第5.5話 襲撃、のち、休息(了)

 廃教会に、疲れた足取りで戻ってきた。史叶は長と小町より一足先に撤退していた。

 仮眠室とは名ばかりの、ソファと布団が雑多に置いてある部屋に直行する。少し迷ってから、ソファに倒れ込んだ。やってくる眠気に抗わず、史叶は目を閉じた。

 史叶は夢をみた。


 付喪神には、基本的に『忘れる』という現象は起こらない。桜の花びらが落ちて地面に積もるように、紅葉が枝を離れて道に真っ赤な絨毯を作るように、記憶は蓄積されていく。

 その膨大な記憶を整理するために、付喪神は夢をみる。

 夢は、記憶である。



 ~~~



 七十年前のその日、二つの班合同での案件にあたっていた。無事に完了し、本部に帰るところだった。他の者たちは、今日の自分の成果について自慢げに、楽しそうに話している。史は、情報収集、現場の状況判断が主な役割で、傍から見れば特に成果を上げていない者だった。


「史ももう少し頑張れよー」

「うちのリーダーなんて一撃で、犯人を倒したんだから」

「そうそう。これくらい出来ないと」

「そうだな」

 史は、適当に相槌を打って答えた。彼らの話題はまたすぐに優秀なリーダーの話になる。ふと、一人が小声で話しかけてきた。


「そんなことないですからね。史さんの〈場に導く〉の力があるから、状況判断が出来るんですもんね。落ち込まないでください」

「ああ、ありがとう」


 励ましてあげている。後輩の顔にそう書いてある。そのことが、お前は遠回しに役に立っていないと言っていることに気付いていないのだろう。感謝して欲しいからやっているわけではない。だが、けなされるためにやっているわけでもない。



 ――。



 前触れなどなかった。突然、複数の矢が降ってきた。反射でなんとか避けて、攻撃元を確認した。大きな弓を持った、ゴスロリ服の小さな少女が立っていた。真っ黒なその少女は、再び射の構えに入る。


「攻撃を受けた。対象確認。確保する」

「了解。こっちは六人、相手は一人だ。余裕だな」

「ああ、行くぞ」

 一人が先走って飛び出した。史は、慌ててそれを止めた。


「待て、飛び出すな」

 相手は弓を使う遠距離タイプ。こちらは近距離を得意とするタイプが多い。一人ずつやられれば、数の有利も無意味になってしまう。


「陣形を崩すな。取り囲む」

「そんな面倒なことせずに、さっさと取り押さえればいいだろう。そんなに自分が戦力にならないことをカモフラージュしたいのか」

「は」


 途端、どうでも良くなった。仲間の被害を最小限に、最大の結果を。個人より、最終的な結果が良ければいいと考えて行動してきた。だが、もうどうでもいい。

 仲間が少女に倒されていくところを無感情で、ただ見ていた。矢は不規則な動きをするし、弓自体で打撃も繰り出された。勝ち目はなかった。


 史は振り下ろされる弓を、抵抗なく受けた。




 首から肩にかけて鈍い痛みを覚え、史は目を開けた。

「あ、嫌われ者が目を覚ましましたわ」

「嫌われ者?」


 先ほどの少女の隣に、もう一人立っていた。トレンチコートを着た、白銀の髪の男だった。手には刀が握られている。むき出しの刀身にはわずかに血が付いているように見える。


「このメガネの言うこと、誰も聞かなかったんですの」

「なんて言ったの?」

 その男は、史の顔を覗き込むようにして聞いてきた。史は上体を起こし、短く答えた。


「……陣形を崩すな、と」

「へえ、小町にはそれが得策なんだよね。一瞬で見抜いたかー」

 男は楽しそうに笑顔を浮かべた。少し不気味なくらいだった。


「ねえキミ、うちに来ない?」

「はあ?」

 たった今、問答無用で攻撃してきたやつらが一体何を言っているのか。だが、その男が冗談を言っているようには見えなかった。


「ボクたち、付喪神だけの世界を作りたくてね。でもまだ二人だけなんだ。キミが三人目にならない?」

「こんな役立たずを勧誘とは、相当人手に困っているようだな。テロリストさん」

「役立たず? ボクはそうは思わないけど。でもまあ、そう思うなら、キミが役に立つような世界に、変えちゃえば良くない?」

 自分一人のエゴのために、世界の方を変えると言う。身勝手で無茶苦茶な論理。でも、それが少し眩しくも思えた。


「その知力で、ボクの望みを叶えてよ」

「ははっ」

 史は、半ばやけくそでその手を取った。



 *



 とある地下室に連れて来られた。ワンルームほどの大きさしかないそこは、薄暗い場所だった。


「今日からここがキミの家だ。ねえ、史……うーん」

「なんだ」

「せっかくだし、名前変えよっか。ボクたちの望みを叶えるための名前。そうだなあ、史叶ってのはどう?」

「好きに呼べばいい」

 色んなものを捨てて裏切ってきて、今更名前に興味もなく、淡白に返した。すると、後ろから勢いよく頭を叩かれた。


「長がせっかく名前を付けてくれたのに、なんですの、その態度は!」

「どうでもいいだろう、別に」

「小町嫌ですわ、こんな失礼なやつ!」

 少女は、男の腕にしがみついて、不満を言い散らかす。男は、まあまあ、と言ってなだめている。別にどうしてもここにいたいわけでもない。望まれないのなら、出ていくだけだ。


「行きたいところに行けるし、何でも出来るよ、史叶は。自由なんだよ」

 男が、史の肩に手を置いた。ここにいてもいいし、出ていってもいい、ということか。史は、何気なく絵巻物を広げ、戯れに行きたいところを想像した。


 直後、背中が凄まじい力で押される感覚に襲われた。思わず目を瞑り、背中が軽くなってから目を開けた。


「え……」

 史は、河原に立っていた。地平線に太陽が沈み、川辺の草を柔らかく赤く染めている。少し冷たい風が通り抜けていく。幻でも何でもなく、史はそこに立っている。ついさっきまで地下室にいたというのに。


「ここは?」

 横を見れば、男が首を傾げて問いかけていた。目の前の景色に心が穏やかになり、史は素直に答えた。


「よく気分転換で来ていたところだ。近くに大きな公園があって、ここにはヒトも付喪神もあまり来ない。静かで落ち着く場所だ」

「ふーん、なかなかいいところだね」

「あんた、すごい彩を持っているんだな」

「ん? ボクは何もしてないよ」


 男は小首を傾げてそう言った。史は混乱した。一体何を言っているのか。たった今、瞬間移動のような現象が起きたばかりだというのに。この男でなければ、あの少女の仕業か。


「史叶はさ、状況把握の能力なんてないと思うよ」

「は?」

「史叶は周りがよく見えていて、頭の回転が早い。たぶんそれだけ。能力っていうなら、これがそうなんじゃない?」

「おれの、彩……?」

 この瞬間移動を、自分がやったと。信じられなかった。思わず呆けた顔で男を見た。柔らかな笑顔を返された。


「もう一度やってみたら?」

「あ、ああ」

 男が史の肩に手を置いた。来た時と同じように、行きたいところに、地下室を思い浮かべる。背中に圧がかかり、気が付くと、薄暗い地下室に戻ってきていた。


「うわあーん、長ぁー」

 戻った途端、少女が半泣きで男に抱きついた。少女から見れば突然二人が目の前から消えてしまったのだ。そしてまた突然戻ってきた。驚くのも無理はない。史だってまだ驚いているし、信じられない。


 体の奥底から、笑いが込み上げてきた。


「ははっ、あはははは!」

 一度外に出すと、止まらなかった。役立たず? 馬鹿馬鹿しい。自分の能力すら使えていなかったのだ。〈場に導く〉、場を把握するものではなく、自分自身をそこに導くものだった。本部にいて、戦闘も何度も経験してきたのに、一度だって使えなかった。やけくそでここに来て、初めて使うことが出来た。認められたような気にすらなっている。


「な、なんですの、このメガネ。おかしくなったんですの……」

 少女が、男の後ろに隠れつつ、怪訝な表情で見つめてくる。後で、この少女にも河原を見せることにしよう。

 楽しそうな笑みを浮かべている男に、史叶はここに来て初めて目を見て言葉を交わした。


「やってやる。おれがあんたの望みを叶えてやる」



 *



 史叶は、組織のブレーンとなった。組織の本拠地は、廃教会に移した。地下室は三人の生活スペースとして整備した。ライトや寝具など最低限のものを運び込み、多少は過ごしやすくなった。


 瞬間移動の彩を、使いこなせるように何度も試した。一度も訪れたことのない場所への移動は不可能。一度足を付けたことのある場所から場所への移動のみ。連続して使用すると、疲れが溜まることも分かった。また、小町の彩の練習にも付き合っていた。なんとなくで使っていたものを確実性のあるものに仕上げる必要があった。


「面倒ですのー! さっさと本部襲撃したらいいんじゃないですの?」

「今は警戒されている。仲間を増やし、力を付けることが優先だ。ほら、もう一度」

「あー、うるさいメガネですのー」


 小町の彩は、弓で望んだ点へ矢を放つことが出来る。本来の孤を描くような飛び方ではなく、不規則な飛び方で障害物を避けることも可能。もしかしたら、と史叶は矢以外の物を飛ばしてみるように言った。予想通り、矢以外の物も同様に飛ばすことが出来るようだった。しかし力加減が難しいらしい。


「あー、また折り鶴が潰れてしまいましたわ。無理ですわー!」

「力が強すぎるんだ。もっと少ない力で、そうだな、あの頭の上に着地するように飛ばしてみたらどうだ」


 史叶は、教会のベンチに座っている、長の頭の上を指さした。小町は大好きな長を傷つけたくはないだろう。力を弱める感覚が掴めるかもしれない。


「うー、えいっ」

 小町が放った折り鶴は、ふわりと鳥が飛ぶようにして、長の頭の上に降り立った。


「出来ましたわー」

「おお、えらいね、小町」

 ふと、長がこちらを見て聞いてきた。


「小町の彩にも、史叶みたいな名前があったりする?」

「おれは彩の名称をみるような能力はないが、もし名称を付けるとするなら、〈軌道を描く〉とかか」

「いいね」


 長が楽しそうに笑った。おそらく、長自身には彩はない。それでも、刀での戦闘能力が桁違いで、恐ろしく強い。そして、人を惹きつけるものがある。強いから惹きつけるのかもしれないが。すでにヒトを嫌う一部の付喪神たちから、熱狂的な指示を得ている。

 付喪神だけの国。実現出来るかは正直分からない。見てみたいとは思っている。



 ~~~



「小町ー、何ふくれているの」

 足音と、長の声がして史叶はぼんやりと目を覚ました。部屋を出て聖堂の方へ向かう。


「長がどうしてもと言うから、折り鶴を飛ばしましたけど、なんであんな銃女がいいんですの!? ぜーーったい小町の方が可愛いですわ!」

「機嫌直して、小町。ね?」

「いやですわ」

 小町は長い髪がぶわっと広がるくらい勢いよく顔をそむけた。


「えー、どうしたら機嫌直してくれる?」

「それは長が考えてくださいな」

 なおも視線を合わせず、突き放した言い方をした小町だが、ちらちらと様子を窺っている。大方、少し言い過ぎたのでは、嫌われてしまうのでは、と不安になっているのだろう。


 長は、うーんと悩んでいたが、やがて小町の前に立った。そして、かがむようにして視線を合わせ、頭をそっと撫でた。


「小町は可愛いよ。それにとっても綺麗だ」

「ず、ずるいですわ! そんなの」

「ずるいボクも好きでしょ?」

「ああ……長がかっこよすぎて、小町許してしまいますわ……」

「一体なんの茶番だ。よくそんな台詞吐けるな」

 ここまで無言で見ていた史叶が、さすがに呆れて口を挟んだ。


「茶番じゃないですわよ! てか、メガネの作った煙幕玉、煙の量多すぎですの! 服が白くなりましたわ」

「あー、はいはい。で、首尾は?」

「そうそう、途中まではいけそうだったんだけど――おっと、忘れてた。ただいま、史叶」

「ただいまですわ」

 一瞬、面食らったが、史叶はおとなしく言葉を返した。


「……おかえりなさい」

「えらいえらい」

「そんなことより、詳細を」

「そうだね」


 帰ってきたら、必ずただいまと言うこと、組織の数少ない決まり事の一つである。


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