第6話 鏡に映るはー2
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桜の花びらが落ちて地面に積もるように、紅葉が枝を離れて道に真っ赤な絨毯を作るように、記憶は蓄積されていく。
その膨大な記憶を整理するために、付喪神は夢をみる。
夢は、記憶である。
一本の道を挟んで、木造の建物が両側にずらりと建ち並んでいた。どの家も、瓦屋根と漆喰の壁が家を守っている。一階は通りに向かって開かれている。どうやらここはお店が並ぶ通りのようだ。櫛や帯締めが並ぶ店、陶器の小物がある店、本が貸し出されている店、様々だった。着物を身に纏った人たちが闊歩する姿は活気があった。
ここは江戸時代、の頃の夢。だが、紅花はこんな風景を過去に見たことはない。加えて、これが夢だと理解しているのに、起きることが出来ない。
「今回も助かったぜ、ありがとな」
「はいよ」
ふいに、聞き覚えのある声がした。深緑の着流しを着て、煙管をふかしている、彼は筆頭だった。これは、筆頭の夢だ。近くで眠ると、他人の夢が混ざることがまれにあるという。実際になったのは今回が初めてだが。もしくは、あの香炉の影響かもしれない。
筆頭が歩きだすと、紅花の目線も動き出す。筆頭の目線でこの夢をみているらしい。
「戻ったよー」
薬屋、と書かれた看板のある建物の中に入っていった。中には、紅花も顔見知りの竜胆たち管理課の三人と、もう一人、女性がいた。くるぶしまで隠れる丈の長い朱い袴に、白衣、その上には巫女が舞を踊る時に身に付ける羽織、千早を着ていた。白地に鶴の模様が描かれている。最近では頻繁に見ることはなくなった、正式な巫女装束だった。
「おかえり、あずくん」
筆頭を、あずくん、と呼び、朗らかに笑う彼女が、あの鏡の付喪神なのだろう。傍には青銅製の古鏡が置いてあった。柄がついていて、裏面には細かな文様が施されている、美しい代物だ。
「表の薬屋の看板、いい加減外したら? 移転の時にちょうどよく譲ってもらったのはいいけどさ、俺たち薬屋するつもりないんだし」
「そうやねー、
竜胆が、鏡の彼女に穏やかに問いかける。彼女は澪、というらしい。綺麗な名前だ。
「付喪神のための相談所、とかは?」
「馬鹿正直に付喪神って書いてどうするの、却下」
「えー、じゃあ、あずくんが考えてよ」
「そういうのは、俺の領分じゃないよ。俺は護衛の仕事のためにいるんだし」
「それはわたしもそうなんだけど!」
情報を集めて活用する三人、護衛の仕事をする二人、これが本部の初期段階。となると、約三百年前の夢ということになる。今の四階建ての建物にたくさんの付喪神たちがいるのと比べると、だいぶこじんまりした、それこそ澪が言った、相談所のような雰囲気だった。
「あの、すみません、相談が……」
梓と澪が言い合っていると、一人の付喪神が入り口の暖簾をかき分けていた。幼い少女はおそるおそる、と言った様子で声をかけてきた。
「はい、何でしょう!」
澪が一番に駆け寄り、相談者ににっこりと笑いかける。その笑顔に緊張がほぐれた少女は、あのね、と話し出した。買ったばかりの櫛を落としてしまい、それを探してほしいというのが相談内容だった。
「最近、行った場所とか、教えてくれへん?」
「えっと、おつかいで行ったのが、会所、呉服屋、風呂屋、あとは神社にも」
「なるほど、ちょっと待っとってな」
竜胆が、地図を広げて、少女が今言った場所に印を付けていく。見たところ、その地図自体が、竜胆が作ったもののようだった。竜胆は澪を手招きして呼ぶと、可能性の高い場所をいくつか指さした。
「人通りの多いところ、足元が悪くて転びやすいところ、この辺りで見てきてくれへん?」
「了解! よし、あずくん行くよ」
「なんで俺まで。澪一人で充分だろうに」
「こんな可愛い女の子二人だけじゃ危ないでしょ?」
「いや、その子はともかく――」
梓が何か言いかけたのを、澪は鏡を上から下に振り下ろしてかき消した。青銅製の鏡は重量もあり、攻撃力はかなりありそうだ。涼しい顔してそれを振るう澪の力も相当。澪が護衛の仕事をしているということに、紅花はようやく納得した。
「あー、分かった。行くよ」
「よし、しゅっぱーつ!」
相談者の少女と、梓と澪は、可能性のある場所を回った。竜胆の言った場所を全て行ったが、櫛は見つからなかった。しょんぼりと肩を落とす少女に、澪は笑顔で大丈夫、と言った。そして、鏡をじっと見つめ始めた。傍から見ても集中していることが分かる。
「ねえ、おじさん。おねえちゃん何してるの?」
「おじ……まあいいか。あれは、きみの櫛を探してるんだ」
「鏡で?」
「そう。澪は元々神社に奉納されていた鏡らしくてね、これから起こることを、鏡を見て知ることが出来る。〈先を見る〉って名称だったかな。こうやって失せ物を探したり、前は火事を予見して神社を守ったこともあったな」
「おねえちゃん、すごいんだ!」
少女が目を輝かせて澪を見つめる。澪の鏡が揺らめき、竹椅子の隙間を映し出した。呉服屋の前に置いてあったものだ。
「あずくん、あった! 呉服屋のところ!」
「はいよ。取りに行けってことね」
梓は、呉服屋に向かう。あの彩を使うと疲れてしまうらしく、澪は近くの椅子に腰掛けて、息を整えている。少女が目をキラキラさせて鏡を覗き込んでいる。今は少女の顔が映り込んでいるだけ。
筆頭が呉服屋の椅子の隙間に縦に挟まった櫛を見つけ、それを少女の元へと届けた。少女は何度も頭を下げて、お礼を言ってから帰って行った。
「お疲れ」
「あずくんもお疲れー。なんかさ、笑顔で帰っていくのを見るのっていいね。付喪神だけじゃなくて、ヒトのためにも何か出来たらいいのに」
「それは難しいんじゃないか」
「そうだけどさ、わたしはヒトの願いを叶えるために生まれたものだし、やっぱり皆が幸せになってほしいわけよ」
澪は屈託のない笑顔でそう言った。神社で、ヒトの願いをたくさん聞いてきた彼女だから、心からそう思えるのだろう。眩しいくらいだった。
「ところで、こんな風に相談とか護衛をしていくわけだし、わたしたちの中で舵取り役が必要だと思わない?」
「二人だけなのに必要か?」
「必要なの! しょうがないから、年上のわたしがなってあげる。なんて名前にしようかな。頭、じゃ可愛くないから、そうだなあ、筆頭にしよう! わたしのこと、筆頭って呼んでいいからね」
「あー、はいはい」
名案だと、はしゃぐ澪を梓は適当にあしらっていた。
付喪神の相談所は、徐々に忙しくなっていった。集まる情報も、依頼も増えていき、場所も薬屋からさらに大きくなった。ヒトの目から付喪神を守るための結界も作り、より付喪神が安心して来ることの出来る場所になっていった。名前も付喪神統括本部、と決まり、そうして五十年が経っていた。
ある日、ヒトの間で、火事から身を守るには、神社の鏡が有効だという噂が流れた。おそらく、澪が彩で火事から神社を守っていることから、そういう話が出てきたのだろうと、梓たちは推測していた。この時代のヒトがもっとも恐れるのは火事。数年に一度の頻度で、町の半分以上が燃える大火事が起こっていたという記録もあるくらいだ。
「少し、大きくなりすぎとる気がするわ」
「俺もそう思う。あちこちで神社の鏡が盗まれて、壊され、その欠片を売りさばくようなやつまで出てきた。それをたくさんのヒトが求めてるってのが、まずい」
本部の中でも問題となっていた。物が理不尽に壊されていくのを黙ってみているわけにはいかない。しかし、ヒトの不安から来る流れは勢いを増し、手に負えなくなりかけていた。
「鏡にそんな効果はないよ、って皆に言うとか? いや、無理そ――いてっ」
澪が、部屋の段差につまずいて盛大にこけた。鏡で彩を使いながら歩いていたせいだろう。澪は起き上がって膝をさすっている。
「〈先を見る〉って彩なのに、自分の先が見えてないな」
「なんでだろうね。おかげで膝が痛いよー」
騒動はどんどんと悪い方向へと広がっていく。そもそも数が少ない鏡を、たくさんのヒトが求めたことで、あちこちで争いが発生するようになってしまった。
そして、澪がその標的になってしまった。
「だめだ。表に出るな」
「でも、今日は前から言われてた護衛の仕事の日だよ?」
「そんなこと言ってる場合か。今外を歩けば、どうなるかくらい分かるだろう」
澪が鏡を独り占めしている、などと言われ、追われるようになってしまった。この鏡は澪自身。壊した欠片を求めているヒトたちに渡すわけにはいかない。
「しばらくは身を隠した方がいい」
「身を隠す、澪だけに?」
「冗談言ってる場合か!」
からからと笑う澪に対して、梓が声を荒らげた。それでも、澪は笑顔を崩さなかった。大丈夫だって、と逆に梓をなだめている。
「でもね、わたしのせいで皆が争っちゃっているの、申し訳なくて。わたしが火事を防いだからこんな噂が流れちゃったんだもんね。関係ない鏡たちまで巻き込んで」
「澪のせいじゃないだろう。ヒトが勝手なことを言って、勝手に騒いでるだけだ」
「わたしのこと、筆頭って呼んでくれないんだね」
「そんなこと、今はどうでもいいだろう」
澪は、まあいいか、と呟いて梓の言葉を流した。わずかに開いている窓から通りを見て、眉を下げて悲しそうに笑った。
「皆が悲しい顔をしてるのは、わたし嫌だな」
この人は、他人のために本気で悲しんでいて、ヒトのことを『皆』と呼んでいる。とても優しい人。
突然、裏口から大きな音がした。
「いたぞ! ここだ!」
ヒトがなだれ込んできた。見つかってしまった。澪と梓は、急いで表から出た。表の扉の前にもヒトがいたが、扉ごと蹴り飛ばし、通りへ飛び出した。追いかけてくるヒトから、ひたすら逃げた。
「はあ、はあ……」
どこまで逃げればいいのか分からないまま走り、さすがに二人とも息切れしてきた。梓は、逃げながら〈煙に巻く〉の彩を駆使して、追い払おうとする。が、人数が多く、距離があると煙が霧散してしまい、効きが悪い。
澪が、走りながら鏡を見て、こっち! と叫んだ。二人は、神社に逃げ込んだ。大きな舞台のある神社で、この辺りでは有名な場所のようだ。逃げ場所にはあまり向かないように思えたが、澪の彩を信じて進んでいく。
「行け、走れ」
筆頭が、追いかけてくるヒトを食い止めている間に、澪を逃がそうと背中を押した。澪は、舞台の方へと走る。
「どうすれば、皆が幸せになれる……?」
澪が再び鏡を覗き込む。揺らめく鏡面には、鏡の破片を拾うヒトたちの手が映った。
「ははっ、やっぱりそっか」
澪は走っていた足を止め、空を見上げた。そして、舞台の端まで進み、そこから見えるヒトたちを、愛おしそうに眺めた。
梓が押さえきれなかったヒトたちが、舞台に迫ってきて、その後を梓が追う。逃げろ、と叫んでいる。急に、澪を追っていたヒトが、凍りついたように立ち止まった。
「!?」
澪が、舞台の外側に、鏡を突きだしている。
「何をしてる! 澪!」
「あずくん、後は任せた」
すがすがしいくらいの、まっすぐな笑顔で澪はそう言った。そして、鏡を手放した。舞台から、鏡が垂直落下していく。
「やめろ!」
梓は、ヒトをかき分け、必死に澪に手を伸ばす。が、舞台の下で割れる音がしたのと同時に、澪の体が空に溶けていくように、消えた。梓の手はただ何もない空間を掴んだだけだった。
「――っ」
梓はその場にうずくまり、動かなかった。
唐突に、視界が真っ暗になった。どこを見渡しても黒いその空間の中に、体が半分取り込まれそうになっている、澪がいた。苦しそうにもがきながら、こちらに何かを伝えようとしている。
「ごめん、鈴守……知られた……」
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