第5話 カフェ・ブレイクー1
私室の窓から見える一本の木を、紅花は見上げた。もう葉はほとんどが真っ赤に色付いている。今年も綺麗な赤になった。葵が、この前寄った神社の紅葉が綺麗だから、紅葉狩りに行きたい、と言っていた。次の休みまで、落ちずにいてくれればいいのだが。
ビーーーーー
突然、つんざくような警戒音が本部の中を駆け抜けた。端末から発せられている。紅花は弾かれたように廊下に出た。隣を見れば、同じように飛び出してきた筆頭がいた。一拍遅れて葵も。本部のあちこちで扉が開き、一気に色鮮やかになった。
「何事だ」
筆頭は受付に確認しようとしたが、それよりも早く、端末がもう一度警戒音を発した。『緊急。小料理屋はなのさと、カフェ・黒猫が襲撃に遭っている模様』受付嬢が端末でメッセージを送ったようだ。鳩よりも早く、緊急の連絡としては最適だが、本部にいるほぼ全員に送っているとなると、体力の消費が桁違いだ。
「大丈夫!?」
紅花は、受付に駆け寄ると、彼女は椅子から崩れ落ち、肩で荒い息をしている。早く現場へ、と苦しそうな息の中で言われ、紅花は力強く頷いた。筆頭が廊下に出ている警備課全員に聞こえるように、よく通る声で指示をした。
「襲撃箇所は、本部を挟んだ位置にある。月華はそれぞれに分かれて配置。第二班は、はなのさとへ、第三班は本部で待機。第一班はカフェ・黒猫へ向かう。一般のヒト、付喪神の安全確保最優先。行動開始!」
「了解!」
筆頭の指示の元、各員が動き出す。紅花たちも本部を出て、カフェ・黒猫へと向かう。走りながら、葵が不安そうに話しかけてくる。
「何が、起きてるの。もしかして、あの組織が?」
「分からないわ。でも、私たちがするのは暴徒化した付喪神を鎮圧、保護すること。いつもと同じよ」
「うんっ」
葵にはそう言ったが、例の組織のことは怪しい場所を見つけることはあっても、核心に迫ることが出来ていなかった。それに、七十年前の事件と似た空気を感じて手に汗が滲む。
筆頭は何も言わず、現場への道を走る。その背中が強張っているのが分かり、紅花は一瞬不安を感じた。嫌な予感がする。そういう予感は、当たって欲しくないほど、当たる。
カフェに到着して、紅花は思わず立ち尽くしてしまった。店の前にある花壇は倒れて土が零れ出している。窓ガラスが割れている。いつも来客を知らせるドアのベルが落ちている。ひどい有り様だ。
「紅ちゃん」
「葵は、店の周辺を警戒していて」
「分かった」
葵の声でハッとした紅花は店の中へと急ぐ。中のテーブルや椅子は乱雑に散らばっている。マスターこだわりのアンティークのガラスポットも粉々。
「マスター! 大丈夫かい!」
カウンターの傍で、マスターが倒れていた。頭を打って気絶しているようだが、大きな怪我はなさそうだ。筆頭はマスターの腕を肩に回して、店の外へと連れて行く。紅花は他に店の中に人はいないかを確認する。コーヒーカップがいくつかあり、客もいたようだが、幸い、自分たちで逃げることが出来たらしい。
「あなたたちが、カフェを襲ったの!? 答えて!」
店の外から葵の怒った声が聞こえてきた。紅花は店の外へ駆け出す。落ちていたカップの破片を踏んでしまい、足元でパリンと音がした。
外に出ると、カフェ・黒猫を囲むように、付喪神たちが集まっていた。その手にはトンカチやゴルフクラブが握られていた。薄ら笑いを浮かべてこちらを見ている。どうやら誘い込まれたらしい。
「対象確認。拘束する。葵はマスターに付いて」
「了解」
「了解」
筆頭の端的な指示の中に、憤りを感じ取った。当然、紅花も腹に据えかねている。マスターの大事な店を襲撃されて、黙ってはいられない。
店を襲った犯人は六人。筆頭は地面を蹴って彼らに直進する。それを合図に彼らは各々の武器を掲げて、筆頭に攻撃を仕掛ける。そのうちの二人、紅花の方へ走ってきた。二人で倒せると思われているのか。
「舐めないで」
紅花は、麻酔薬を装填し、相手の腹部に打つ。武器を振りかぶり、がら空きなそこに、それぞれ一発で命中。その場に倒れ込む。前を見れば、筆頭の足元に四人が転がっている。うめき声が聞こえるから、気絶はさせていないようだ。筆頭が一人の胸ぐらを掴み、なんとか冷静を保ちつつ、問い詰めた。彼の耳には黒いピアスが光っている。
「何故こんなことを――いや、誰に言われたんだ」
彼が答えるより前に、頭上から声が降ってきた。
「あーあ、あいつら、捕まるの早すぎですのー」
紅花たちは、驚きと警戒で体を翻し、声の主を見上げた。今の今まで気配などなかったのに。二階建てのアパートの屋上、その縁に腰掛け、足をぷらぷらさせているゴスロリ服の黒髪の少女。その後ろに立っているのはトレンチコートを身に纏った白銀の髪の男。
「……!」
仮面舞踏会で接触してから一度も姿を現さなかった彼らが、目の前にいる。バーテンダーに伝言していた『決行』とは、この襲撃のことなのか。紅花は反射的に銃口を向けて、そして、もう一人、そこにいることに気が付いた。青みを帯びた暗い髪にメガネをかけた少年。手には絵巻物が握られている。紅花は思わず、引き金から指を離してしまう。
「どうして、あなたが……」
「何故……」
予想もしていなかった存在の出現に、頭が真っ白になった。
紅花と筆頭が、その少年に驚いている横で、葵も両手を口に当てて動揺を隠せていない。紅花は葵の様子に違和感を持った。
「葵、どうしてあの人のことを知っているの?」
「前に話した、公園で鍛錬に付き合ってくれたのが、あの人」
葵は面識がないはずだと思っていたら、そういうことだった。葵が、なんで二人があの人のこと知ってるの、と聞いて来る。葵自身、紅花たちの反応で薄々気が付いているかもしれないが。
「あいつは、警備課だ。いや、その様子だと元警備課か。七十年前の事件の時に行方不明になっていた。まさか、そちらに付いていたとはな」
「……彼がいたから、本部の情報に詳しかったという訳ね」
少年は、絵巻物を広げ、冷ややかな笑みを顔に張り付けて一歩前に出た。少女の横
に立ち、紅花たちを見下ろす。
「おれの本部の情報は、七十年前で止まっている。だから、見学と偽って潜入させたりもした。一人、知らない付喪神がいたけれど、本人が色々と教えてくれたから問題はない。ね、葵さん」
葵の名前を呼んだ瞬間に、彼は葵のすぐ横に立ち、嘲笑を浮かべていた。葵は反射的に傘を真横に振るが、彼には当たらなかった。次の瞬間には涼しい顔でまた屋上に立っていた。
「なん、で」
まるで瞬間移動のような動きだった。いや、実際そうなのだろう。おそらくそういう、彩だ。だが、彼が本部にいた時、そんな彩があるとは聞いたことがなかった。戦闘向きではないと言っていたような。
隣で、葵の顔から血の気が引いていくのが見て分かった。あの口ぶりからして、葵は警備課のこと、自身のことを彼に話してしまっている。
「そんなに近づけるなら、メガネが全員やったら良くないんですの?」
「近づけるが、後の二人は戦闘能力が違いすぎて無理だ。反射でやられる」
「役立たずー」
「あ?」
こちらの動揺なんて意に介していない様子で、二人は屋上の縁で言い合いをしている。その口ぶりから、彼が無理矢理従わされているわけではないことを理解した。
「
「今は史叶だ。どうしてか、なんて知らなくていいことだ。理解して欲しいわけじゃない」
筆頭の問いかけにも、史、いや、史叶は冷ややかな答えしか返さない。筆頭は、唇を噛んで下を向いた。同じ班にいたことはなくても、部下だったことには変わりない。不甲斐ない、と自分を責めているのかもしれない。だが、反省は今することではない。
「筆頭! ……対象確認。どうしますか」
紅花の声に、筆頭は顔を上げて深呼吸を一度した。屋上にいる三人に向かって、警備課として、問いかける。
「お前らの目的は?」
史叶と少女が、道を開けるように横にずれると、二人の間から白銀の髪の男が歩み出てきた。柔らかな笑みすら浮かべている。
「やあ、初めまして。警備課の皆さん。ボクは長。この子は小町、可愛いでしょう。こっちは史叶、うちのブレーンだ」
「目的は?」
筆頭はもう一度、長に問う。やれやれ、といった風に長は首を振る。その緊張感のなさが、逆にこちらを緊張させる。
「理想郷を作ること。ヒトのいない、付喪神だけの世界を作るんだ」
「正確には国、な」
「いちいち細かいですわ。メガネちょっと黙っているのですわ」
長を挟んで二人が何か言っていたが、長の言ったことに意識を持って行かれ、紅花たちの耳には入って来ない。
「理想郷、だって? ヒトがいない世界なんて出来るわけがない」
筆頭の反論も、長は手をひらひらとさせて埃を払うように追い払った。
「付喪神は人の姿を持っている。ボクたちが物を作り、使えば何の問題もない。何もヒトでなければならない道理はない。物のためを思うならね。そもそも、百年に満たない物たちが捨てられていく現状がおかしいんだよ」
紅花はとっさに言い返せなかった。物が忘れられ、捨てられ、それを無帰課で見送る。そのことが、本当に救いになっているのか。全く疑問を持たなかったわけではない。付喪神だけの世界。考えたこともなかったが、実現すれば、そこは物にとっては理想郷となるのだろうか。いや、あり得ない。
「じゃあなんでマスターのお店を襲ったの!? そんなの理由になってないもん!」
葵が傘を開き、防御の体勢を取りながら、長に反論した。手は震えているが、その目線はしっかりと長を捉えている。そう、物のためと言いながら、彼らは店を、物を壊している。言動が矛盾している。
「ああ、それは警備課への宣戦布告だから。キミたちをここに呼ぶためだけにやったから、もうどうでもいいよ」
「……っ!」
葵は傘の柄を、力いっぱい握りしめている。今にも飛び出していきそうな葵を、筆頭が止める。
「なぜ、そこまでヒトを嫌う?」
「なぜ、どうして。理由がそんなに重要かなあ。不幸な身の上話をすれば納得して協力してくれるの? ボクはヒトに一度も使われたことはない刀だ。作っておいて、一度も使うことなく、蔵に放置し、忘れた。影打だかなんだか言ってたけど、使わないのなら、忘れるのなら、生み出すな、って話だよね」
「小町は、長が見つけてくれなかったら、あの暗くて冷たい蔵の中しか知らなかったですわ。ヒトなんて、いらないですわ。長さえいればいいんですの」
長の話に引きずられてか、小町も自分のことを口にした。捨てられた、のではなく、そもそも使われたことがないのだ、この二人は。
「さて、前置きが長くなったね。要求を言おうか。……結界を渡せ」
柔和な笑みを消した長が、要求を口にした。鋭く磨かれた刃のような情のない冷淡な声だった。刀を鞘から抜き、こちらに切っ先を向けてくる。やはり目的は本部の結界だった。付喪神の世界を作るとすれば、ヒトから隠す結界が必要不可欠となる。
筆頭の答えは当然。
「断る」
「まあ、そうだよね。小町、史叶、作戦通りに」
長の指示を受けた小町が弓を手に取った。彼女の背丈ほどもあるその弓に矢をつがえ、構えた。長い黒髪が風になびいて、真っ黒な少女が見た目にそぐわない威圧感を放つ。
「メガネ、どの作戦ですの?」
「『ヨイチ』だ」
「はぁい」
小町が矢を離し、引き伸ばされていた弦を解放した。矢は真っ直ぐに紅花たちの元へ、飛んで来ることはなく、大きく逸れて飛んでいった。外したのか。紅花は次の矢に備えて、小町へ銃口を向ける。少し遠いが、問題はない。
しかし、背後でかすかな悲鳴と倒れ込む音がした。葵が声の元へ駆け寄る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます