第9話「はるかアゲインPart6」

 そして地獄のような部活動が終わった帰り道。


「っ……マジで疲れた」

「お疲れ様。はい、よく冷えた水よ」


 そう言いながら笑顔で僕の頬に自販機で買ったミネラルウォーターを押し付けてきた西園さん。ちなみにミネラルウォーターは僕が買ったものだ。まさか彼女の指導方針がスパルタだとは思わなかった。大声で罵倒してきたりするのではなく、静かで表情だけは笑顔を保ったまま平然とバイオレンスしてくるので無視すればOKとかそういう次元ではないのだ。


「金髪の美少女に尻蹴られるなんてどこぞのマニアが好きそうだな」


 例えば恭弥とか。僕の隣の金髪の美少女こと西園さんは、いやらしく笑いながら言った。


「あら、有村君も途中から楽しんでいたように見えたけど」

「平然と僕に特殊性癖植え付けようとするのやめてくれません?! あと、喜んでないからな!」

「冗談よ。気にしないで」

「一切、冗談に聞こえなかったんだが」

「ジョーダンよ。言い間違えた」


 冗談とジョーダンを言い間違える理由が分からない。急にジョーダンとか言い出すとか、一体何を考えているのだこの美少女は。


「マイケルジョーダン?! って待て。ということはさっきの冗談は」

「ジョーダン」

「つまり僕をドMだと思っている訳か」

「違うの?」

「違うわ!」


 くつくつと笑う西園さん。段々と本性を現してきたということか。それほどに信頼されているのは素直に嬉しいが、可愛いからって何しても許されると思うなよ。許すけど。せっかくなので彼女のドSのノリに付き合ってあげることにした。


「まあいいよ。君みたいな美少女の豚になれるならある意味本望だ」

「……」


 何だか返答がないなと思い、彼女を見ると、こちらをまるで養豚場の家畜を見るような目で見ていた。


「いや私そこまで思ってはいないから」

 

 僕の優しさを返してほしい。というか養豚場の家畜を見るような目してただろ。

 西園さんがふと俯く。そして先程までとは違い、一切ふざける様子なく、静かに話し始めた。


「私、誰かにこうして指導をしたのは初めてだった。だから少し、勝手が分からなくて、色々とごめんね」

「……いやいや少しなんてもんじゃなかっ……いでっ」


 背中を思いきりつねられる。僕は咄嗟に言葉を選び、口を開く。


「ま、まあ……初めてなら仕方ない……よな」

「うん」


 ほぼ言わされたようなものだった。彼女の声音にはついさっきふざけていた時のような力は無い。どうやら指導を上手く出来なかったことに予想以上に凹んでいるらしい。

 どう言ったものか。こういうのは僕も苦手なのだ。


「最初から何でもできる奴なんている訳無いだろ。何も出来ないからこそ、人は練習するんだ」


 ……練習して出来るかどうかはまたその人次第だが、少なくとも何の策もない初トライで、出来る出来ないは測れない。それに彼女の指導は割と感覚的なものだったが、僕にはそこまで悪いものには思わなかった。いい指導というもののイメージが全くできないのもあるが。


「練習……」

「そうだぜ。僕だって別に怒ってはいないんだよ。むしろ四か月前よりも身になったように思えるしな」


 あれだけ蹴られながら一心不乱に弓を引いたのだ。身になってもらわねばこちらが困る。それに僕も言った通り、彼女に悪い所はない。だがどれだけ言葉を並べても彼女にはあまり届いていないみたいだった。覇気も無くなっている。まるで怒られてしょげている子犬の様だった。


「そうだったんだ……凄い涙目だったから嫌なのだと」

「な、涙目?!」


 女子高生に蹴られまくって涙目になる男子高校生とはこれ如何に。しかし蹴られるのが嫌だったのは合っている。涙目という驚愕の事実と相乗で来たので、イマイチ否定しにくかった。本当だとしても涙目は信じたくない。


「それに西園さんみたいな美少女に指導されるんだから、嫌な奴はいないぜ」

「……もう、せっかく良い事言ってたんだから、最後まで通してよ」


 そう言って、彼女は小さく笑った。良かった。ちょっとは気を取り直してくれたみたいだ。

 

「だから今後も頼むぜ、西園先生」

「ありがとう。私の方こそ頼むね。私が出来る全てを君に叩き込むから」


 いやむしろ自分の練習に当ててほしいのだが。彼女が少しでもやる気になったのなら、今はそれでよかった。


「ああ、是非とも超お手柔らかに頼む」

「うん。すっごい本気で行くね」


 アレなんだろう。致命的な所で、意見が噛み合っていないような気が……。何はともあれ、僕は明日からまともに椅子に座れるのだろうか。それだけが心配だった。



 僕は賽ノ目高校から一駅離れた所にあるマンションで一人暮らしをしている。蓮野タワーレジデンスというそこそこ大きいマンションだ。ここには僕の父親が全国にいくつかある仕事場の一つに住まわせてもらっている。僕の部屋は501だ。一人で暮らしているのだから、家事ももちろん自分でこなしている。


「スーパーに行くの?」

「ああ。僕は一人暮らしだからな。面倒でも飯は自分で準備しなきゃなんねえんだ」

「へぇ料理できるんだ?」

「いや、しないぞ」

「しない? どういうこと?」


 妙に刺々しい彼女の視線に僕はつい目を反らした。


「弁当とか惣菜とかで済ましてるんだよ。たまに自分でも作るけどさ」

「そんな生活してるから筋力が衰えるんだよ」

「うぐ……言い訳が出来ねぇ……」


 これに関しては僕も悪いという自覚は多少あった。男子高校生が毎日添加物まみれの生活をしていては、確かに体も衰えていくものだ。案外、こういう日々の生活から見直してみるのもいいのかもしれないと僕は考えたが、結局考えるに終わるのだろうことは火を見るよりも明らかだった。


「じゃあ今日は料理でもするかな。久々に」

「何が作れるの?」

「野菜炒め」


 西園さんは驚くでもなく、淡々と頷いた。


「うん。何だか、期待通りだ」

「その反応。ナチュラルに僕が料理出来ない奴だと思ってるだろ」


 まあ誰だって思うだろうが、僕は基本的な事は何となく出来てしまうのだ。料理だって凝ったものを作るのは不可能だが、食材を切って炒めたり焼いたりする程度は問題なくこなせる。


「……でも有村君がスーパーで買い物をするのなんて意外だな」

「意外か? 別に男子高校生がスーパーで買い物をするくらい普通のことだろ」

「有村君もちゃんと人として生きてるんだなって」

「僕はそこまで落ちぶれていないぞ……!」


 彼女の中で僕はどれだけの社会不適合者なのか。勘弁してほしいものだった。


「料理って人の心が出るものだと私は思うんだけど」

「そうだよな……って急にどうしたんだよ」

「愛情がスパイスとか、誰かと食べるご飯は美味しいっていうのはさ、特別な時じゃないご飯が美味しくないって言ってるみたいじゃない?」

「極論だと思うけど、まあそうじゃないか。一人で細々と食べる高級料理より、不味くても誰かと食べた方がいいってのもある話だと思うし」

「でもさそれ以前にご飯を食べられるということそのものが特別だと私は思うんだよ」


 それは確かにそうだ。両親が真っ当に働いていれば、今時の子供は生まれた時から衣食住が備わっている。余りにも当たり前が過ぎて、そこら辺への感謝が薄くなってしまっている。彼女はそう言いたいのだろうか。


「君に分かる? 寒い夜にその辺で取れた野草を食べる気分は。冬になって食べられる草が無いから仕方なく雪を食べる夜が」

「……分からないというか、分かりたくない」


 そこまで食糧問題がひっ迫しているのは、今の日本では意外と珍しいのではないか。田舎なら田舎で生きていくノウハウの様なものはあるだろうし。都会に住んでて飯食う金が無いというのも不思議な話だ。ここ蓮野市はそこらへん、中途半端な位置づけにあるが。


「つうか西園さんはその気持ちが分かるのか?」

「分かるよ。分かりまくりだよ」

「まくり……?!」


 まくりとは俗にラーメンのスープを飲み干す行為のことを言う。だがここでの意味は違う。分かりまくるということは彼女は日頃、草を食べているということではなかろうか。そんな衝撃的な事実知りたくなかった。というか信じたくない。


「いつも草食べてるのか? それは何かの比喩とかじゃないのか?」

「草だよ。草。その辺の茂みとかに生えてる草だよ」

「……」


 西園さんの体を僕はマジマジと見た。手足は細いが決して細すぎることはなく、胴も同様だ。胸は制服の上からでも分かる程度には大きく、というか十分に豊満と言え、腰もくびれている。どう見ても健康不良には見えない。草を食べてそんな体型になるだろうか。

 と西園さんが何やら顔を赤くしていた。その腕はまるで自分の体を守るかのように胸の前で組んでいる。そしてこちらをじっと睨みながら言った。


「えっち」

「ちょっと待て?! 違う! 僕は断じて君の体に見惚れていた訳ではない!」

「だったらそんな必死にならない方がいいと思う。後、こんな往来でそういうこと言うのやめてよ。恥ずかしい」

「それは……すまなかったと思ってるよ。君への配慮が足りなかった。そりゃ外でこんなこと叫ばれたら僕だって恥ずかしくて死にたくなる」


 家族以外の女性と関わる機会は今までほぼ皆無だったので、女性に対する態度というのがよく分かっていなかったのだ。男子とのノリで話してしまう。これは悪い癖だ。直さなくては。と僕が内心で反省している横で、西園さんは中々に酷いことを言う。


「私が言ってるのはそうじゃなくて、往来で卑猥な妄想をしている事実を高らかに叫ぶ人とは恥ずかしいから一緒に居たくないってことなんだけど」

「そっちの恥ずかしいかよ!」


 僕が悪いことをしたという自覚はあるが、それにしてもこのご無体な仕打ちにただ、涙を呑むだけだった。



 スーパーで買い物を終え、マンションの五階を押し、エレベーターに乗り、そして五階で降りる。いつもの動作だがいつもと違うのはここまで西園さんが一緒な事である。


「なあ、まさかとは思うけどさ。別にそこまで気を遣わなくていいんだぜ」


 部活でのスパルタをまだ引きずっているのだろうか。それならばもう済んだ話だ。それに年頃の女子が男子の家にそんな罪悪感マシマシで入るものではない。僕だからいいが、それを盾に何かを要求する奴だっているかもしれないのだ。


「気を遣っているのは有村君でしょ。あまり私を見くびらないでほしいわ」


 そんな風に嘯いて見せる彼女は確かにさっきまでの凹み具合とは雲泥の差だ。不審に思いつつも501号室の前に着いた。だが、西園さんはそれに構わず先に進む。僕の部屋に用があるのではないか? そう不思議に思いながら、彼女が立ち止まった扉の近くにあるネームプレートを見た。


「西園。502号室」


 信じられない物を見た。同性ということはないだろう。だって本人がここまで来ているのだから。西園さんも驚いたように目を見開いている。ここが僕の部屋だとは思いもしなかったということだ。つまり彼女は僕に関係なくここに来たということであり、それが意味するところは


「えっとまさかの」


 まさかそんなことがあるわけ。という思考は僕と西園さんどちらもが思っただろう。こんなラブコメみたいな展開が果たして現実で起こりうるのだろうか。確かに西園さんは主役の器だが、それではまるで僕が相手みたいではないか。


「隣室同士ってことかよ」

「えっと……何か、そうみたいだね」


 驚いて声も出ないとはまさに今の僕たちを指すのかもしれなかった。

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