個人的なことについて。

 先ほどまでずっと悩んでいることの正体がぼんやりとだが分かってきた。しかし正体が分かったからと言って直に解決するものでもない。これから書くことはかなり抽象的だし、元々この作品群のタイトル通りメモ書きであるので、読みたい人は読んで読みたくない人は読まなくていいです。これはあくまで頭の中を整理するために書くだけだからだ。意見なんてものはない。


 ここ数年は忙しかったこともあって確かに作品はあまり書けてなかったが、しかしここ半年は忙しいとかいう理由ではなく純粋に書けなくなってしまった。書きたいという欲があるにも関わらず、形にしたいものを上手く表現することが出来ない。なのでこんなエッセイしか今のところ書けないのだ。


 作品を書く上で頭の片隅に入れていることは、心のままに、自分なりにカッコいいと思うように書くことが第一だが、今では何を書いても面白くないし何よりカッコよくない。そしてこれが自分の書きたいことなのか、と自分に問うてみてもなんだか微妙に的を射ることが出来ない感覚に陥ってすっかり書くことが億劫になってしまった。しかしそれでも「何か」を表現したい欲があるので、とりあえずパソコンの前に座って書いてみてもやはりしっくりこない。まるで行きたいところに行かせてくれない迷路に迷い込んでしまったようだ。


 それでも「忠告文」や「Heavenly night」を書いていた時はまだよかった。しかし次の「水葬」からやや何かが物足りなくなり、「21g」では書きたいものではなかった。とりあえず形にしてみたから投稿したが、なんだか僕が書いたものではないかのようだ。「彼方の忘却」は読み返したり思い返してみるとますます自分が混乱していることがわかる。ますます自分の思い描いている本筋から脱線している。


 自分が作品を書いているときは、女の子が一人いてその子が自分の心の中を探検するようなイメージがあり、その子を第三者の目から見て何を感じているんだろう、と想像してみるといった過程があるのだが、その女の子のいる世界とそれを表現しようとしたときに最近だと出てくる表現には何かしらの断絶、あるいは透明性があって、すると表現の方が暴走する。言葉はフィルターだ、という考えが昔からあるのだけれど、今ではもはやフィルターというよりは曲解マシーンになってしまってあらぬ方向へ突っ走ってしまう。このじゃじゃ馬をどうにかしたいのだけれど、制御する術が見つからず途方に暮れているのが現状だ。


 この懸け橋となるものは何なのか? これが分かればいいのだが、正直何も答えることは現状できない。ところで今年の四月に大学を入り直した(入り直した、という表現も変か? 前の大学とは異なる大学であるから)なんて話を以前の回で書いたと思うのだが、理由の一つとして理系から文転したことが第一だ。現在では臨床心理学を中心に勉強しているのだが、今はやや脱線して哲学や宗教学にも手を出し始めた。私たちの「こころ」というものは不可思議なもので、英語で表されるmind やspiritなんかの一つの単語、あるいは文ではすべてを表現することが出来ないものだ。これを何とか理解したいと思うのは「こころ」に携わっている全ての研究者が思うところだろうが、先ほども言った通りに言葉、いや表象することはフィルターであるわけだから、細かくみられてしまうものは全てカットされている。するとますます研究しにくいのではないか、と僕自身は思うわけだ。実際はまだどういった方法で研究されているのかは分からないけれど、少なくとも僕はこの正体不明の「何か」の正体を知りたいわけだ。僕のこころに巣食うものの正体は何なんだろうか。それ自体はまだどこの本にも書かれていない。


 ここで暴走している自分の言葉はどこに行きつくのかが予測出来ない。それは僕を底なし沼に沈めてしまうのかもしれない。あるいはまだ見ぬ天空都市へ連れてってくれるのかもしれない。少なくとも言えることは、なんだかやっと僕のやりたいことの第一歩目を歩かせてくれる存在が目に見えないながらも隣にいてくれることだ。


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