第4話 マスカレード・ミッションー3(了)
「では、スタート。一本目」
進行役が客の中からいつの間にか登場し、開始の合図をかけた。
合図に合わせて、紅花と少女はダーツを投げていく。紅花は、あまり腕を動かさず、まっすぐに投げる。銃弾がまっすぐに進むように。ダーツの正しいやり方は知らないが、これが紅花にとっては一番正確に投げられる方法だった。少女の投げ方は対照的だった。腕全体で、しならせるようにして投げる。綺麗な孤を描いてボードに刺さる。
「五本目」
最後のダーツを投げたところで、計算をするために客の一人がボードに近付いていった。いつの間にか得点係まで出来ていた。得点係は、えっと困惑の声を上げて、もう一度得点を数え直していた。そして、紅花と少女、観客たちに結果を伝えた。
「同点、です」
観客から、おお、と歓声が上がった。延長戦か、という声も聞こえてくる。そろそろ筆頭と合流をしたいが、盛り上がった観客たちはこのままでは終わらせてくれないだろう。その時、少女が唐突に大きな声を上げた。
「あー!」
視線の先には、先ほどシャンパンを渡してくれた、白銀の髪の男がいた。少女に向かって拍手をし、にこにこと笑っている。
「凄いねー。えらいえらい」
「もう! やっと見つけましたわ! すぐにどこかへ行ってしまうのですから」
少女が彼を指さして不満気な声を上げた。が、すぐに甘えるようにその腕に自分の腕を絡ませた。お互いがお互いのことをすぐにどこかへ行く人、と言っているが、これは二人ともが迷子気質なだけなのでは、と思った。しかも、彼が探していた相手がこの少女だったのなら、全然紅花と似ていない。本当に探す気があったのだろうか。
ダーツの勝負がお開きであることを察した客たちは、ばらばらとその場を離れ始めた。
「おや、キミはさっきの」
彼が紅花に気付き、手を振ってきた。それを見て、少女はぷくーっと頬を膨らませた。
「小町以外の女と、何をしたんですの?」
「小町を探している時に、シャンパンをおすそ分けしたんだ」
「ふんっ。長なんてもう知りませんわ」
もう知らない、と言いながら腕は離さない。可愛らしい拗ね方をしている。彼はボーイにシャンパンを頼むと、それを少女に渡した。これくらいでは、と言いながらも嬉しそうにシャンパンを受け取っている。
「そろそろ帰らないと。行くよ、小町」
「はぁい」
歩き出す前に、彼は微笑みながら紅花にこう言った。
「じゃあね。上司のパートナーと仲良くね」
「はい」
楽しそうに言い合いながら歩いていく二人を見送った。仲良くといっても、その上司と遊びに来ているわけではなく……
「――って、私、パートナーが上司って言った……?」
紅花は、さあっと血の気が引いていくのが分かった。悪意も敵意も感じなかったから、判断が遅れた。情報交換が行われているという会場で、あの男は、本部の情報を、紅花と筆頭のことを知っていた。
「待ちなさいっ」
二人を追いかけようとしたが、ちょうど音楽が始まり、フロアではダンスが始まってしまい、思うように動けない。あっという間に見失ってしまった。
「……ッ」
「どうした!?」
急に腕を引かれて、抱き寄せられた。紅花の体はすっぽりと相手の腕の中に収まった。驚いたが、声が筆頭だったから、怖くはなかった。むしろ、申し訳なさで顔が上げられない。
「大丈夫かい、何かあった?」
心配そうな声が上から包み込むように降ってくる。ずっと落ち込んでいるわけにもいかない。まずは、報告をしなければ。
「すみません。重要人物、かもしれない人を逃がしてしましました」
「……それって、白銀の髪の男?」
「どうして、それを」
筆頭は左手で紅花の手を取ると、もう片方の手を紅花の腰に回した。すっと顔を近付けて、耳元で言った。
「立ったままだと目立つから、踊りながら、ね」
「はい」
音楽と、筆頭に身を任せながらダンスに興じる。さっき踊った時よりも緊張しているのは、報告をしなければならないからか、それとも相手が筆頭だからか。
「詳しく教えてくれるかい」
紅花は筆頭に、白銀の髪の男とその連れの少女のことを報告した。判断が遅れたことを謝ったが、気にしなくていい、と言われた。しかし、筆頭と紅花が逆の立ち位置だったなら、逃がしたりはしなかったかもしれない。
「本当に気にしないでいいよ。というか、俺も証拠掴んでおきながら逃がしてるわけだし」
「もしそうなら、私も筆頭も反省すべきなんです」
「うーん、ごもっとも」
音楽が一度止まった。ダンスのパートナーを変えてもいいタイミングだが、紅花と筆頭は手を離すことなく、そのまま続ける。音楽が再開する。
「で、証拠ってなんですか」
「バーテンダーの写真をこっそり撮って、リンちゃんに送って調べてもらったら、あいつ、武器とか偽札とか違法なものを扱ってたみたい。それで脅してみたら、そういうのを黒いピアスしたやつらに流してたって」
「違法なものでも何でも使ってくる相手ってことですか……」
「しかも、流した物を人数分に換算したら、ざっと三十人くらい。指示してきたやつのことは口を割らなかったけど、視線がある人物に向いていたんだ。それが」
「白銀の髪の男、ってことですね」
「そういうこと。一体何者だ、あの男」
*
マスカレード終了後、紅花と筆頭はあるカフェに来ていた。コーヒーを挽く道具、ミルの付喪神のマスターが切り盛りしている、カフェ・黒猫。店内にはゆったりとしたオルゴール調の音楽が流れている。カウンター席が四つ、あとはテーブル席で、二人席と四人席が交互に配置されている。椅子や照明はもちろん、シュガーポットなどの小物もアンティークな雰囲気で統一されていて、マスターのこだわりが感じられるいい空間だ。
「やあ、マスター」
「こんばんは。筆頭さん、紅花さん」
マスターはいつものように黒いバリスタエプロンに、蝶ネクタイをしめていて、いかにもな服装をしている。見た目が四十代というだけでなく、彼自身の雰囲気とマッチしていて似合っている。
店主が付喪神ということで、本部の者たちもよく訪れている。夕食時だからか、他に客はいなかった。本部に戻る前にここで一息ついてからにしようと、寄り道をした。
「お二人とも、素敵なお召し物で」
「仮面舞踏会に潜入してきたので、こんな派手な服なんです」
「いいでしょ。あ、コーヒー二つお願い」
「かしこまりました」
店内に、コーヒー豆を挽くカリカリと軽やかな音が響いた。紅花と筆頭は四人席についた。筆頭は二人席に腰掛けようとしていたから、軽く首を傾げていた。
「葵を呼ぼうかと思いまして。ドレス姿を見たいって端末にメッセージが入ってたので」
「ドレス見せるなら本部に戻ってからでもよくない?」
「エントランスで騒ぐと迷惑じゃないですか。吹き抜けで四階まで声響くんですから」
「ここならいいのかい?」
筆頭はくるりとマスターを振り返った。紅花も会話が聞こえていたであろうマスターに尋ねる。
「だめですか、マスター」
「構いませんよ。今はヒトもいませんし」
「ありがとうございます」
ポットが湯気を上げて準備が出来たことを知らせる。コーヒー豆にお湯が注がれて、香りが一気に広がる。
端末で葵に通話をして、カフェにいることを伝えると、すぐに行きます! と食い気味に返答があり、そのまま切れた。
出来上がったコーヒーを楽しんでいると、扉がカランカラン音を立てて来客を伝えた。肩で息をしていて、走ってきたことが分かる。そんなに急がなくてもいいのに、という紅花の言葉は葵の声に見事にかき消された。
「わああああ、紅花ちゃん可愛い! すっごい可愛い!」
紅花の周りを子犬のようにぴょんぴょんと行ったり来たりして、ドレス姿を褒めちぎっている。キラキラ輝いた目で見られて、まっすぐな褒め言葉に、照れくさくなってきてしまう。でも、素直に嬉しい。
「あ、筆頭さん! 一瞬誰だか分からなかった!」
「えー……」
ようやく筆頭の存在に気付いたらしく、葵は筆頭を見て驚いていた。
「かっこいい! ちゃんとしてる!」
「うん、ありがとう?」
筆頭はあまり褒められた気がしないらしく、お礼を言いながらも首を傾げていた。葵はすごいすごい、と言いながら、やっと席についた。座るなり、マスターへカフェオレを注文している。
「仮面舞踏会はどうだった? 楽しかった?」
「いや、遊びに行ったわけではないのよ」
「あ、そうだった。でもでも、皆そういう服を着て、ダンスとかするんでしょ! すごそう……」
葵は頬杖をついて想像に浸っている。楽しい話をしたいところだが、そういうわけにもいかない。
「葵、詳しいことは本部でまた話すけど、要注意人物に接触したんだ。白銀の髪の男、小柄な黒髪の少女。本部の情報を握っていて、怪しい動きをしている組織の中心人物のようなんだ」
「やばい組織の人……」
眉間に皺を寄せて、葵が唸っている。そこへ、カフェオレをトレイに乗せたマスターがやってくる。
「どうぞ、カフェオレです」
「ありがとうございます!」
テーブルに置かれたカフェオレにさっそく口を付けて、熱いっ! と顔のパーツが中心に寄っていた。表情がせわしなくて、思わず笑ってしまう。
「マスターも、一応気を付けて。黒いピアスをした付喪神とか」
「分かりました。ですが、ピアスを付けている方はたくさんいますし……難しいかもしれませんね」
「まあ、確かに」
カフェ・黒猫には、紅花たちのような付喪神も、ヒトもたくさん訪れる。元々ミルの持ち主だったヒトの後を継いだ形でマスターが店をしているため、ヒトの常連も多いらしい。全ての客を見張るようなことは出来ないだろう。
「まあ、俺も来れるときは来るようにするよ」
「ありがとうございます」
マスターは、胸に手を当てて一礼すると、定位置のカウンターの内側に戻った。
カフェオレの熱さと格闘してした葵が、思い出したように声を上げた。
「あのね、今日公園で一緒に鍛錬してくれた人がいてね、あの人、警備課にぴったりだと思うんだ!」
「体力バカの葵の鍛錬に付き合うなんて、なかなかね。どんな人?」
「えっと、メガネかけてて、ひょろっとしてたけど、足速かったよ!」
自信満々にそう答えるが、それ以上追加の情報はないらしく、どんな人なのか想像が付かない。
「さては葵、早く後輩が欲しいんだな」
「そんなことないもん。いや、ちょっとはあるけど」
口を尖らせる葵に、筆頭が今度紹介してくれるかい、となだめている。紅花はいつものやり取りと、コーヒーの香りで心が和らぐのを感じた。今日はずっと神経を尖らせていたから。
――――この日常が、あんなに簡単に壊れるとは、思っていなかった。
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