第5話 カフェ・ブレイクー2(了)
「葵、状況は!」
「
小町は最初から、扇を狙っていたのだ。だが、残月の立っていた位置は彼女のいる建物からは死角になっていたはず。戸惑っている間に、次の一射を構えている。紅花は矢を撃ち抜くために実弾を放つ。が、矢は不規則な軌道を描いて弾を避けた。再び残月のいる方向へ飛んでいく。
「葵! 残月を守って!」
「分か――うっ」
今度は葵のうめき声が聞こえた。筆頭にこの場を任せ、紅花は葵と残月の元へ走る。背を向けても長や史叶が攻撃して来ないのが不気味だった。まるでこちらの反応を観察しているよう。
「大丈夫!?」
葵は、自分の肩を反対の手で押さえながらも、傘を開き、残月を守る体勢を取っていた。残月は扇の真ん中を射抜かれて気を失っている。葵の肩は矢が掠めたらしく、血が滲んでいる。見ると、傘に穴が開いていた。矢が傘を貫通し、葵に傷をつけたのだ。
「なんで、防げて、ないの……」
「葵、無理に動かないで」
死角にあっても、銃弾の阻害があっても、的確に矢が当たっている。この正確さは、彩の可能性が高い。が、葵の傘を貫いたのは、おそらく彼女に一切『悪意がない』から。罪悪感すら一切持たず、目的のために動いているということ。それは長もおそらく同じ。〈悪意から守る〉の葵の彩とは相性が悪すぎる。
葵の防御が効かない上に負傷してしまっている。マスターや残月を安全な場所へ連れていかなければならない。安全が最優先。撤退すべきだ。
「筆頭、撤退しましょう」
「悔しいけど、同意見だよ」
警戒をしながら、筆頭は紅花たちの元まで後退してきていた。慎重に死角から出て、屋上を見上げると長一人しかいなかった。二人はどこに行ったのかと背筋が凍ったが、瞬間移動で、はなのさとの方に向かったようだと、筆頭が教えてくれた。二班を心配するより先に、ほっとしてしまったことを恥じる。
「私が引き付けます。マスターと残月を連れていってください」
「応援を呼んである。葵、そこまで歩けるかい」
「大丈夫、残月さんはあたしが」
葵が足を踏ん張って立ち上がる。そして残月の腕を肩に回す。持ち前の体力でどうにか保っているようだ。
「後は任せましたよ」
筆頭にそう言い、紅花は死角から出るために一歩を踏み出す。が、その直前で筆頭に腕を引かれ、引き戻された。
「筆頭?」
「み、お……」
「どうしたんですか?」
「行くな、やめてくれ」
珍しく、筆頭が顔を青くしてそう言った。焦点が合っておらず、紅花を見ているのに、目が合わない。少し様子がおかしい。掴まれた腕に爪が食い込むほど強い力が込められた。
「いたっ」
「あ、ごめん、紅ちゃん……」
「筆頭、私じゃ気を失っているマスターを運べません。葵もギリギリの状態です。行ってください」
「……ああ。ごめん。分かってる」
ぎこちなく筆頭が頷き、三人がそれぞれ動き出す。死角が出た紅花は、屋上の長に向かって発砲する。射程範囲ギリギリで、まともな攻撃にはなっていないが、けん制が出来ればそれでいい。長は軽い手付きで刀を振り、弾いている。
その時、ヒトが走ってきた。
「こっちだ! 急げ」
「相手は銃を所持しているぞ」
「警察だ! 武器を捨てなさい!」
警察官が二人、そのうちの一人は拳銃を手に、紅花に警告をしてきた。月華の一人が倒れたことで、結界が崩壊してしまった。先ほどの発砲音もヒトの耳に届く状況になってしまっているのだ。
「……っ、こんな時に」
まだ筆頭と葵が充分な距離を取れていない。しかし、無関係なヒトを傷つけるわけにはいかない。
「何をしている! 銃を捨てなさい」
銃の撃ち合いだけは避けなければと、紅花は一発だけ、弾を撃った。警察官の銃に目がけて飛んだ銃弾は、その銃口の中へと吸い込まれるようにして撃ち込まれた。銃が軽く暴発し、警察官は銃を落とした。
「銃口に弾を撃ち込んだ!? ありえない……」
「じゅ、銃を捨てなさい」
明らかに動揺している警察官の前に、唐突に白刃がきらめいた。
「うるさいなあ、キミたち」
長が屋上から降りたち、紅花と警察官との間に立った。紅花に気を取られ、上にもう一人、刀を持った男がいるなど知るよしもなかった二人は、完全に腰を抜かしてしまった。長は刀を真横に振るおうとしていた。腕に止まった虫を払うかのように、何でもないことのように。
「やめなさい!」
「ん?」
「殺すのは、やめなさい」
「ふーん、キミがやめて欲しいなら、やめてあげる」
長はくるりと刀を反転させて、柄で警察官の首元を突いた。二人ともそれで気絶した。
筆頭も葵も、充分ここから離れることが出来たようだ。紅花もすぐに離脱したいのだが、長が、どんどんこちらに近付いて来る。刀を鞘に収め、世間話をするように柔らかな笑みで歩み寄ってくる。撃てばいいのに、敵意を向けて来ない相手に向ける引き金はとても固かった。
「それ以上近づかないで!」
「うーん、ボクはキミと話がしたいだけなんだけどな」
「私は話なんてない」
両手で銃を構え、距離を保ったまま、硬直状態になった。紅花はそのまま後退して、この場を離れようと考えていた。
ふいに、左手に何かが飛んできた。それは折り鶴で、紅花の手の甲に蝶がとまるように静かに降り立った。飛んできた方向を見ると、小町が立っていた。まずい、と頭の中で警報が鳴った。折り鶴から、甘い花の蜜のような香りがした。なぜか急に、頭がぼうっとしてきた。力が入らず、銃を持つ手を下げてしまう。
「ねえ、キミはこう思ったことはない?」
長は、ゆっくり紅花に歩み寄り、優しく語りかけてきた。
「警備課は自分には合わないと。あそこにいるのは、傘や扇子、そして煙管。どれも、ヒトを傷つけるものじゃない」
長の漆黒の瞳が妖しく細められる。そこに映った紅花の顔も揺れる。分かっている、それ以上、聞きたくない。
「でも、キミは違う。キミが使われるということは、ヒトを傷つけるということ」
「嫌……やめて」
小さな子どもがイヤイヤをするように、紅花は何度も頭を振る。先ほどから理性が無理矢理、頭の隅に追いやられて上手く思考が回らない。その隙間に長の言葉が押し寄せてくる。明らかに正常な状態ではない。
普段心の奥底に仕舞っている思いが、溢れてきてしまう。煙管や傘、扇が百年在り続けて、付喪神となるのは、持ち主に受け継がれ、大切にされ、使われてきたことの証。でも、銃はどうか。百年使われたことは、それだけヒトを傷つけた証。持ち主だったあの子も、紅花自身も、誰も傷つけたくなかった。でもそうしないと、あの子は生きていけなかった。紅花も存在することが出来なかった。
「綺麗な赤い瞳。それは、何の色なのかな」
「……っ」
赤は、あの子と紅花が一番見てきた色。だから、瞳がこの色に染まったのだと思っていた。昔は赤が大嫌いだった。
「恐れることはない。キミはボクと同じだ」
「おなじ……?」
「そう。ヒトを傷つけるための道具」
「……」
「もしも、ヒトと付喪神が対立したなら、本部はヒトを守る側に付くだろう。キミに傷つける道具であることを強いた、ヒトにだ」
長は、終始穏やかに、紅花の目を見て話した。甘い香りはどんどん強くなっていく。
「キミがいるべきなのは、警備課じゃない。おいで。ボクと一緒に行こう」
上手く働かない頭には、長の言葉は甘美で心地よく、それが正しいことのように思えてくる。自分の居場所はきっと。
「キミが欲しい」
長の手のひらが紅花の頬に優しく触れ、顔を上げさせる。長は紅花が頷くのを静かに待っている。促されるままに頷きかけた……。
その時、走って戻ってきた筆頭が声を張りあげた。大事な相棒に向けて、届くように。
「紅ちゃ――紅花!!」
「!」
筆頭の声で引き戻された紅花は、とっさに折り鶴を撃ち抜いた。その瞬間、甘い香りが霧散し、理性が覚醒した。
「私は、あなたとは、違う……!」
「へえ、名前を呼ばれただけで戻っちゃうんだ。すごい信頼関係だ。ざーんねん、作戦失敗だー」
長はお手上げのポーズをして、眉を下げた。本当に残念そうな表情をしている。本気だったらしい。
紅花は覚醒した瞬間に後ろに飛び退いた。わずかにふらついたところを、走ってきた筆頭に抱きとめられた。大丈夫です、と言っても肩を抱いたまま、筆頭は離れない。強い力で肩を引き寄せられる。
「紅ちゃんは、お前に渡さない」
長に向けて、殺意すら見え隠れる、地鳴りのような低い声で告げた。初めて聞く声に、紅花は一瞬背筋がぞくりとした。が、その言葉に違和感を持ち、筆頭の袖を引く。
「私は、筆頭の所有物ではありませんよ」
「! ははっ、うん、そうだね」
筆頭は毒気を抜かれたかのように笑って、肩の力を抜いた。紅花の頭を何度も撫でてくる。
「紅ちゃんの赤は、警備課の色だよ。とても綺麗な赤」
「何ですか、突然」
「嫌なことを言われた顔してた。違った?」
「違わない、ですけど」
表情を読まれて悔しいが、いつも通りの筆頭になって安心した。もっとも、目の前に安心出来ない者が立っているが。
「見せつけてくれるなあ。あーあ、その男よりボクが先に出会ってたら、キミはボクのところに来てくれたのかなー」
「勘違いしないで」
紅花は、長の独り言のようなそれに、反論した。勝手に決めつけてもらっては困る。さっきも、好き勝手に紅花のことを決めつけて、全て分かったかのように話していた。今更腹が立ってきた。
「私はヒトが好き。あの子のことが大好きよ。銃の在り方に悩むことはあっても、その気持ちは変わらない。筆頭より先にあなたに会ったとしても、ヒトが嫌いなあなたとは一緒に行かないわ」
「ふーん、その男の方がいいんだ」
「何度繰り返したとしても、私は筆頭を選ぶわ」
紅花は、言い切った。偽らざる本心だった。警備課こそが自分の居場所だと、そう思っている。筆頭がすぐ後ろで笑う気配がした。
「いい子だ、紅ちゃん」
笑顔の筆頭とは対照的に、笑みを消した長は気だるそうに声を上げた。
「あーあ、気分が乗らないけど、次の作戦に移るかー。……これ、なーんだ?」
トレンチコートのポケットから、何かを取り出して、こちらに見せてきた。金属の破片のようなそれは、陽の光を受けて少し光っているように見える。かなり古い物のようだが、これが一体何だと言うのか。
「なん、で、お前がそれをっ」
一転して筆頭が青ざめた顔で、食い入るようにその破片を見つめている。その反応を見て、長が愉快そうに笑みを零した。右手を動かすと、その背後から紙飛行機が飛んできて、筆頭の足元に着地した。
「欲しかったら、明日一人でここに来なよ」
「答えろ! 何故それをお前が持っている!?」
筆頭は烈火のごとく声を荒げた。完全に冷静さを欠いている。紅花でさえ、一瞬怖いと思ってしまった。
「あの日近くにいたから。それだけさ。じゃあね」
「待てっ!」
筆頭が喧嘩煙管を振り上げて、長に迫る。が、その破片を盾のように突き出され、動きが止まってしまう。
「言っただろう。欲しかったら明日来なって。別にボクはここで壊したって構わないんだけど」
「やめろ」
「今日はボクたちを見逃して、また明日会いに来なよ」
気軽な約束のような口調でそう言うが、さもなければこれを壊す、という脅しが背後にあった。長はポケットから、手のひら大の球体を取り出し、地面に向かって投げた。それは一瞬にして辺りに煙幕を広げた。筆頭は、拳をきつく握りしめて、煙の向こうに去っていく長を、追わなかった。
長が去る直前、紅花の足元に、矢が刺さった。小町がこちらを鋭く睨んでいたが、長と共に去っていった。先ほどの紙飛行機を貫いていたから、風に飛ばされないようにか、それとも威嚇のつもりか。きっと後者だろう。紅花は矢を地面から抜き捨てると、紙飛行機を手にした。
「筆頭」
声をかけるが、筆頭は長の去った方向を見つめ、立ち尽くしていた。
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