は彼女との再戦のチャンスを待ってて、彼女に関する情報を集めてたんだ。それで知ったという訳」
「ってことは割と真っ当な理由なんだな」
彼女に危害を加える目的で、情報を集めていた訳ではないと知り、僕は少し肩の荷が下りた気がした。
「ま、本人の許可を得ずに勝手に情報を収集することにどれだけ理由を付けても、まっとうにはならないと思うがね」
それはそうなのだが、今はそういう次元の話はしていない。
「僕としては最終的にその情報で彼女を貶める可能性を危惧していたから、それが無いだけで十分なんだよ」
「……それならいいわ」
何となく、彼女が投げやりな反応をしたのだが、僕にはその理由が分からなかった。全く。分からないことだらけだ。
席を立つ。これ以上彼女と話すことは無いというアピールと、これ以上話せないという降伏の二つの意味があった。
「君が悩んだ時はまたおいで」
そう言って彼女は笑った。僕を見透かしているかのように。
悪魔がいるのだとしたらこういう奴を言うのだと思う。一見無害そうで、少し近付けば可愛らしく、更に近付けば闇が見えてくる。その頃にはもう後戻りできない所まで来てしまっていてその後は――。
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