空想への旅
ふと自分がなぜこの場所にいるのか、立っているのか分からなくなる時が来る。そうなるともちろん理由を探してみるのだが、一向に納得のする答えが見つからない。いや、本当はないかもしれない。しかし探すしか方法が無い。僕の内側は一種の真っ白な、いや透明、それとも色という概念すらない部屋となってしまう危険性があり、それに対して恐れを抱いているからだ。しかし答えを見つけ出すことを急いでしまうと今度は見落としてしまう可能性が浮上してますます混迷を招く結果になりかねないという面倒臭い状況に陥ってしまう。なのでしばらくは意識上で考えることよりも自分の内側からいつかメッセージを届けてくれるだろう、なんて呑気に考えることを放棄する。
そして思いつきとか何となく頭の中でリピートしてくる言葉という形で、気まぐれにヒントを出してくる。実を言うと最近大学を入り直したのだが、大まかな方向性はあるが、早速細かい方向性に迷いが生じた。そしてその方向性について頭を巡らすと今度は泥沼に嵌まってしまい、堂々巡りを繰り返すようになり、一旦もういいや、と思うようになった。やりたいことはあるが、そのやりたいことは学問の最前線かと言われたら微妙であり、最近では否定もされつつあるから、結局のところ周りの目を気にしてしまっている訳である。一旦考え直せ、とは周りに言われたけれども、それでも僕にまとわりつくものがねちょりとくっついている。一種のアンビバレンスに支配された状態でふと思い出したことがある。
小学生高学年ぐらいの頃に読んでいたカナダの「アモス・ダラゴン」というハイファンタジー小説があるのだが、ここ数日、その単語ばかりが脳の片隅に浮かんでくるのだ。何のつながりで出てきたのかが分からない単語は、しかしこうしてこの文章を書く切っ掛けになったわけだ。知らない人のためにこのファンタジー小説をざっくり説明すると、世界救済の話ではある。当時は後半になるにつれ、展開になかなか頭が追いつけず、何回も読み直したことがあるわけだが、特に何に魅入られたのかと言えば、世界観である。様々な、現代では空想上の存在と扱われている存在やそれらの建物などに惹かれたものだ。そしてそれらを空想して楽しんだりもした。
それがしばらく経って無くなったかのように思われたのだが、小説や詩を書き始めると再びそれらが頭の中に現れだした。僕の頭は、悪い表現をすれば、それらの空想に囚われているのかもしれない。しかし別にそれらを消す努力なんてものはやってこなかったし、これからもやらないだろう。僕は空想自体を求めている。空想自体に逃避という概念を持ち込みたくない。僕は空想を考察する意義があると感じている。なぜなら僕たちはそういった空想に理由を思いつくこともできず、しかし恋焦がれることが度々ある。それを無視することは難しいのではないか。
僕は砂漠にある古代遺跡や妖精の住む森、廃墟となった遊園地、魔術師などに強く惹かれる。そして、自分がその世界を歩いているところを想像する。その時自分は何を感じ、そして内側からあふれてくるものが何なのかを考えては楽しんでいる。現代では様々にやらなくてはいけないことが指数関数的に増えていて僕らをある種苦しめていてそして全てが現実をベースに置きすぎているとさえ思える。ただでさえ生きているということは難しいのに、さらに現実という制約が僕らが生きることを難しくさせている。その中で現実と区別出来ているのなら、空想に一時浸ることも必要であるかのように思える。
そう考えると僕の考えはふと軽くなった。周りのことが頭の中から出ていったからかもしれない。現実世界に戻ればやはり煩く感じることは多いが、それでも一時から離れて空想に浸り、そして空想に侵入する前とは違う場所に着陸する。それを花畑と思うか地獄と思うかは人それぞれだが、とりあえず僕は花畑に着陸したと思いたい。
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