第4話 マスカレード・ミッションー2
*
「さて、調査を開始しようか」
「筆頭、どうやって調べま――」
筆頭の人差し指が紅花の唇に押し当てられて、言葉を中断させられた。顔を覗き込むように、シーっと囁かれた。
「仮面を付けている間は、お互いに素性は明かしちゃいけない。名前もね」
正確にはこの人の名前は梓で、筆頭ではない。本人いわく、似合わないからと、筆頭と名乗っているし、本部の者にもそう呼ばせている。とはいえ、素性を示すものの一つではある。気を引き締めて紅花は頷いた。
「はい、すみません。気を付けます」
「ん。いい子だ、紅ちゃん」
注意したその口で名前を呼ぶいい加減な上司の耳を思いっきり引っ張る。
「いてててて、ごめんごめん。離して、マイディア」
「? 何ですかそれ」
「名前を呼べないからね。今日はそう呼ぶことにするよ」
「マイディア、どういう意味ですか」
「んーと、相棒って意味」
答えるまでに変な間があったことが気になるが、まあそんなことを気にしていてもしょうがない。
ふいに音楽が鳴り始め、会場の中央に人々が集まっていく。
「それで、どう調べるかだけど、今からダンスが始まるようだから、そこに混ざって付喪神がどれくらいいるのか、見てきてくれるかい。俺はあそこのバーカウンターでここの主催者や常連のことについて聞いてくるから」
「了解」
紅花は音楽に吸い寄せられる人々の輪に入っていく。すぐに男性からダンスの相手を、と声をかけられ、音に身を任せてダンスに興じる。すれ違う人たちに神経を尖らせて、付喪神を探す。もちろん、ヒトの中に紛れて普通に暮らしている中で、偶然こういうパーティーに参加しただけ、という付喪神もいるだろう。だが、そうではない付喪神を見つけるために、観察対象は出来るだけ絞るべきである。
三曲ほど踊ってから、紅花はダンスの相手に少し休むと言い、ダンスの輪から抜け出した。ダンスに興じていた中では、付喪神は少なくとも五人。気になる点はあるが、誰が情報を流している、もしくは欲しがっているのかは分からない。一度筆頭と情報共有をしたいところだった。
が、周りを観察しながらのダンスは思った以上に疲れてしまった。バーでは筆頭がまだ話をしている様子だし、もう少しだけ椅子に腰かけてからにしようと、背もたれに体を預けた。
「飲み物いかがですか、お嬢さん」
「え、あの」
「少し疲れてるみたいだから、もしよければ」
「あ、ありがとうございます」
唐突に、目の前に現れたシャンパングラスに驚いたが、ありがたくもらうことにした。飲み物を手渡してきた彼は、グレーのタキシードに身を包み、片方の襟足が長い、白銀の髪をしている。柔和な笑みを浮かべているが、どこか冷ややかに見えるのは、切れ長の目のせいだろうか。
「キミのパートナーはどこに?」
「え?」
「このパーティーは男女ペアで参加することになっているから、パートナーはどこにいるのかと思って。こんなに綺麗な子を置いていくなんて、ひどいパートナーだ」
「今はバーにいます。話をしたい人がいるようで」
ふーん、と気の抜けた返事をした彼の周りにも、パートナーらしき女性は見当たらない。二つ持ってきたシャンパンも、一つを紅花に渡してしまっている。
「あなたもパートナーを放っているのでは?」
見知らぬ人に、筆頭を悪く言われたことで、無意識のうちに苛立っていたらしい。口から出た声には棘が混ざっていた。
「それが、どちらかというと放っておかれているのはボクの方でね。すぐにどこかへ行ってしまうんだ。実は、遠くから見るとキミが僕のパートナーに似ていてね、それで声をかけたのさ」
「そうでしたか、すみません」
肩をすくめて笑う彼に、紅花はぺこりと頭を下げた。余計なことを言ってしまったようだ。シュワシュワと細かい泡を生み出している琥珀色のシャンパン越しに彼を見た。パーティー会場を見回して、パートナーを探しているようだ。こちらの視線を感じてか、彼がこちらを向き、目が合った。
「ぜひ、キミとも踊ってみたいな。一曲いかが? 赤い瞳が美しい方」
「あの、えっと、ではこちらを飲み終わったら」
まだ半分以上残っているシャンパングラスを傾けた。彼の方はもうほとんど残っていない。お酒は飲めないわけではないが、普段あまり口にしないから、少し慎重になっている。そうこうしている間に、音楽が終わってしまった。
「おや、残念。また機会があればね」
さして残念そうでもなくそう言うと、彼はさっさと歩いていった。何だったのだろうか。
音楽が止まったことで、フロアが自由に歩けるようになった。紅花は筆頭と合流しようと立ち上がった。残ったシャンパンは歩いていたボーイに渡した。バーカウンターに筆頭の姿が見えず、辺りを見回していると、こちらに歩いてくる筆頭を見つけた。
「こっちです」
「お待たせ、マイディア。どうやら、バーテンダーが怪しそうだよ」
「バーテンダーですか」
バーカウンターの内側で、シェイカーを振っている男性に目をやる。見たところ、あの男性はヒトのようだ。
「察しの通り、ヒトなんだけど、怪しかったから問い詰めてみたら、黒いピアスをしたやつに伝言をするように頼まれてるらしい」
「黒いピアスですか? そういえば、この会場の中に何人かいますね。伝言の内容は聞き出せたんですか?」
「『近々、決行する。指定された場所で待て』とだけ。でもまあ、たぶんあいつまだ何か隠してるっぽいんだよね。もうちょっと探っておきたいな」
筆頭が、顎に手を当てて考えている。和服じゃないから、懐手にはならず、普通に様になっている。一旦考えるのをやめ、そっちはどうだった、と聞いてくる。
「ダンスをしている中では、付喪神は五人ほど確認出来ました。こちらにわずかな殺気を向けてきた者が三人ほど。本当にわずかなので、殺気というよりは、悪意や敵意でしょうか」
「悪意、か。紅ちゃ――おっと、マイディアが綺麗で嫉妬したってわけではなさそうだね」
「ふざけてないで、ちゃんと聞いてください」
「ふざけてないよ。とても綺麗だよ」
「!」
本当にふざけているわけではなく、真面目な顔で綺麗だと言われて、紅花は思わず言葉に詰まってしまった。普段とは全く違う服装で、正直似合っているのか、この場に合っているのか、内心心配していた。それを見透かされたようで、急に恥ずかしくなってきた。
「ここにいる誰より綺麗だよ、マイディア」
「き、聞こえてますから。あの、ありがとうございます、一応」
「うん」
髪をオールバックにしているから、柔らかく微笑む筆頭の顔がいつもよりよく見える。髪の奥ではこんな表情をしていたのか、とまじまじと見てしまう。
「おーい、そんなに見つめられたら照れるんだけど? 格好良くて見惚れてた?」
「なっ、そんなことないです。それより、悪意を感じた三人、もう一度見てみると、全員黒いピアスを付けています」
紅花は、フロアを歩く三人の人物を指さして示した。性別も年齢もバラバラで共通点はなさそうに見える。それこそ、ピアス以外は。
「そいつらに探りを入れてみるか。いやでも、敵意向けてくるやつが口を滑らすとは思えないし。他には何か気になったことはない?」
「そうですね。ダンスの後に付喪神に声をかけられましたが、特に悪意は感じませんでした。シャンパンをもらって、少し話したくらいですが」
「わー。それナンパかもよ。紅ちゃん何もされなかった?」
「されませんよ。というか、名前!」
「あ、ごめんごめん」
ふいに、会場の端の方が騒がしくなった。客同士が何かもめているようだ。どっちが先に注文したとか、そんなことのようだが、酒が入っているせいか、大事になりかけている。観察してみるが、ヒト同士。付喪神が関わっている様子はない。
「どうします?」
「騒ぎが大きくなって、このパーティー自体が中止になったら困るし、頼めるかい」
「了解」
何事かと集まってきているヒトをかき分けて、騒動の中心へと向かう。こんなところで銃は出せないので、念のためテーブルの上に置いてあったダーツの矢を手に取る。揉めている片方がボーイの持っているトレイから空のシャンパングラスを奪い取り、相手に投げつけた。
「あ、まずい」
紅花はとっさにダーツを空中のグラスに向けて放った。カツン。軽い音がして、グラスは空中で割れた。落ちた衝撃ではなく、ダーツが当たった衝撃で割れてしまうとは思わなかった。だがまあ、グラスは相手に当たることはなかった。
周りで見ていたヒトたちは、突然割れたグラスに目を奪われ、そして、ダーツが飛んできた方に視線が向いた。そこで紅花は違和感を覚えた。その視線が二方向に分かれているのだ。紅花と、グラスを挟んで反対側に。
「驚いたわ」
もう一人、紅花と同じようにダーツで空中のグラスを射抜いた者がいた。双方からの衝撃で、グラスは割れてしまったようだ。
「驚きましたわ。小町と同じことが出来る者がいるなんて」
そこにいたのは、紅花よりもさらに小柄な少女だった。自分のことを棚に上げて言うなら、とても二十歳には見えない外見だった。黒いレースのドレスで、ウエストのピンクのリボンからスカートがふんわりと広がっている。腰まである長い黒髪はゆるくウエーブがかかっている。
彼女は付喪神だ。しかし、黒いピアスは付けていない。バーテンダーとは関係がないのか。悪意のようなものは今のところ感じられない。
「あなたたち、凄いわね」
「ダーツの選手か何かなの?」
「どっかの大会に出たことは?」
「もう一度見せてくれないか」
「そこのダーツスペースで、一勝負どうだい、お二人さん」
ぼう然としていたヒトたちが、状況を把握して、一気に紅花ともう一人の少女の元に集まった。客同士のも揉め事など吹き飛んでしまったようだ。仲裁出来たのはいいものの、少し目立ち過ぎてしまった。筆頭を探して視線を動かすと、バーテンダーを問い詰めていた。バーテンダーの方がたじろいでいるから、上手くいっているのかもしれない。ここで注目を集めている方が得策、と考えた。
「私はいいですよ」
「小町もいいですわよ」
この少女、自分のことを小町、と呼んでいるが、この仮面舞踏会用の名前なのだろうか。それともうっかり本名を言ってしまっているのか。どちらにしても、相手の名前は呼ばないのがここでの礼儀。聞かなかったことにしておく。
会場にはダーツボードが二つかけてあった。鍛錬室に、正確に狙いを定めるための訓練として、ダーツが置いてあるから、たまにしているだけで、詳しいルールは知らなかった。周りからカウントアップ、と言われても分からなかった。
「一ラウンド三本投げて、八ラウンドの合計を競うんだ。知らないのか」
「そんなの知りませんわ。というか長くて面倒ですわ、一人五本、得点の高い方が勝ち。それでよくありません?」
少女はルールの説明を面倒、の一言で片づけて、独自のルールを提案してきた。紅花の方も長々とする気はなかったから、それに応じた。
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