第10話「はるかアゲインPart7」
ラブコメにおいて隣室、ひいては隣の家にヒロインがいるという展開はそう珍しくない。単純に接点が多ければ好感度の上がるイベントを自然に起こしやすいというのもあるし、隣の部屋というインパクトはどれだけ地味な奴でもヒロインの印象に残りやすいのだ。だがまさかその地味な奴に僕がなるとは思いもよらないことだった。
「……」
僕と彼女は同じ部活の……彼女は仮入部だが……まあメンバーと言える。だがそれだけだ。友達ではあるが、それ以上の間柄ではない。出会ってからまだ二日目だし。知っていることなんて限りなく少なく、彼女については殆ど知らない。お互いの家に行くほどの関係性は普通、友人だとしても相当に仲のいい奴に限られるのだが……。
「何で平然と僕の部屋に来てんの」
二人がけのソファに座る僕の右斜め前には西園さんがいた。彼女は一人がけのソファに座って呑気に僕の部屋の麦茶を飲んでいた。
おまけに部屋着である。グレーのスウェット生地のパーカーと同色のホットパンツという地味な服ながら、いや地味であるからこそ白い肌がよく光る。
ごくりごくりと喉が動くのを見ていると、何だか申し訳ない気持ちになってきて、僕はつい目を反らす。
「でも入っていいかって聞いたよね」
僕の質問の意図から見事に履き違えた答えをしてきた西園さんには、とぼけている様子はない。女の子が男子の部屋に入るという意味を彼女は正しく認識してくれているだろうか。というか僕を男と思ってくれているのだろうか。ここまで余裕な態度をとられると誰に対しても同じことをしてるのかという疑問の気持ちも少しは湧いてくるものだ。
「そりゃあ誰の家にも入る訳じゃないよ。有村君は私に何かしようとか思わないでしょ?」
「まあな」
彼女の蹴りは相当に強い。手加減しても痛いし、本気でやられたら五メートルは吹き飛ぶ代物だ。そんな彼女に手を出す勇気は僕には無かった。だがそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、西園さんは噴いた。
「フフッ……即答って……」
「西園さんはナイフを持った女友達が部屋に来たら、遠慮のない態度をとるか?」
「……? それは普通に警戒するよね。だって下手したら殺される可能性もあるのだし。相手の意図が分からない事には何も出来ない」
そこまで分かっているのに、僕が即答した理由に思い至ってくれないとは、鈍感なのかわざとなのか。どちらにせよ厄介だというのは変わらないが。
「そうだ。つまり今はそういうことなんだ」
「私には君を殺す意図は無いんだけど」
「でも意図があって起こる殺人なんてそうそうねえぜ。大概の殺人はついとか突発的に起こるのがほとんどだってばっちゃが言ってた」
「……まあいいけど、ご飯はどうするの?」
僕の長々とした話を文字通り興味が無いらしく、彼女はすぐに話を切り替えさせた。だが僕も料理を作ることを忘れていたので、丁度良かった。
「あ、ああ……そうだ。って食ってく気かよ」
「そのために来たんだし」
「……何を考えてるんだ?」
彼女の行動の意図が読めない。
ソファで座りながら、テレビのニュースをぼうっと見ている真意の掴めない彼女を横目で見ながら、僕は冷蔵庫の扉を開けた。
「んー美味しかったー」
「満足してくれたなら良かった」
「満足。大満足だよ」
本当に満足してくれて良かった。まだ足りないとか言われたらどうしようかと思ったからだ。僕は空になった冷蔵庫の中を見ながら思った。
「まさか、大食いキャラとは」
金髪の美少女で、弓の名手で、大食いキャラな彼女は、お腹を撫でながら「デザートが食べたい」とか抜かしていた。それは自分でどうにかしろ、と内心で僕は思い冷蔵庫の扉を閉める。一週間はやっていける程度には備蓄はあったのだが、この夕食で無くなってしまった。
幸いお金には困ってないので、別に良いのだが。
テレビで流れるバラエティー番組を見ながら、僕が淹れたコーヒーをすする彼女の隣の椅子に座る。ちらりと彼女を見ると、途轍もない量を食べた人のお腹とは思えないほどにキュッと締まっていた。消化は早いのだろう。
「西園さんが健啖家だったとは驚いた」
「女の子だからって少食とは限らないんだよ」
「お前のあれは男の大食いレベルだったけどな」
ご飯を茶碗で五杯、山盛りの野菜炒めを平らげていた。
「ま、まあ人様の家で食べ過ぎていたことは、認めなくてはいけないけど」
「別にそこは気にしてねぇよ」
「しかし有村君は料理が上手なんだね」
「見たか! 僕の無駄な特技」
「無駄ではないと思うけど、料理が出来る男の人ってよくモテるって言うよね」
ふと口から血を吐きそうな苦しさに襲われた。多分、西園さんの言葉が原因だろう。僕は呻く様な声で言う。
「やめてくれ、その言葉は俺に効く」
「何を言ってるの?」
その俗説は褒め言葉では無い。料理が出来るからモテるは、料理が出来るのにモテないということになるからだ。顔がいいのにモテないのと同じである。
「それに、だ。料理をするからモテるんじゃない。料理が出来る奴がモテてるだけだ」
「なるほど。火のないところに煙は立たない的な」
「……微妙によく分かりにくい例えだな」
「でもさ、君ってモテてないんでしょ? だとすると料理出来る人がモテるっていうのはおかしいんじゃない?」
「僕がモテないって何で知ってるんだ?!」
「会話のノリで察せるから」
これからは彼女の前で不用意なことを言うのはやめよう。僕はそう思った。もう普通にドSの彼女は人の弱みを見つけるとそこを楽しそうに突いてくる。その度に僕の心のHPは減らされていくのだった。
「ていうか、西園さんはなんでウチで飯食ったんだ?」
今更ながらに僕は自分の中の疑問を晴らすことにした。流石にそれを知らなければ、勘違いなどで心が晴れることもなさそうだからだ。彼女が僕に興味が無いことの確認でもある。藪蛇の可能性を少しは考えたかった。
「絶対に他の人には言わないでほしいんですけど……」
と彼女は言った。
「ああ、僕は秘密を守るのは得意だぜ」
いざと言うときに有効利用できるから、という次の句は言わなかった。それで彼女は少し安心したのか、話し始めた。それはまるでどうでもいい世間話をするように。
「実は私の家、貧乏なの」
「へぇ……そうなのかー。ってはぁ? 貧乏?!」
貧乏とは言葉通りなのだろう。草を食う。冗談だと思っていたことがとうとう真実味を帯びてきたわけで、僕はこの先の彼女の言葉を聞くのが怖くなっていた。
「私は父が日本人で母親がどっちも日本ではない国のハーフなの」
「……クォーターか」
なるほど。日本人離れした美人だと思っていたが、彼女は純日本人ではないらしい。だがまあそれが悪いことではなく、むしろ僕にとってはいいことだ。彼女の金髪の美しさも地毛であるからこそというわけか。
「で、クォーターだから金が無いって訳じゃないだろ?」
むしろ海外進出してくるような妻を持つのだから、お金は持っているだろう。
「まあそうだんだけどさ。実はね私が産まれた間もない時に私の父さんの会社が倒産したんだ」
西園さんはそう言いながら口元をニヤリと上げた。
「……笑えないからツッコミたくないんだが……ネタか?」
「いえ、本当よ」
「……」
だったら何でそんな会心のネタを思いついたみたいな表情をするんだろうか。普通に笑えねえし。
「まあそういう感じでね。父さんのやっていた仕事の関係者から追われに追われてね。世界各地を周ってこの日本に逃げてきたらしいんだ。で、追われた時に稼いでいた家のお金をほとんど使っちゃったらしくて、家系がピンチになっちゃったって話」
「……反応しずらい……」
追われるような仕事って何だ? 世界各地を周る? スケールがワールドワイドだ。とりあえず彼女が元はそれなりのお金持ちの家だったが、世界一周逃避ツアーをする内にお金が無くなっていったと。
「天宮館には、部活動推薦の学費免除で行ってたんだよ」
「天宮館ってあの超エリート校か。つかそんなところの弓道部にいたんだな」
なぜそんな所からウチみたいなバカ校に来たのだろうか。疑問は尽きない。が、僕がそれを知るにはまだ彼女のことを知らなすぎる。
「賽ノ目高校は学費が安いから、学費の件は問題ないんだ」
「へぇ、じゃあこのマンションに住んでる理由は? ここだって結構高いだろ」
「このマンションのオーナーさんが私の父さんと仲が良くてその縁。母さんは父さんを探して世界旅行中。たまに仕送りを送ってくれるんだけど、旅しながらだから一定しないんだ」
「はぁ……大変なんだな」
人に歴史ありというのだろう。特に家族の話も含めると猶更だ。彼女の家族の話題は僕程度で踏み込める話では無いので、とりあえずスルーしておくことにした。
「まあ、貧乏の理由は分かったよ。で、それがウチで僕が作った飯を食べた理由に繋がるのか?」
「……」
「おい、何だよ。ここまで来て急に無視するのか?」
「いやそうじゃなくて、ここまで話したのに察することも出来ないのかとちょっと落胆しているというか……失望したというか」
ここまでの話の流れを振り返ってみた。彼女は家が貧乏で、そして彼女は僕の部屋の隣にいる。……そこから考えられる答えは――
「はっ……まさか僕が好きなのか?!」
「いやそんな訳ないでしょ」
西園さんが人を殺しかねない程に鋭い視線を僕に向けた。背中に氷を当てられたような落ち着かない気分になりながら、僕は咄嗟に言った。
「だよな」
「冗談にしても笑えないよ」
「じゃあなんで何だ?」
西園さんは気まずそうに目を伏せる。まさかここまで言いにくいことだったとは思わなかった。両親の話などを普通に話していたのにこの程度のことで言い渋る理由は何だろうか。
「ここでご飯を頂いたのは、お金が無くて夜ご飯準備できなかったからで……」
「ああそういうことか……!」
つまりは僕に借りを作りたくなかったのだろう。そんな心配せずとも貸しになんてしない。彼女が部屋に来てくれるという奇跡の前では僕程度の貸しなんて無いのと同じだ。
「別に飯食いたきゃいつ来てもいいんだぜ?」
「本当に……?! いいの?!」
僕の冗談に西園さんは目をキラキラと輝かせる。僕は自分の言ったことを本気で後悔した。
「いや……流石にいつでもはじょう……」
「嘘だったら許さないから」
「だんじゃないですはい」
まるで蛇にでも睨まれているような気分で、僕は自分の冗談を冗談ではないと認めてしまった。全く冗談じゃない。何が悲しくて金髪の美少女……訂正。大食いの美少女相手にご飯を作り続けなければいけないのか。幸運なことだとは思っているし、特別で光栄なことではあるが、それでも面倒には変わりない。
「口は災いの元……か」
自嘲気味に呟いた僕の言葉に彼女は言った。
「災い転じて福となすとも言うでしょ」
それは何とも自分に自信のある彼女らしいセリフだ。まあ別に。彼女に料理を振舞うのはやぶさかではないのだ。僕の料理に美味しいと言った初めての人で、僕の料理を食べた初めての他人だから。だから面倒ではあっても、それを必死に拒む理由は僕には無い。
「何でもいいけどさ」
それにこうして彼女と関われるのは部活についての相談をしやすいという意味でもある。流石に学校で彼女とずっといるのは、周囲の目もあって大変なので、僕の部屋という完全なプライベート空間ならば話せることも多いのだ。
「有村君は」
西園さんがコーヒーを一口啜る。そしてぷはっと息を吐いた後、言った。
「有村君は何で弓道を始めたの?」
「特に理由は無いよ」
適当に返したのではなく、それは真実だ。だが、僕の真実に「ふーん」と彼女はまるで何か隠しているのではないか、という疑いを向けて来ていた。
「本当に理由は無いんだぜ。あったとしても、それはお前からしたらとても矮小なものだ」
「その矮小なものでもいいから知りたいんだけど」
「ただの興味本位だよ」
「興味」
「うん。何も弓道を上手くなりたいとか、弓を引くのが我の生き甲斐だとか、モテる為に弓を引くとか、そんなご立派なものは持ってないんだ」
最後の一つは一時考えていた時期はあったが、そもそも弓道をするからモテるのではなく、モテる奴が弓道をやっているだけなのだという当然の思考に行き当たり辞めた。
「僕は弓道という競技に興味があった訳でもないしさ、ただ人の弓を引く姿に興味があっただけだよ」
あれはいつだったろうか。中学校か小学校か、制服を着ていたのだから中学生時代だろう。とある女子の弓を引く姿に僕は電撃でも撃たれたかのような衝撃を覚えたことがある。今となってはそれも風化して思い出の一つになってしまっているが、あれは忘れられない出来事だったらしく、僕は高校に入っても何となく弓道部に入っていた。まあそんなんだから自分の不甲斐なさを自覚して幽霊部員と化したのだが。
僕の赤裸々な言葉の数々に彼女は否定するでもなく、肯定するでもなかった。
「それは、とても立派な理由だと思うわ。ううん。本当は理由に優劣なんて無い。それはその理由に対するその人の中での優劣でしかないと思うから。だから君のその理由も君の中では立派な理由なんだと思うよ」
「なるほど。それは随分と正鵠を射た言葉だ」
森羅万象は受け手により印象が変わる。何をしてもそいつの印象次第で役が決まる。彼女の発言はそんな核心を射抜いた言葉だ。弓道部の人間だけに。思えば、彼女と会った日の彼女が放った矢も正鵠を射ていた。関係は無いだろうが、何らかの因果関係、運命めいたものを感じてしまうのは気のせいだろうか。
しばらく話し込んでいると日付が変わっていたのに気付く。今日も学校なので早く寝なければ。いやそれ以上に女の子をこんな時間まで僕の部屋に入れているという問題点があった。
「そろそろ部屋戻った方がいいだろ」
「そうだね。流石にここに泊めてもらう訳にもいかないし」
「送ってくよ」
「別にいいのに。隣なんだから何も起きないって」
「それでもだ。送ってく」
わずか数秒とはいえ、深夜の外に出るのだ。マンションなので危険は限りなく少ないだろうが、ゼロではない。数秒目を離した隙に犯罪というのは起きるものだ。
「ありがとうね」
「別にお礼はいいよ。僕は男で、お前が女子なんだ。だから送っていくのは当然のことだ」
「へぇ君にもそういう紳士的なことが出来たんだ」
「僕から気遣いを無くしたら何も残らないだろ」
西園さんは「そうなんだ」と苦笑しながら言った。美人でなかったらぶっ飛ばしていた。だが気遣いという意味で言うならば、苦笑されても仕方が無いのかもしれなかった。 僕が行う気遣いは決してその人個人に対して気を遣っている訳ではないのだから。僕という主役になれない人間が、世界から存在を認められるには主役を立てる脇役になるしかないからだ。
「まあ何でもいいけどさ」
そんな感慨は僕の中にしかないものだ。これを他人に知られたくはないし、知ったような口を利かれたくもない。そしてそんなものは誰の中にだってあるのだろう。部屋を出ると外はすっかり漆黒に染め上げられていた。
「何か長くお邪魔しちゃったみたいだね」
「別に邪魔じゃなかったけどな」
「そ。それならよかった」
彼女は曖昧に笑うと、そのまま自分の部屋へと帰って行った。
「また明日ね」
と一言だけ残して。
「また明日」
そうして僕達の初めての夜は静かに終わりを迎えたのだった。
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