第8話「はるかアゲインPart5」

 「弓道部には入部しない」と彼女はそう言った。

 僕にそう言った彼女が一体どんな思いでその言葉を言ったのか、僕には全く持って推し量ることが出来なかった。だから僕は彼女を引き入れることが出来なかったのかもしれない。覚悟を決めるという言葉の意味を僕は履き違えていた。彼女が決めた覚悟は、部活に入る覚悟ではなく、部活に入らない覚悟だったのだ。


「有村君?」


 僕の前にいる彼女は、僕にそれを伝えにここに来た。つまり、彼女はただそれだけを伝える為にわざわざ校門から遠く離れたこの弓道場へやってきたのだ。

 電話やメール、SNSでもいいだろうとまで考えて、そういえば僕は彼女のアドレスを一切知らないことを思い出した。しかしそれならそれで人づてに伝えてもらうという手段をとればいいものを。別に今日中に伝えるとは言われていないのだ。覚悟を決めると言われただけ。


「……ああ。部活に入れない。それは分かった。だけど少し解せない」

「……」

「何でここまで来た? 別に僕は今日伝えてくれなんて言ってないんだぜ」

「うん、でもどうせ来るのだしだったら今伝えた方がいいよね。じゃあ始めようか」


 とか言いながら彼女は靴を脱いで、弓道場へ入って来た。


「うん?」

「何を驚いてるの。部活、やるんだよね。だったら道場に入らないと出来ないじゃない」

「いやさっき言われたことと、今目の前で起きている事象が噛み合わないんだが」

「世の中、辻褄の合わないことなんていくつもあるんだよ?」

「まあそうだけど……でもそうではなくだな」


 今はそんな世の中の理不尽について語る場面ではない。

 

「部活に入れないって話なのに、何で部活をやろうってなるのさ」

「入らないだよ。それとこれじゃ意味が変わるよ。それに私は入部しないと言ったんだよ」

「意味が分からないぞ」


 そこにどういう違いがあるのか。


「入部しないだけ。仮入部って形なら私も部活に参加できるよね」

「……ああ」


 確かに。我が学校では、というかどこの学校でも部活に入る前に本当にこの部活でいいのかを考える為の期間がある。


「仮入部ってそれアリかよ」

「学校のルール上、入部から3週間は自主的に任意に部活に参加できる仮入部期間とするって校則にはあるよね。ルールは破ってないから問題ないわ」

「……まあ仮でも何でも弓道部には参加してくれるならいいけどよ」

「さながら今の私は弓道部員(仮)といったところかしらね」

「何だそれ。面白いと思って言ってるのか」

「うん、自分でもどうかと思う」

 

 彼女は赤面しながらそう言った。部活をやっていくのに必要なものは顧問と部員の人数だ。大概の部活ものの場合、顧問をどうするかで悩む場面は多い。が、今の弓道部は顧問の条件は満たしているが、部員の人数は足らないという状況だ。レアケースかと言えば、別にそうでもない。


「それで、他に誰を誘うか。目星は付けてるの?」

「いや、まだ誰も。誘いたくない奴ならいくつか頭に浮かぶけど、誘っても大丈夫な奴は少なくとも僕の知り合いでは西園さんだけだ」


 例えば恭弥は誘いたくない。それは趣味とかクズとかもあるし、何より彼は部活で問題を起こした。そういうメンバーを集めるのは、弓道部の印象にも悪いだろう。彼が悪いとは言っていない。彼が巻き込まれたことについて、彼が悪いところなど一つも無いのだ。


「目星無し……か。よくそれで部の再建なんて引き受けたね」

「だから言ってるだろ。僕は君が弓を引く姿をまた見たいから引き受けたんだ」

「それは何ともありがとうございますと言いますか……」

「……まあ部員集めについては考える必要があるかもな」

「ついでに友達も出来るといいね」

「それはお互いにな」


 確か西園さんも友達は五人とか言っていた。そんな彼女に言われたくはない。僕なんぞに言われて少し怒ったのか口を尖らせながら彼女は言った。


「でも友達って数だけが大事とは限らないよね」

「……それについては完全に同意だな。100人の知り合いより、1人の親友が勝るみたいな感じだろ」

「うんうん。分かるよ。友達百人できるかなっていう歌があるから、人は小さい時から友人の数だけを気にしてしまうのよね。あの歌は悪影響だと思うわ」

「流石に僕はそこまでは思ってないけど……まあああいう歌は受け取り方次第でどうとでもなるよな」

 

 童話とかは大人が見ても得るものがあると言うが、それはそういう意味なのだろう。子供が大人になって、現実を知ることで、それまで当たり前と思っていた価値観が崩されていくのだ。人はそれを成長という。


「そもそも僕には親友もいないんだけどな」

「……」


 親友などと思いたくもない友人だらけだ。

 奥田恭弥、君島或人、栗山朝陽……。最後の一人、朝陽に関しては親友と思えるかどうか分からないと言うのが正しいか。少なくとも僕は朝陽に対して一切の悪感情を抱いていない。詳しいことは後々語るかもしれない。


「友達の話は置いておかない? 多分、お互いにとって悪いことになるわ」

「ああ。やめよう。僕らの心の平穏の為にも」


 話を戻す。部員を集める手段の構築。さてどうするべきか。まず考えられるのは元弓道部員たちの再スカウトだ。


「そもそも、弓道部の人達はどうして部活を辞めたの?」

「……分からない」


 それを行うにはまずはそれを知らなければならない。あの顧問に聞けば解決するであろうことは明白だが、しかしこの真実を知るということは、この学校というよりこの学年のダークサイドな部分に触れる必要があるのかもしれない、と僕は漠然と考えていた。


「前に見た日誌には『あの輝かしい日々を』とか、『もしも時間を巻き戻せるなら』とか、そんなことを書いてたけど、イマイチそれだけじゃよく分からないんだよ。部員がいなくなったのだって、段々とって感じで何かきっかけがあったようにも思えないし」

「何かのきっかけで終わったのでなくて、集まるきっかけを失ったっていうのもあるよね」

「集まるきっかけ?」

「本来、弓道部になんて集まらない人達が、何かのきっかけで集まって、そしてそのきっかけが無くなった……」


 それはつまり自然消滅ということだ。付き合いたてのカップルのどちらかが学校を卒業するなりして遠くに行って、連絡も取り合わずいつの間にかお互いに気持ちが無くなるという。

 西園さんの推理は的を射ている様な気がした。しかしどこか見落としがあるような。自然消滅だと思えない理由が僕にはある気がしたのだ。


「一つのきっかけで集まって、一つのきっかけで部活を辞めるような奴らって何だよ。もっとやる気出せよ」

「その部活をサボってた人には言われたくないと思うけど」

「ぐうの音も出ねえ。まあ、少なくともそいつらには部活をやるだけの理由があったんだからな。僕なんかとは違うか。それにこの件は姫川先生に聞けば解決するだろうしな」


 自分の半端さに苦虫を噛み潰したような気分になっていると、西園さんが腰を折って上目遣いに言った。


「でもこれからは君も真面目に部活をやるんだよね」

「お……おう……」


 考えてみればそうだった。僕はこれから弓道をやっていくのだ。ここに入った時もそうだが、僕はどうにも自分が弓を引いているイメージが出来ない。久しぶり過ぎて勘も鈍っているだろうし。


「そういえば僕は弓を引けるんだろうか」

「……なら今からやってみようか」

「今?」


 嫌そうに僕は尋ねたが、彼女は乗り気で、やや鼻息を荒くしていた。これは、逃げられないかもしれない。


「そう、今。今だよ。思い立ったが吉日って言うじゃない。やれるかどうか気にしている今が一番のチャンスだと思うわ」


 彼女の言い分は正当で、僕にはそれを断る大義名分がない。だから曖昧に頷くしかなかった。


「そうか。そういうことならそうなのかもな」


 久々に弓を引く。その危険性は重々承知していた。だからこそ僕は躊躇していた訳で、こうして彼女から催促されない限り、弓を手に取ろうとなんて思わなかっただろう。

 体操服に着替えた僕は、弓を取る。

 久々の重さにちょっと面食らったが、まあ何とかなるだろう。弓がけという弓を引くときに弦を持つ方の手に付ける道具の付け方は何というか体が覚えていた。


「へぇ、意外だ。かけの付け方を忘れているのかと」

「こう見えて記憶力には多少自信があるんだぜ」

「それならテストの成績も期待していいんだね」

「……テストが何か関係あるか?」

「赤点だとしばらく部活出来なくなるでしょ?」

「あー……そういえばそんな校則もあったな」


 部活に行かないのがデフォになっていたから気にしたことも無かった。


「えーとその反応は、部活に行かないからどうでもいいと思ってたのか、そもそも赤点を取ったことが無いから気にしたことがない……のどっち?」

「残念ながら前者だ」


 西園さんが本気の困り顔をした。割とドヤ顔をする彼女にしては珍しい。まあ僕の問題だしな。


「うへぇ、マジかー。それじゃテスト期間も気を抜けないという訳ね」

「西園さんが勉強を見てくれるなら、多分頑張れると思うぜ僕は」

「何か違う意図が見え隠れしてるけど……いいわ。テスト期間になったら、毎日徹夜の覚悟をしてね」


 そう言いながら滅茶苦茶可愛いウインクをした西園さんを見て、僕は背筋がブルりと震えた。これだけ恐ろしいのは人生で初めてだ。二番目は料理をする母親の姿を見た時だ。あれは齢四歳にして本格的な命の危機を覚えた。


「やっぱりやめときます」

「いやそれでやめられると、この部活の部員としても困るんだけど。君、一応部長だしさ」

「そうは言うが、仮入部だろ? ならこの部活がどうなったっていいはずだ」


 西園さんが一瞬、呆けた顔をした。

 彼女は僕の言葉の意図を理解してしまったようで、「へぇ」と小さく頷いた。


「……なるほど。そういう感じで私を入部させようって魂胆ね。残念だけど、騙されてあげないわ」

「ちっ……」

「うわぁ……。本気の舌打ち」


 チョロそうに見えて、意外と頭は働くらしい。これだけ可愛いくて天才的な弓道センスを持ち、更に勉強を僕に教えるのを快諾する程度には頭もいいらしいのだ。ちょっとした会話の弾みで部活入りの言質を取るのは無理だろう。少なくとも僕みたいなモブの小悪党では不可能だ。


「じゃあやりましょうか。どうする? また昨日みたいな賭けでもする?」

「それ僕に超不利じゃねえか」


 中てられる可能性は限りなく少ない。まさか今更ビギナーズラックが発生するなんてこともあるまいし、ちっぽけな希望に託せる程、僕は夢見がちではない。


「どうかな。君は意外とやるときはやるタイプだと私は思うよ」

「買い被りもいいところだ。僕はやるときはまあまあやるタイプだ」

「謙虚なのか、高慢なのかギリギリ分からないラインだね」

「正統評価と言ってもらいたい」


 弓を構えて射場に立つ。

 脳裏に浮かぶのはまだ真面目に部活に来ていた頃の事。いつも通りそれなりに上手く出来た僕は、同期が射場に立ち始めた辺りで便乗するかのように射場に立った。確か、二番目くらいだった気がする。飲み込みも早く、先輩からは才能があるとか言われた記憶だってあった。だが、ここまでだ。ここから僕は上にはいかない。ここで僕は止まったのだ。

 いつもそうだ。僕という男は基本的なことはすぐに覚えるのに、応用や努力で上に上がる才能がとんと無い。

 だから僕は諦めた。上へ行こうとすることを諦めた。現状維持を続け、その果てに今の僕がある。だからここで弓を引くのだって形だけは何とかなるだろう。どうせ外れる。そう僕は高を括っていた。

 括っていたのだ。


「うわぁ……何というか……」

「やめろ。言わないでくれ」

「へたっぴだね」

「言わないでくれェェェェェェェ!!」


 結果は散々だった。現実というのは残酷である。僕が引いた弓は、僕の予想以上に重く、というか僕の筋力が普通に衰えており、弓に力負けした僕が放つ矢は、的に中る中らないどころか、放つことすらできずに、暴発し矢道に落下した。四ヶ月も運動してなければ、当然のことだ。

 やるときはまあまあやるなんて言っておいてこの醜態。僕は西園さんの顔を直視できなかった。しかし彼女はあえて僕の顔を見てきて、そして上の台詞。ドSだ。どことなく楽しげなのが更にそれを印象付ける。


「高を括る前に腹を括るべきだったな」

「それ上手いと思ってるの?」

「……いや全然。まさかの衝撃で、僕のお得意のジョークも全く冴えないぜ」

「ああそう」

「せめてもっと励ましてくれてもいいよね?!」

「私は人を励ますんじゃなくて、むしろ罵倒を送って激励するタイプだよ」


 くすくすと笑いながら彼女は言った。


「なるほど、やっぱりドSだ」


 僕の見立てに間違いは無かったみたいだ。間違っていてほしかったとは思うけど。西園さんは外を見ながら落胆していた。どうやら僕の射に不満があったようで、


「まあでも今はやるときではなかったのかなぁって少し残念に思ったり」


 とか言っている。


「僕の活躍はいつか見せる機会があるかもしれないぜってことにして、西園さんは練習しないのか?」

「私は今日はやめておくよ」


 弓を引くのが好きな彼女にしては珍しい。弓を引くよりも優先すべき事項が今あるということだろうか。それとも、まさかとは思うが、体調不良なのかと僕は心配した。


「どっか調子悪いのか? だとしたらすまん。分からなかった」

「体は全然元気だから大丈夫。私が今日やらないのは君の練習に付き合おうかと思ってだよ。部長なんだから誰が入って来ても舐められない程度には強くなきゃね」

「ぼ、僕は部長といっても、後方支援がメインというか……そう! 部員が快適に練習できるように場を整えるのが仕事だから……ってちょマジですいませんでしたァ! だから真顔で蹴ろうとするのやめて!」


 僕は西園さんのスパルタ指導で文字通り尻を蹴られながら、ただ一心不乱に弓を引き続けるのだった。


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