第7話 守りたいものー3

 葵は、傘を開いたまま、史叶に突進。傘で覆いきれない足にクナイが刺さり、頬を掠っても止まることなく進み、史叶を押し倒した。その弾みで、絵巻物が史叶の手を離れて転がる。地面に帯のような一直線の絵が現れる。絵巻物に伸ばそうとする手を、傘の先端で止める。


「あなたは、何を守りたくて、何をしたいの!? 悪意の欠片も持たない、歪な人が仲間で、本当にいいの」

「……」

「あなたは強いのに。なんで。何も守るものがないなら、その強さあたしにちょうだいよ!」


 史叶の顔にぽたぽたと雫が落ちている。一瞬、雨が降ってきたのかと思ったが、それは葵の流した涙だった。どうしてこんなに泣いているのか、葵自身よく分からなかった。ただ、悔しいという感情が溢れて止まらなかった。


「おれは、おれを守りたかっただけだ」

 史叶は消え入りそうな小さな声でそう呟いた。


「あの頃、お前みたいなのが居れば、ましだったのかもな」

 泣き続けている葵とは対照的に、史叶はすがすがしく笑った。そして、両手を上げた。降参を示していた。怪我を負っているのも、息が切れているのも葵の方だった。だが、相手の戦う意思を削いだ。葵は、勝った。






 撃ち込んだ弾は、麻酔弾が小町の腕を掠めただけ。あの程度では、多少の眩暈は起こっても、眠ることはない。小町の様子を窺うが、歯を食いしばって、眩暈すら噛み殺しているようだ。力が拮抗しているからこそ、このままでは勝てない。

 紅花は一歩踏み出す。


「小町は、あんたを壊して、長の一番になるんですの」

「何を、言っているの」

 訳の分からない主張に、自分を巻き込まないで欲しい。この少女の独占欲に、紅花は関係ない。


「あの人の一番は、ずっとあなたでしょう。ツボミの頃から一緒にいて、今までずっと一緒。嫌いと言われたことはあるの? 追い払われたことはあるの?」

「で、でも、長はあんたが欲しいって……」

「戦力になる銃が欲しかっただけでしょう」

 明らかに小町が動揺し始めている。戦う動機が、紅花を壊すこと、ひいては長の一番になることだったのなら、そもそもが破綻している。紅花のことを嫌っているようだから、動機がなくても向かってくるような気もするが。


「いつも傍にいるのに、そう思うってことは、結局あの人を信用していないってことじゃないの」

「うるさいうるさいうるさい! あんたに長と小町の何が分かるんですの!」

「あなたたちのことは分からないけど、自分たちのリーダーを信頼する大切さは知ってるわ」


 紅花は、立て続けに発砲した。あの弓本体の打撃がある以上、近接戦では不利。ならば、距離を取ったまま、行動不能にするしかない。彩による疲労を度外視して、撃ち続ける。弾幕の中に、一発、水の塊を混ぜる。他の弾と同様に小町は弓で弾いていた。水が大きく弾け、小町に降りかかる。


「!?」

 小町が目を瞑ったその瞬間に、麻酔弾を鎖骨に目がけて撃つ。凄まじい反射神経で、小町は体を逸らすが、腕に命中する。膝をつく小町。


「小町は、負け、ないです、の……」

 どさりと倒れ込む。意識を失っても、弓からは手を離さず、反対の手は次なる矢に伸びていた。





 相手に札を巻き、紅花と葵は手が空いた。戦いの最中にある筆頭に、声を張りあげて聞く。

「筆頭! どうしますか」

「待機で」


 二人で援護に入るか、という問いに、筆頭は待機を指示した。それぞれが、小町と史叶の監視をしつつ、筆頭の戦いを見守ることになった。刀と煙管が何度もぶつかり合う。投げる武器のない戦いは、二人の力が腕を通して刀と煙管にそのまま溢れだしている。ガリッと音がした。筆頭の煙管か、長の刀かどちらかが削り取られたような。正直、この戦いの中に、正確な狙いを付けて銃で後方支援するのは難しい。疲労が蓄積されているから、というのを差し引いても、彼らの早さに追いつけるかどうか。


「筆頭が全力を出しているところ、久しぶりに見たわ」

 思わず、見惚れていた。二人とも、肩で息をしながら、それでも口元には笑みを浮かべている。少しずつだが、筆頭が押しているように見える。長が一歩後ろに下がる。


 紅花のすぐ傍で、呻く声がした。小町が目を覚ましたのだ。麻酔弾を受けてこんなに早く目を覚ますとは。紅花は素直に驚き、感心した。小町が、自分の状態を確認するより前に、押されている長を見て、叫んだ。


「長――!」

 その声に反応し、長は一瞬小町の方へ視線を向けた。ここで、小町が敗北して捕らえられていることを初めて知ったようだ。驚きに目が見開かれるのを、スローモーションで見るかのように、紅花の瞳に移った。


 長の驚きは、一瞬だったが、その一瞬を筆頭は見逃さない。一気に距離を詰め、煙管で刀を持つ長の腕を打った。きっちり入ったが、それでも長は刀を離さない。


「ふっ」

 筆頭は、煙管を取り出し、目くらましで煙を吐き出す。再び隙を作り出し、刀を思い切り蹴り飛ばした。


 カランと音を立てて、刀が地面を跳ねた。小町が這うようにして刀を取りに行こうと動くが、紅花がそれを押し戻す。噛みつかれそうになって、素早く手を引いた。


 長は、史叶が使っていた棍棒を拾い、なおも筆頭に向かう。筆頭はそれを再び持ち替えた喧嘩煙管で応じる。しかし、使い慣れていないものでは先ほどまでのスピードもキレもない。紅花は銃口を向けた。手を出すな、と言われているが、紅花だって長に対して怒りがある。ゴム弾で、棍棒をその手から弾き飛ばす。筆頭が、えー、という顔を向けてくるが、気付かないふりをする。


 地面に転がった長の刀を、筆頭が拾い上げる。自分の心臓であるそのものを、相手に取られた。仲間も、札に捕らわれている。長に、なすすべは残っていなかった。


「お前の負けだ」

「壊せ」


 長は、ただ一言、そう言った。筆頭は、長の刀を振りかぶった。きっと寸止めして、これでお前は壊れた、なんて言うのだろう。これだけのことをした者を、澪を利用して筆頭自身を苦しめた者を、この人は許そうとする。警備課の決まりだから、ではなく筆頭自身がそう選択するのだろう。甘い、と思う。でもそれが筆頭のいいところでもあるのだ。


 しかし。


「――!?」

 そこに予想外のことが起きた。小町が長の前に立ちはだかった。小町の肩に刀が入ってしまった。赤い飛沫があがる。寸止めの直前、そこに小町が入り込んでしまい、筆頭も止めることが出来なかった。思わず刀を手放した。


 札で動けないはずなのに、小町は無理矢理、札を引きちぎって飛び出したのだ。紅花も反応が出来なかった。


「え……小町? 小町!!」

 長が倒れ込む小町を抱きかかえる。初めて、長が激しく動揺している。小町の小さな肩を抱えて、必死に名前を呼んでいる。小町は薄く開いた目で、長を見つめ、満足そうに微笑んだ。


「小町が、長を守るん、ですの」

 それは、紅花が言った『言うことを聞く人形』、に反発したかのような物言いだった。自分が余計なことを言ったから、彼女は無茶をして飛び出してしまった。自分のせい、と言い切るのは傲慢かもしれないが、きっかけを与えてしまったことに変わりはない。


「小町! 目を開けてくれ。鈴を手に入れても、小町がいなければ何の意味も、な、い……?」

 長は、自分の発した言葉に驚いたように、固まった。たった今、初めて、大事なものに気が付いた、と言わんばかりに。肩口を赤く染める真っ黒な少女を、長はガラス細工に触れるように、抱きしめた。

 立ち尽くしていた紅花はハッとして、慌てて葵に指示を出した。


「修理課を呼んで!」

「う、うん!」


 葵の注意が逸れた、その瞬間に、史叶が拘束されたままの手でポケットから何かを取り出した。気付いた葵が反射的にそれを叩く。すると、辺りに大量の煙が広がった。


「うっ、けほけほっ」

「逃げろ!!」

 史叶は、煙の向こうにいる長に向かって叫んだ。力いっぱい叫んだ反動で、煙を吸い込んだ史叶は、盛大に咳き込んだ。何も見えないが、煙が大きく動く気配がした。

 葵が史叶に傘を突き付ける。


「なんで!」

「歪でも、利用して、されていても、それでも仲間だった。おれたちのリーダーが負けるところは、見たくない」

「……っ」


 屋上を覆っていた煙幕が晴れると、長と小町の姿はなかった。刀も弓も、初めからそこになかったかのように、消えていた。


 巨大な鈴は、何も変わらず、そこに在る。

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