第6話 鏡に映るはー1
「待ってください! 筆頭」
本部のエントランスに、紅花の声が響き渡った。組織の襲撃の翌朝、筆頭が単独で指定の場所に行こうとしていた。月華が負傷していることから、月華すら配置せず、本当に一人で向かうつもりらしい。
紅花と葵は、筆頭の前に立ち塞がった。昨日から何も話そうとしない筆頭は、明らかに冷静さを欠いていて、とても見ていられなかった。
「危険です。絶対に罠です」
「一人で行ったら筆頭さんだって危ない!」
紅花と葵の制止にも、筆頭は首を振って受け入れようとしない。
「それでも、行かなきゃならない」
「あれは、何ですか」
「言ったら行かせてくれるのかい」
筆頭は、こちらを邪険にするような、意地の悪い言い方をした。紅花がそんな言い方をしたら、怒るくせに。
「じゃあ、言わなくていいです」
「そう」
「筆頭の大切な、自分の身を危険にさらしてまで、取り返したいもの。それだけ分かれば、私たちは付いていきます」
葵が横で大きく頷いた。この三人だからこそ守れるものが、助けられるものがあるはずだ。ふいに葵が、筆頭の羽織を両手で掴んだ。身長が足りないから、しがみついているような格好だが、葵の中では胸ぐらを掴んでいるイメージなのだろう。
「もっと頼って!」
珍しく葵が鋭い声を出した。葵は怒っているのだと、ようやく気が付いた。紅花も、筆頭が一人で抱え込もうとしていることに、少し苛立っている自覚はあった。
「そうですよ、筆頭」
「紅ちゃんも!」
面食らって、言葉が出てこなかった。矛先が自分にも向いていたことに紅花は驚いた。葵を怒らせるようなことをしただろうか。
「昨日、あたしたちを逃がしてから、危なかったんでしょ。あたしだけ安全なところに逃げて、紅ちゃんも筆頭さんも戦ってたのに」
「でもそれは、マスターたちを守ってもら――」
「分かってる! でも、もっとあたしを頼って欲しいの! まだ経験も少ないし、弱いけど、それでも、あたしだって大切な人たちを守りたい」
今にも泣きだしそうに顔を歪める葵を、紅花はそっと抱き締めた。こんなにも大切に想ってもらえていることが嬉しかった。筆頭は、気まずそうに目線を泳がせている。葵の想いを聞いてなお、一人で行くと言わないくらいには、落ち着きを取り戻しているようだ。
紅花は葵の頭を撫でて、泣いていないことを確認して、体を離した。もう一度、筆頭に向き合う。
「どうせ罠なら、全員で飛び込みましょう。一人で来いと言ったのなら、きっと一人では対処出来ないようになっているんでしょう」
「……三人で来たことで、逆上する可能性もある」
「相手はあの物を人質のようにすることで、筆頭は言うことを聞くと思っています。その裏を掻きます」
「不安だったら、あたしたちが勝手に付いてきたことにするから。……あの人たちに通じるかは分からないけど」
筆頭は、しばらく何も言わず、考えていた。紅花はそれを静かに待った。
ひどく長く感じた無言の時間の後、筆頭は降参、と呟いた。
「分かった。三人で行こう」
「……!」
「良かったあ」
紅花と葵は顔を見合わせて、脱力した笑顔を浮かべた。まだ何も終わっていないのだが、とりあえず筆頭が一人で行ってしまうことは避けられて、ほっとした。
「……鏡の欠片だよ。あれは」
「え?」
「本部創設の時の警備課所属は、俺ともう一人いたことは知ってるよね。それが、あの鏡、だった者」
だった、と言った。つまり、そのもう一人は、すでに壊れてしまっていると、この世にいないと、そういうことだ。もう本部にいない初期の人。ぼんやりと、本部を辞めてどこかにいるものだと思っていた。いつか話をしてみたいと、そう思っていた。
「そうですか。では、迎えに行きましょう。仲間を」
筆頭は目を見開いて、一瞬呆けた顔をした。すぐにいつもの余裕を持った笑顔を口元に浮かべて、歩きだした。紅花と葵はその後に付いて行く。
*
指定されたのは、鈴守神社だった。そこは、葵が紅葉狩りに行きたいと言っていた所とは、また別の神社だった。鳥居や灯籠の朱色に、覆いかぶさる紅葉の赤色。砂利が敷き詰められた地面にも、真っ赤な葉がいくつか落ちている。こんな形でなければ、この美しい赤い景色を心ゆくまで堪能したかった。
「やあ、昨日ぶり」
「!」
「おや、三人で来たんだ。まあ、別にいいんだけど」
神社の奥から、長が顔を出した。その手には、見せつけるように鏡の欠片が握られている。三人で来たことには、あまり関心がないようだ。その反応に、紅花は嫌な予感がした。一人だろうが、三人だろうが、問題はないということなのか。
長は、境内ある切株に近付いた。その上には、不自然に置かれた香炉があった。淡い水色で丸いフォルムに小さな足が付いている香炉。灰を敷き詰め、その上に香を置いて香りを楽しむはずのそれに、香と、鏡の欠片を入れた。
「なっ!」
長はその場を動かないよう、刀で香炉と紅花たちを交互にけん制し、自身は境内の外に出ていった。笑みを浮かべていて、不穏だった。明らかに罠だ。
境内にいい香りが満ちてきた。折り鶴の時と同じような、それよりも強い花の香り。
「この香りは危険です。一旦離れ、て……」
言葉の途中で、視界がぐにゃりと歪んだ。急激に眠気に襲われた。抗うことが出来ず、紅花はその場に倒れ込んだ。ぼやけた視界で横を見れば、葵も同じように倒れ込み、筆頭はぎりぎり膝を付いて耐えているが、時間の問題だろう。紅花は意識を手放した。
三人共が眠ったのを確認して、長は史叶と小町を呼んだ。
「これでいいんだよね」
「ああ。やはり香炉そのものがあると効きが早いな」
史叶は頷いた。この香炉は、組織の一員の物。黒いピアスと引き換えに長が所有していた。香炉の付喪神はイロ持ちで、この香炉で焚くとその効果が何十倍となって発揮されるのだ。安眠効果のある香ならば、強制的に眠らせることが出来る。今回はそれと鏡を入れた。
「楽しんでね。心が壊れるまで」
長は、愉快そうに眠りこける三人を見つめている。香が充満している今の境内に足を踏み入れれば、長であっても眠ってしまう。外から眺めるだけに留めているようだ。
「長ぁー、今のうちに三人ともやったらよくありませんの? 小町なら境内に入らなくても一発ですのに。もう結界の情報は手に入ったのですから」
「だめだ。もし情報が古かった場合、煙管を壊してしまったら知る手段がなくなる」
「そうだよー。だから心を壊して抜け殻にしないと、ね」
史叶と長の二人からだめだと言われ、小町は不満そうに頬を膨らませた。
「じゃあ、あの銃女だけでも」
「だーめ」
「まだ勧誘を諦めていないのか」
史叶が呆れたように言うと、長はにこにこと笑った。盛大に失敗したと言っていたのに、まだ欲しいと言う。史叶としては、性格的にも彼女がこちら側に来ることはないと思っているのだが。
「もうー、つまらないんですの!」
「先に言っておくが、あの傘は放っておいていい。たいして強くもないし、壊して、後の二人の怒りを買う方が面倒だ」
「うるさいですの、メガネ! うっとうしいですの!」
「いてっ、暴れるな。髪を振り回すな」
癇癪を起こした小町が頭をぶんぶん振って、長い髪が鞭のように史叶に当たる。これは地味に痛いのだ。
「小町、史叶、行くよ。結界を奪いに」
長の号令で、小町はなんとか落ち着き、史叶は鞭でずれたメガネを直した。二人は長の後に付いて行く。
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