第2.5話 瞳の色(了)

 葵が、紅花のためにパンケーキを買ってきたものの、会議室を出ようとして、ピタリと動きを止めた。


「どうした? 葵」

「紅花ちゃんが元気ないの、あたしのせいだったら、どうしよう……!」

「え?」

「だって今日、あたし作戦分かってなくて、邪魔しちゃったし」

「そんなことないと思うけどなー」


 筆頭は、急に弱気になった葵を励ますが、葵は膝を抱えて椅子に座ってしまう。動かない葵の笠を突いた。


「おーい、紅ちゃんを呼びに行かなくていいのかい」

「無理。筆頭さん行ってきて」

「えー、仕方ないなあ」


 筆頭は会議室を出て、廊下を歩きだす。筆頭の足跡が色付いていく。紅花が落ち込んでいる理由はだいたい想像が付く。

 ふいに筆頭は、紅花と出会った頃のことを、思い出す。



~・~



 筆頭が、はなのさとに顔を出すと、竜胆からちょっと相談が、と切り出された。

「最近な、近くの裏路地で喧嘩というかいざこざというか、そういうのが頻発しとるんやって」

「リンちゃんなら別に気にすることないだろうに。喧嘩で負けるなんてことな――痛っ」

「こら、女性にそんなん言うんやないよ」


 竜胆にお盆で頭を叩かれ、言いかけた言葉を引っ込めた。引っ込めさせられた。割と痛い。実際、竜胆がそんないざこざ程度で怪我をするようなことはないだろうが、一応謝罪はちゃんとしておく。


「ごめんごめん」

「まあ、でも、うちがどうって言うより怖がってるお客さんもおってな。少し見てきてくれん?」

 空になったグラスを引き取りながら、竜胆は首を傾けた。確かに、はなのさとにヒトが寄り付かなくなるのは、情報収集の面から見てあまり良くはない。


「ん。分かった。暴れてるそいつらに少し灸を据えてくるとするかな」

「あ、聞いた話では一人らしいんよ」

「一人?」

「そう。『アカメ』って呼ばれている人がおって、その人中心に喧嘩が起こっとるって。もしかしたら付喪神やないか、と思うてな」

「へえ……」



 筆頭は裏路地を歩き回ってみた。特に決まった場所に現れるわけではないらしく、今日遭遇出来るかも分からない。


「まあ、パトロールくらいにはなるか」

 片手でキセルを弄びながら辺りを見回していると、前方にこの場の雰囲気にそぐわない、一人の少女の後ろ姿が見えた。


「おーい、こんなとこに居たら危な――」

 声をかけた途端、少女はこちらに向かって真っ直ぐに腕を付き出した。その手には、銃が握られていた。長い黒髪が静かに風に揺れた。

 陳腐な表現だが、触れれば切れるナイフのような印象だった。その真っ赤な瞳が恐ろしいほど美しい。


「なるほど、あんたが『アカメ』か」

「……そう名乗った覚えはないけど、そう呼ぶ人はいる」

 無愛想だが、話をすることは出来そうだった。ただの暴れたがりではないらしい。むしろ――。


「きみの名前は?」

「……紅花」

 構えた銃を降ろさないまま、それでも少女は素直に答えた。


「艶やかな名だ。ここらでいざこざ起こしてるやつがいるって聞いてね、きみのことかな」

「好きでしてるわけじゃない。この辺りを歩いてるだけで勝手に向こうから仕掛けてくる」

 そう答えた声は重く、憂鬱さを感じる。彼女自身が望んでやっていることではないらしい。


「なるほど、灸を据えるべきなのは、自分の力量も分かってない馬鹿なやつらってことか」

 対峙すればそこらへんのチンピラではこの少女の足元にも及ばないことはすぐに分かる。それを分からずに喧嘩をふっかけているなら、大部分の非はそちらにある。

 筆頭はため息の代わりにキセルを吸って、紫煙を吐き出した。


「もういいでしょ」

 彼女は目線でここから去るように促してきた。銃を握る手は少し緩んだように見えた。


「いや、よくない。俺はあんたを救いたい」

「は?」

「あんた、開化したばかりの付喪神だろう。その銃の。俺は付喪神統括本部・警備課の者だ。うちに来ないか」

 彼女に歩み寄ろうとしたが、再び銃を構えられてしまった。野生の獣のような反応速度に、何者も寄せ付けない隙のなさ。


「近づかないで」

 そのまま睨みあいになる。殺気が体に刺さるが、筆頭は一歩、また一歩と彼女に近づいていく。


「来ないで!」

「……あんた、誰も傷つけたくないんだろう」

「!」

 一瞬出来た隙を見逃さず、筆頭は銃口を逆手で掴み、地面に向けさせた。同時に至近距離で煙を彼女の顔に吹きかけた。彩として効かなくとも、動きは止められる。


「落ち着いたか」

「……」

 彼女は膝をついて、力なくうなだれた。筆頭はもう一度、ゆっくり勧誘の言葉を口にした。


「銃の付喪神が来てくれたら、警備課もおおいに助かる。来ないか」

「銃なんて……」

「ん?」

「銃が付喪神になるなんて、いいことなはずがない。百年在り続けて、それだけ人を傷つけたということ」

 やはり、最初に感じた違和感は当たっていた。噂のような暴れたがりではない。むしろ、それを嫌っている。


「あの子も私も、誰かを傷つけたくなんてないのに。でもそうしないと生きていけない」

 彼女が言う『あの子』とはかつての持ち主のことだろう。付喪神である彼女が少女の姿をしているということは、その持ち主も少女であったということ。

 筆頭は何も言わずに彼女の傍に片膝をついた。その気配に彼女が反射的に顔を上げ、赤い瞳に筆頭の顔が映った。


「綺麗な瞳だ」

「やめて」

「どうして」

 顔を背けた彼女が逃げないよう、その腕を掴んだ。決して、離してはならないと思った。


「……この瞳の色は呪い。赤は私が一番見てきた色、だからこの色に染まった。赤は、大嫌い」

 吐き捨てるように、彼女は自分を呪う言葉を吐いた。筆頭は掴んだ手に力を込めて、こちらを向かせた。


「守る側になればいい。警備課に来い。ヒトも付喪神も、守る物になれ」

「私が……?」

 彼女は不可思議なものでも見るように、筆頭を見た。信じられないと目が語っている。


「本部に属する課にはそれぞれ象徴の色があってな、俺のいる警備課は赤なんだ。運命だと思わないか」

 筆頭が赤い瞳をさし示すと、彼女は力いっぱいに手を振り払い、筆頭に背を向けた。


「私は赤が嫌いだと――」

「なら、なぜ紅花なんて名乗る」

「――っ」

 筆頭は紅花の背中に投げかけた。赤が嫌いと言うのに、その色を背負った名を名乗る彼女は強さを持っている。


「どんな形でも、たとえ苦しくても、かつての持ち主との繋がりが大切なんだろう。なら、ちゃんと抱えていればいい」

 紅花の肩がわずかに震えたように見えた。目元を拭った指先に雫が見えた気がした。

 振り返った紅花は、真っ直ぐに筆頭を見上げた。


「あなたの名前は何?」

「あー、俺は筆頭って呼ばれてる」

「筆頭、ね。赤色が運命なんて、そんなキザな台詞よくはける」

「嫌いか?」


 この問いかけは、先ほどの勧誘と同じ意味合いを持っていた。来るか、来ないかの返答を促している。


「嫌いじゃない」

 そう答えた紅花は、小さく笑みを浮かべた。自身が笑っていることに気が付いているかも分からない彼女を、筆頭はやはり美しいと感じていた。




 紅花が警備課の一員になって、しばらくは筆頭とペアで動くこととなった。三人組にするため、もう一人を探す話になったのだが、二人に付いていける力量の者はおらず、かえって危険になるという判断で、暫定的に二人組となった。


「今日の仕事はこれで終わりですか」

「そうだね。帰りにどこか寄ってく?」

「いえ、結構です」


 紅花は仕事の飲み込みも早く、判断も的確。警備課の仕事をするうえでは何の問題もなかった。だが、少々固すぎるところがある。息抜きにとどこか誘っても、即答で断られてしまう。そもそも表情にあまり変化がない。不機嫌なのかと思ったが、起伏が少ないだけのようだ。


「じゃあ、本部に戻ろうか」

 歩き出した時、すぐ近くで、ガシャンと派手に物が落ちる音がした。一瞬にして警戒モードになった筆頭だったが、音の主が初老の男性で、持っていた鞄を落として地面に荷物が散乱した音だったと分かり、力を抜いた。


「おじいちゃん、大丈夫? 荷物拾うよ」

 筆頭が、男性の傍に歩み寄って散乱した荷物を回収する。しかし、当の本人は立ち尽くしたまま動かない。筆頭は、訝しんで男性を見上げる。男性は驚きで目を見開き、その視線は紅花に真っすぐに注がれていた。


「お、お嬢……! どうしてこんなところに! いや、それよりも生きておられたのか……! おお、神よ」

「違う、私は――」


 紅花の表情が、困惑と罪悪感に揺れた。口を真一文字に結んだ紅花は、銃を構えると、男性の腕に向かって撃った。男性は紅花に手を伸ばした体勢のまま、ふらりと倒れた。筆頭はそれを軽々と受け止めた。男性は眉間に皺を寄せてはいるが、寝息を立てている。


「睡眠薬です」

「そうみたいだね」

「筆頭、この人の記憶を消してくれませんか。私と出会ってしまった記憶を、一切残さず」

「分かった」


 筆頭は、煙管を取り出して、その煙を男性に吹きかけた。煙に包まれた男性は、穏やかな表情になった。筆頭は、散乱した鞄の中身を回収して、近くにあったベンチに男性を座らせた。鞄も横に置いて。きっと目を覚ましたら、うたた寝をしてしまった、とでも思って帰るだろう。


「行こうか、紅ちゃん」

 男性を見つめて、暗い顔をしている紅花の肩に手を置き、そう声を掛けた。紅花はこくりと頷いて、歩き出した。


 無言のまま、二人は帰り道を歩く。


「あの、聞かないんですか。あの人が誰か」

「あの様子だと、元の持ち主の知り合いか何か、だよね。話したくないことは、無理に聞かないでおこうと思ったけど」

 筆頭は、一度言葉を切って紅花の顔を覗き込んだ。罪悪感で押しつぶされそうな顔をしている。自分の首を、自分で絞めているような。


「そんな顔してるなら、話して。紅ちゃんが話してくれるまで、しつこく聞くよ」

「上手く、話せないと、思いますが」

「うん」

 紅花は、決意したように口を開いた。


「あの人は、私の元の持ち主の女の子の、部下だった人です」

「部下? 上司じゃなくて?」

「はい。あの子は、特殊部隊にいました。正確には父親が特殊部隊の隊長でした。私は、元々、この父親が使っていた銃でした」


 特殊部隊、紅花の言い方からして、表立って活躍するような部隊ではなく、裏で秘密裏に物事を処理するための部隊、といったところだろう。銃が常用されていた点からいってもおそらく合っているだろう。


「部隊のヒトたちは、同じ寮に暮らしていました。裏切り者が出ないよう、相互に監視する意味もあったのだと思います」

「結束を高める意味もきっと合っただろうね」

「はい。あの子は、寮にいたので、隊員たちとも仲が良かったんです。可愛がられていました。それに、たくさんのヒトの日常と幸せを守っている皆を尊敬していた、と思います」


 紅花は自覚がないのだろうが、『あの子』と口にするときは、表情がとても柔らかくなるのだ。元の持ち主のことを想っていることが言葉の外側からよく伝わってくる。


「でも。ある任務で、あの子の父親は殉死しました。私は、形見としてあの子の手に渡りました」

「……」

「身寄りをなくしたあの子が、寮にいて生活を続けていくには、部隊に入るしかありませんでした」

「特殊部隊の内情を知っている者を、簡単には外には出せない、ってことかい」

「そうです。それと、あの子は特別目が良かったんです。遥か遠くのものを視認することが出来ました」


 内情を知り、特別な才を持つものを、特殊部隊の者が手放すはずがない。その少女に選択肢などなかったのだろう。


「あの子は部隊に入っただけでなく、父親の跡を継いで、隊長になりました」

「へえ、そんなことあるんだ」

「隊長になることに反対の者もいました。けど、あの子の目を活かすには、指揮系統の一番上にいた方が良い、ということになりました」

 紅花は、ふうっと息をついた。筆頭がゆっくりでいいよ、と声を掛けるが、固い表情のまま、大丈夫ですと答えた。


「あの子は、銃の腕を磨きました。隊員たちから認められるため、父親の跡をきちんと継ぐため、たくさんのヒトの幸せを守るため。近接戦闘は体格差のある男性には勝てません。だから、遠距離攻撃で、そもそも近づかせないよう、ひたすら訓練をして」

「うん」

「……あの子は、ただ生きたかっただけ。それなのに、たくさんのヒトに銃を向けて、傷付けて。私はあの子のことが大好きでした。でも、あの子は私を使うたびに苦しんでいました。なのに、銃に――私に向かって、いつもありがとうと言うんです」


 紅花の目には涙が溜まっていた。だが、それを落とさないように、袖でぐっと目元を拭った。


「あの子は、誰よりもヒトの幸せを願っていました。なら、私が出来る罪滅ぼしは、ヒトを守ること。そう思い、警備課に入りました」

「そっか。話してくれて、ありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございました」


 紅花は話し終えて、どことなく表情が軽くなったような気がする。だが、それでもまだ固い。罪滅ぼしではなく、もっと、自分のために過ごしてもいいはずだ。


「ところで、紅ちゃん話するの上手いね。分かりやすかったよ」

「え、は……? そんなことどうでも……」

 紅花は拍子抜けした様子で、筆頭を見ている。ニカっと笑い返すと、力の抜けた笑みを浮かべた。そう、それくらいでいい。


「どこか、寄ってく?」

「少し、だけなら」

 聞き取れるかどうかの小さな声が返ってきた。筆頭は頷いて、帰り道から逸れた道を歩き出した。



~・~



 紅花の私室の前に来た。昔と比べると、たいぶ紅花は丸くなったというか、まあ、当たりはきつくなったような気はするが。だからこそ、落ち込んでいては、こちらも調子が出ない。きっとまた、浮かない顔をしているのだろう。そんな顔はもう見たくない。


 筆頭は、相棒の笑顔を取り戻すために、部屋の扉をノックした。


「紅ちゃん」

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