第7話「はるかアゲインPart4」

 恭弥に言われたことの意味を半分も理解しないまま、学校は昼休みに突入した。新しいことを始めたいという彼の言うことを信じるならば、速く彼女を弓道部に入れないと他の部活に入ってしまう可能性が高い。

 そうなるといよいよもって僕の部活再建へのやる気は失ってしまう訳で。僕は昼休みにになった瞬間、彼女に話しかけようとうずうずしていた他のクラスメイトに先を越される前に彼女に接近した。


「西園さん、この僕が学校を案内するぜ」


 周囲のクラスメイトからの殺意が怖いが、僕の今後の学校生活に関わる問題だ。

 西園さんは呆気にとられたように僕の後ろの殺人罪による犯罪者予備軍を眺めて、そして言った。


「うん、分かった。お願いするね」


 とりあえず彼女と二人きりになることが出来た。とりあえずとは何だという話ではあるが、彼女と話が出来なくては現状の打開は不可能だ。

 彼女が部活を拒む訳を知ること。その為にはある程度の信頼関係が必要になる。


「それでどこに行くの?」

「普通に行くところは担任がもう教えただろ? 僕がこれから案内するのは先生に内緒で生徒が利用する場所さ」

 困惑した様子の彼女を連れてきたのは学校の屋上だ。この学校は教室棟と技術棟があって、僕らがいるのは教室棟の屋上。技術棟は各階にある連絡通路で行けるが、屋上にはない。

 この学校には各部屋の鍵を勝手にコピーして昼休みになると鍵を開けて回る正体不明の鍵開け名人がいる。だから屋上にも入れるのだ。


「屋上かー」

「前の学校じゃ入れなかっただろ?」

「うん。これは内緒にしないとダメだね」


 そう言いながらいたずらっぽく笑う彼女に見とれていると、一際強い風が吹く。それにより西園さんのスカートが危ういことになる……と思いきや、本人は普通にガードしていて、パの見えなかった。何だか少し残念だった。狙っていたわけではないけども。

 

「あ、いい景色」


 蓮野市内でも高台に位置する賽ノ目高校の屋上からは街がよく見渡せる。昼間でもそれなりにいい景色なのだから夜に来たら大層綺麗な夜景が見られるのだろう。

 

「ここでのんびりと過ごすのがこの学校のぼっちの最高の娯楽なんだぜ」

「屋上、静かだしね。……こうしてるとなんか世界から人が消えたみたいな気分だわ」

「僕のギャグは無視っすか」


 とはいえ景色を楽しんでいる彼女の姿は、絵になるもので、僕はいつまでも永遠にこの風景を見ていたいとすら思った。そんなことを思っていると彼女の言う通り本当に世界に僕らだけになったような錯覚を覚える。今ならばどんなことだって言えてしまうような不思議な全能感が体に満ちる。

 

「ねえ、君はなんでそんなに私を部活にスカウトしてくれるの」

「昨日も言っただろ。君の弓を射る姿が綺麗だった。だからだ」

「それは……冗談とか方便とかじゃなく?」


 こちらを振り向いた彼女の表情はどこか救いを求めるようなものだった。だが僕に彼女は救えない。だから気の利いたセリフは言わなかった。言えなかった。

 ただ少し憤りがあった。これだけ綺麗で、あれだけ強くて、なぜこの人はここまで弱そうなのかと。僕の思う主役像にぴったりの人だと最初は思っていたのに、関われば関わる程、失望させてくれるなと、僕は彼女に対して理不尽な憤りを覚えていた。

 全くもって理不尽だ。彼女からしたら僕の憤りなどどうでもいいだろうし、勝手にそんなことを思われても困るだろう。だが人間とは勝手な生き物だ。

 だから一切遠慮なく、僕は自分の心を伝えた。

 

「冗談でも方便でもねえよ。昨日の君の射が美しかった。ただそれだけだ。実力だとか君が可愛いからだとかそんなことは一切合切どうでもいいんだよ!」


 やや叫ぶような形になってしまったが、僕は自分の中にあった思いを吐き出した。僕にしては珍しい。こういう時こそ僕は理論武装を重ねるというのに。むき出しの感情を直接伝えるのに慣れていないからか、自分の言った言葉を思い出しては頬が熱くなる。

 はっとなって彼女を見ると、顔を俯かせていた。前髪に隠れているが、怒ってはいない……と思われる。


「……ごめん。何か色々な感情が渦巻いて、上手く言葉に表せないんだけど」


 顔を上げた彼女の目は潤んでいて、喜んでいるのか悲しんでいるのか怒っているのか、とても分かりにくい表情をしていた。僕はそれを見て何故か胸が締め付けられるような気がしていた。

 吐き捨てるように彼女は言う。


「……ありがと」

「……別に、僕は言いたいことを言っただけだ。それに自分でも何でこんなことを言ったのか分からない」


 僕は自分が何をしているのかもよく分からなくなっていた。彼女に僕の思ったことを伝えてどうしろと? お互いに何も言えないまま、時間が過ぎていく。 


「弓道部の件」


 不意に彼女が言った。そういえばそうだ。弓道部の件で話をしようとしていたのだ。


「ちょっと考えさせて。大丈夫、今日の放課後までには覚悟決めるから」

「あ、ああ……」


 そう言うと西園さんは屋上の出口へと歩いていく。僕はただそれを黙って見ていることしか出来なかった。

 ほんの一瞬、すれ違った時に、彼女が言った。


「ありがとね」


 覚悟を決めると彼女は言っていたが、その覚悟はもうできているように見えた。ああ、そうだ。僕がいいと思ったのは彼女のあの姿だ。凛とした荒野の中で咲く花のような強さを感じさせる彼女が僕はいいと思ったのだ。


《4》

 放課後になり、僕は弓道場へ向かうことにした。いつもの勢いでそのまま帰宅しそうだったのだが、ギリギリ何とか踏みとどまり、こうして弓道場への道を歩いていた。学校帰りに行くのは本当に珍しく、何だか別世界に来ているような嫌なものがあった。


「……放課後になったら覚悟を決める……普通に考えたら来てくれるって感じだけど、本当にそうなのだろうか……これ全て僕の思い過ごしとかじゃ……」


 仮にそうならば立ち直れないだろう。恭弥と同じく二次元の女性に傾倒するかもしれない。弓道場へ向かう足が少し重くなった気がした。


「はぁ……くそ……卑屈になるな……」


 昼休みから西園さんとは一言も話してはいない。放課後になった瞬間だって、西園さんは教師に呼ばれていたので、来てくれるかどうかの確認も出来なかった。まあ実際のところ、今に至るまで勝手に彼女が来てくれると思い込んでいた僕のただの準備不足なのだが。


「行かなきゃ何も始まらないか……。……?!」


 弓道場が視界に見えたところで、僕は急に吐き気を覚えた。

 地に膝をつく。手をつく。まるで二日酔いのおっさんの様な、ともすれば屈辱的にも思える体勢をとった僕は、口から胃液が漏れ出そうになるのを堪えた。


「全く。どうしたんだ僕は。あんなのはもう昔のことだろう……!」


 それに部員がいない今の弓道部には全く関係のない話だ。しばらくそのままそうしていると、落ち着いてきた。道場が視界に見える場所はほとんど他の生徒が通ることはないのでいいが、こんなところを見られたら僕は恥ずかしくて自殺してしまうだろう。

 道場に着くと予想通り誰もいない。鍵を開けて、中に入る。

 改めて考えると、僕はここに弓道をやりに来たのだった。今の今まで弓を引くイメージをしていなかった。手段ばかり考えて目的を忘れていた。逆だ。目的を考えすぎて、手段のことを完璧に忘れていた。僕は弓道部の部長だ。


「つまりここは今、名実ともに僕の道場ということか」


 僕の中で沸々と湧き上がる何か。頬がニヤける。今の僕はとても気持ちの悪い顔をしているだろう。最早欲情した人間の気分だった。抑えたくとも抑えられないものというのは確かにあって、それについて考えれば考えるほどに、どんどん気分が高まってしまい。

 そして行動に出てしまうものだ。


「あー……暇だなー」


 道場の床はとても冷たかった。何をしているのかと言うと、僕はただ寝転がっているだけだ。ゴロゴロと、巻かれる寿司の様に。

 こんなことは以前なら出来なかっただろう。人も多かったし、見られるし。誰もいない空間で少し気分が動転していたのかもしれない。実際、少し興奮している。秘密基地を見つけた少年の気分だ。


「あ、有村君……」


 そして今の僕は隠していたエロ本を親に見つかった子供の気分だった。道場の入り口にいたのは西園遥だった。

 来てくれたという歓喜と、見られてしまったという羞恥と、来たんだという驚愕と、やはり来てくれたのだという安堵が僕の中にウロボロスの様に渦巻く。


「西園さん……」


 何と言おう。いや何から言おう。何から言わなくてはいけないか。

 考えに考えて僕は興奮した頭で弁明をした。


「これは……体操だ!」

「海苔巻きみたいにゴロゴロと回る体操を私は聞いたことがない」


 何故よりにもよって僕は今とっている行動に対する言い訳をしたのだろうか。それはかなり後回しにしてもいいだろうに。それよりも僕には聞かなきゃならないことがあったはずだ。


「……部活に入ってくれるのか?」


 僕の言葉はほぼ懇願に近いものだった。入ってくれというそんな意志が確かにあった。彼女はそれを悟ったのか、柔らかく笑った。その表情で僕も悟る。内心ほっとしながら、僕は彼女の言葉を待った。


「……」


 一瞬が無限に引き延ばされているかのような、不思議な感覚。僕と彼女はお互いに見つめ合っていた。彼女の表情は笑っているが、思考は読めない。それは当然だ。目を合わせるだけで相手のことが分かるのならば人生はもっと楽になるだろう。

 西園遥は言った。


「ごめん。弓道部には入部しない」


 僕の波乱万丈な人生の幕が開けた気がした。

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