第6話 鏡に映るはー3(了)
紅花は、跳ね起きた。倒れたときに砂利が当たったのか、膝が痛かった。眠っていたのは、五分から十分程度のようだ。状況を確認してから、紅花は、自分が泣いていることに気が付いた。夢であっても、付喪神が消えてしまう瞬間を見た。他人のために、自分を投げ出てしまった人。
筆頭が、自分のことを梓と呼ばせず、筆頭と名乗る意味が分かった。自分の名を封じ込めて、亡くした人の望んだ名前をずっと名乗っている。紅花は、また涙を流した。
「後から分かったことだけど、澪の彩は、未来をみるものじゃなかった」
ゆっくりと起き上がった筆頭が、うわ言のように言った。
「〈先を見る〉は、澪の見聞きしたことをまとめて、澪自身の考えを映像化するにすぎなかった。あれは、澪が望んで、選んだこと」
「……それは、悔しいですね」
あの選択をさせてしまったこと、筆頭はずっと悔やんできたのだろう。一筋、筆頭の頬を流れる雫を、紅花は人差し指で拭った。
葵が、ぼろぼろ泣きながら目を覚まし、紅花と筆頭の顔を見て、安心したように声を上げて泣き始めた。三人共が、全く同じ夢をみていた、みせられていたらしい。ずいぶんと卑劣なことをしてくれた。
すぐ近くで、砂利を踏みしめる音がした。バッと音の方向を見て、絶句した。筆頭の掠れた声が、その人の名前を呼んだ。
「澪……?」
目の前には、ついさっき夢でみた、澪が立っていた。しかし、その瞳には光がなく、ただ虚ろだった。口元だけに笑顔を乗せて、こちらに歩いて来る。そして、鏡を振り下ろした。
「――っ!」
葵がとっさに前に出て、開いた傘で防いだ。が、力で押され、踵で砂利をかき分けながら後退させられた。
「なに、どういうこと!? 本物の澪さん?」
「そんなはずはないわ。おそらく、あの香が見せている幻覚よ! でも実体化して、攻撃してくるなんて……」
澪の幻覚は、外へ通じる鳥居と香炉を背後に守る位置に立っている。彼女を退けなければ、ここから出ることが出来ない。
筆頭が、なんとか喧嘩煙管を握り、前に出た。幻覚とはいえ、澪を攻撃するなど、心が押し潰されてしまう。彼女を利用して、筆頭を苦しめるやり方に、紅花は、組織への怒りが湧きあがってくる。
「……あずくん」
彼女の口が動き、筆頭の名を呼んだ。
まさか、話すことまで出来るとは。筆頭は、目を見開いたまま、金縛りにあったように、固まった。声も、呼び方も、夢でみた彼女そのものだった。
「あずくん、どうして助けてくれなかったの」
「俺は」
「ひどいよ、自分だけまだ生きてるなんて」
再び鏡を振り上げる澪を前にして、筆頭は動かない。動けない。紅花は澪の手首を狙ってゴム弾を撃つ。しかし、鉄製の煙管がそれを弾いた。
「筆頭!?」
煙管がそのまま横薙ぎで紅花に迫る。
「くっ」
筆頭からの攻撃を避ける時間もなく、紅花は腕で受けることを覚悟した。当たる瞬間、後ろに引っ張られた。煙管は直撃こそしなかったものの、紅花の腕を掠り、一筋の赤い線を作った。澪は狙いが逸れたらしく、砂利を盛大にまき散らした。
「何してんの!!」
引っ張ってくれた葵が、筆頭に声を荒らげる。筆頭は、自分が傷つけた紅花の腕を見て、ひどく動揺した。ごめん、と繰り返す筆頭は、焦点が定まっていない。こんな筆頭は見たことがない。
「あずくん、こっち側に来てよ。わたし、寂しいよ」
光のない瞳で、澪はさらに語りかける。少し甘えたような、小さなわがままを言うような口調で。
「澪、俺は……」
筆頭は、一歩、澪の方へと歩きだす。筆頭の目を覚まさなくては。紅花は、冷たい水の弾を装填し、水鉄砲の要領で、筆頭の顔に浴びせた。
「筆頭、そこにいるのは澪さんじゃありません。夢を介してみただけですが、澪さんはそんなことを言う人ですか。あなたが生きていることを、恨むような人ですか」
「……」
俯いたまま、動かない筆頭。澪は、両手を広げて筆頭を迎え入れるような格好をした。瞳は虚ろなままで。
「あずくん、一緒に来てよ」
紅花は、筆頭の視界を遮るように、澪の目の前に立ち塞がった。銃口を向けて、きっぱりと言った。
「だめです」
「紅、ちゃん……」
「筆頭の言葉を借りるなら――梓さんはあなたに渡しません」
紅花は、筆頭が長に向かって言った言葉を、口にした。大事な人を、幻覚に連れていかれるなんて、絶対に嫌だった。
背後で、筆頭が動く気配がした。また筆頭が暴走すると思い、葵が焦って駆け出したが、杞憂だった。
「……対象確認。撃って、紅ちゃん」
「了解」
紅花は、再び澪の手首を狙って撃った。素早い動きで躱された。攻撃を受けてもなお、澪は口元に笑顔を貼りつけたままで、不気味にすら見える。
「ひ、筆頭さんが戻ったあー!」
葵が脱力してしゃがみ込んだ。まだ仕事は終わっていないと注意したいところだが、紅花もほっとして力が抜けそうになった。
「ごめん、二人とも。ありがとう」
筆頭は、真剣な表情をして、二人に短い言葉で伝えた。紅花と葵は頷いてその言葉を受け止めた。もう大丈夫だ。
「俺は、紅ちゃんのものだったんだね。知らなかったな」
「そこは否定してくださいよ。というか、今そんなこと言ってる場合ですか」
にこにこと、顔を覗き込んでくる筆頭を、手のひらで押し返す。この幻覚をどうにかしなければ、状況は変わらない。
「香炉の彩は、かなり強力に他者に干渉してくる。なら、本人が近くにいるはず。この神社の敷地内に潜んでいるだろうね」
「あたしが探してくる! 見つけて、彩をやめさせればいいんだよね」
「一人じゃ危な――」
葵を制止しようとして、紅花は言葉を止めた。一体どんな付喪神が潜んでいるか分からない。葵一人で対処出来るか、しかし、澪の幻覚を相手にして筆頭を一人にしておくわけにもいかない。そんなことは、葵だって分かっている。キュッと口を結んだ葵の表情を見て、紅花は、頼って欲しいという言葉を思い出した。
「葵! 任せたわよ」
「了解!」
走り出した葵を追わせないように、筆頭が澪の振り下ろした鏡を受け止める。力を横に流しても、喧嘩煙管がわずかに悲鳴を上げた。
「あれはまともに受けるもんじゃないね」
「はい。葵が対象を見つけるまで、時間を稼ぐってことでいいですか」
「そうだね。たぶんこの幻覚を倒したとしても、香炉が効いてる限り意味がない、と思う。それに、出来れば欠片を回収したい」
「実弾は使いません。しのいでみせます」
幻覚が致命傷を負った場合、元になっている鏡の欠片が傷つく、もしくは壊れてしまう可能性がある。攻撃をかわしながら、致命傷は与えず、葵に攻撃を向けさせないこと。
「行こうか、紅ちゃん」
「はい」
澪は、執拗に筆頭を狙う。柄を持って、渾身の力で振り下ろされる鏡は、全てを壊そうとするかのようだった。筆頭は、鏡を避ける。上から下に振り下ろした鏡を、今度は真横に薙ぎ払う。普通ならば遠心力で、自身の体がぶれてしまうというのに、澪は体勢を崩すことなく、攻撃を繰り出す。
紅花は、鏡本体を避け、手首や足を狙ってゴム弾を撃つ。しかし、どれも避けられる。凄まじい反射速度。ならばと、直接体を狙わず、着地点や顔の横を掠める位置に撃ち続ける。攪乱が出来ればいい。しかし、弾を撃ち続けることは、彩を使い続けること。次第に疲労が溜まる。
「紅ちゃん、無茶しないで」
「筆頭だってぎりぎりでしょう」
警備課二人がかりで、押さえるのが精いっぱい。いくら幻覚とはいえ、澪は強い。それが身に染みて分かった。
紅花が大きく息を吐いた時、急に澪の動きが鈍くなった。体の内側から、別の何かに抑えられているような、妙な動きだった。澪は顔を上げてこちらを見た。その表情は、先ほどまでと違っていた。苦しげな表情で、瞳にはかすかだが、確かに光が、意思があった。
「逃げ、て、お願い」
喉から絞り出した声は、澪の意思。幻覚ではなく、本人の声だと、直感した。
「澪!」
筆頭が叫ぶが、澪の表情はすぐに虚ろな瞳と不気味な笑みに戻ってしまった。鏡の欠片があることで、本人の意思が少なからず入っているということなのか。そうなると、夢の最後にみた澪は、本人の意思、言葉だったのか。
背後から、葵の声が飛んできた。
「いた!」
一瞬、振り返ると、物置の中から一人の付喪神を引っ張り出している葵が見えた。付喪神は、大柄な男で、理想郷のため、長のため、とぶつぶつ呟いている。
「警備課のやつらは、倒す。あの方のために」
「うわっ」
物置から出ると、男は葵を薙ぎ倒した。とっさに受け身をとった葵は無事のようだが、とても話が通じる様子ではない。彩をやめさせるには、葵がこの男を制圧するしかない。紅花は、助けに入りたかったが、幻覚の攻撃が続いていて、とても離れられない。
葵が、いつものように傘を開いて、防御の体勢を取る。それを横目で見た筆頭が、落ち着いた声で指示を出した。
「葵、叩け」
それを聞いた葵は、傘を閉じた。そして、バット振るようにして、傘で男の胴を思いっきり打った。
「もう一度」
不意打ちをくらい、体勢を崩した男の首元に再び傘を振るった。特訓の甲斐があり、男を気絶させることが出来た。呼応するかのように、香炉が切株から転げ落ちた。灰が砂利に染み込むように広がり、灰からにげるように鏡の欠片が、飛び出した。
澪が、電池切れをしたかのように、ピタリと動きを止めた。筆頭は、素早く欠片を拾い上げた。落ちた衝撃では、傷はついていないようだ。
「……ありがとう」
澪がそう口にした。幻覚ではなく、本人の意思が、自我が、ちゃんとそこにはあった。しかし、体が徐々に透け始めた。香炉の彩から解放されて、幻覚は消えていく。
消えゆく体で、澪は穏やかに微笑んで、紅花と葵を交互に見た。
「あなたたちと一緒にお仕事したかったな」
「私もです」
「あたしも!」
警備課の先輩からの、最大の賛辞だった。ほんの少しであっても、彼女と話が出来て良かった。
澪は、筆頭を見て、何も言わず頷いた。そして、紅葉の赤色に溶けるように消えていった。
「澪さん、筆頭さんには何も言わなくて良かったのかな……」
「言いたいことは、あの時と同じってことだよ。『後は任せた』ってね。二人とも、まだ終わってないよ」
「それは――」
――バリバリバリバリッ
紅花の言葉は、凄まじい轟音で遮られた。耳を塞いでも聞こえるその音は、まるで空を無理矢理引き裂いたような音だった。
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