第2話 彼方と此方の供ー3

 目的地の、東雲博物館は、漆喰のような白壁に、寄棟屋根には瓦があり、和洋折衷な屋敷のような外観だった。見た目は屋敷風でも、展示室が二十以上ある、非常に大きな博物館との情報だ。


 中に入ると、建物の中央を貫く大階段が目に飛び込んできた。正面の壁には、直径四メートルはありそうな時計が掲げられている。階段は踊り場を経て左右に分かれ、二階へと繋がっている。


「鎧の展示は二階でしたよね」

「行こう」


 緊急事態、として館内のヒトは外へと出されていた。まだ残っていたヒトの横をすり抜け、階段を駆け上がる。目的の部屋に行くと、四方をガラスに囲まれたケースの中に鎮座する、鎧と目が合った。鉄製のそれは、博物館のゆるやかな照明を受けて、鈍い輝きを放っていた。近くのベンチに力なく腰掛ける男性と、鎧と男性の両方を見つめている女性がいた。この女性が見張りをしているという関係者、付喪神だろう。


「ちょっといい?」

 筆頭は女性に声をかけると、何やら耳打ちをしてから、頼んだよと微笑んだ。女性の方は少し困惑しているように見えたが、頷いて展示室を出た。


「きみが鎧の付喪神、だよね」

「ああ」

「きみに聞きたいことが」

「ああ、何故。何故、共に連れて行って下さらなかったのか……」


 彼は、こちらの声など聞こえていないかのように、うわ言で過去の誰かへの言葉を吐いていた。紅花と葵は、顔を見合わせて唸った。どう声をかければいいのか。


「それがしも、そちらへ……」

「クロガネ!」


 筆頭が呼びかけた。すると、急に彼の視線の焦点がこちらに合った。鉄製なことから、昔はクロガネの鎧とも呼ばれていたと記録には書いてあった。反応した、つまり、それが彼の名前。


「なんだ、おぬしら」

「付喪神統括本部、警備課。クロガネ、俺たちはきみの事情はだいたい知ってる。そのうえで聞く。在り続けることは辛いか、消えたいか」

「……それがしは、主と共に戦い、そして共に散ることが出来れば、それで良かったのだ。これは、そんなに難しい望みだったか」


 クロガネは、薄く笑いながら答えた。自虐にも聞こえるその言葉たちは、聞いているこちらにも棘のように刺さる。ツボミの頃から主を慕い、そして共に在りたかったという想いが、悪いものには思えない。だから、苦しい。


「そうか。そんなに後追いがしたいなら、俺に攻撃してきなよ。交戦中の不慮の事故、ということにしてあげる」

「筆頭さん、それはっ!」


 葵が血の気の引いた顔をして、筆頭の袖を引いた。筆頭が彼を壊す、と言っているのだ。警備課の決まりで、対象を壊すことは禁止されている。しかし、筆頭は顔色を変えずに袖を振って葵の手を払った。


「葵、そこで待機。防御もいらないよ」

「でもっ。こんなのおかしいよ、ねえ、紅花ちゃんも何か言って」

「……」


 口元に笑みを浮かべて、煙管をもてあそんでいる。煙が浮かんでいないのは、館内禁煙を守っているようだ。


「筆頭、私も待機ですか」

「待機で」

「では、もう一つの煙管を渡してください」


 紅花は、筆頭に向かって手のひらを差し出した。筆頭の目が気まずそうに少し横に泳いだ。紅花の読みは当たっているようだ。


「私を待機させたいなら、渡してください」

「あー、分かったよ」


 鉄製の煙管を紅花の手のひらに乗せた。紅花は、部屋の外に気配があることが気になっていたが、筆頭が気付いていないはずがない。わざとですか、と小声で聞いたら、ウインクで返された。


 なおも納得のいっていない葵に、この煙管がなければいくら筆頭でもそう簡単には壊せない、これは作戦よ、と耳打ちをした。ようやく待機を受け入れた葵は、その場でぎゅっと拳を握りしめた。


「それじゃあ、来い」


 筆頭はクロガネに手招きをする。クロガネは空手に似た構えをすると、筆頭に突進した。二度、三度と繰り出される攻撃を筆頭は避ける。筆頭は煙管を持っていない方の手を振り上げ、クロガネに問うた。


「本当にいいのかい?」

「ああ」

「本当に、今の主を裏切る覚悟があるかい?」

「ああ。……は?」


 筆頭の口から出た、今の主という言葉に、クロガネが困惑していた。自分の破壊を受け入れて閉じていた目を零れそうなほど見開いている。


「主? それがしには、もう主など……」

「博物館に所蔵されているから、今の主は博物館、いや、この鎧の担当者だ。そしてその主が求めるのは、伝え残すことだ。その想いを裏切る覚悟が、本当にあるかい」

「……っ」


 クロガネは明らかに動揺していた。過去の主への忠誠と信じて行おうとしていたことが、今の主への裏切りだと言われたのだ。そもそも、クロガネは一度も今を見ていなかったのだ。一気に視界が開けたような顔をして、ぼう然と天井を見上げている。


「ここでダメ押し。入って来てくれる?」

 筆頭が部屋の入り口に向かって声をかけた。すると、おずおずと一人の男性が入ってきた。紅花も葵も驚いた。彼は、ヒトだ。


「筆頭さん、どうして!?」

「彼、最後まで博物館に残ってて、しかもすれ違った時、『クロガネ』って呟いてたから、もしかしたら元担当者かなと思って。連れてきてもらったんだ」


 この部屋に入った時に、関係者の女性に耳打ちしていたことを思い出した。その時から作戦は始まっていたらしい。


「紅ちゃんも気付いてたよね」

「誰かいるのは気付いてましたけど、何をさせる気ですか」

「え!」

 葵はさらに驚きの声を上げた。葵は気付いていなかったようで、話の流れに付いていけてない。相手を見て観察すれば、ヒトか付喪神かは分かる。ただ、姿の見えない者の判別はなかなか難しい。


「さて、一部始終を見ていた担当者のきみ、このクロガネくんに何か言いたいことは?」

 筆頭は、担当者に問いを投げかけた。担当者はおろおろしながらも言われるがまま話し出した。


「僕は、歴史のあるものが好きで、それに関わっていけたら嬉しくて、その、クロガネの鎧の付喪神? が目の前にいるとか信じられなくて、夢みたいで、その、というかこれは夢、ですよね」

 突然のことで、混乱しているが、担当者はクロガネを見て、心底嬉しそうに笑った。


「なんて素敵な夢なんだろう。クロガネの鎧と話せるなんて。僕は、綺麗な形でここまで残ってくれたことに感謝しているし、出来ればこの先も長く在って欲しい。その手伝いが出来たらもっと嬉しいけど、それは無理か」


 先日、解雇されたというのに、彼はクロガネを見にこの東雲博物館まで来ていたらしい。本当にクロガネを大事に思っていることは、その行動からも明らかだった。


「それがしは、ここに在ることを求められていると言うのか」

「もちろん。僕だけじゃなく、皆がそう思ってる」

 彼の答えを聞いて、クロガネの目から一粒の雫が零れ落ちた。クロガネ自身もそれに気付かないほど、ほのかな涙。だが、大きなわだかまりを押し流したようだった。


「そうか、そうか……」

 クロガネは噛みしめるように何度も頷いている。筆頭は、もう一度聞いた。


「本当に、消えたいかい」

「いいや」

 クロガネはしっかりと首を横に振って、否定を示した。紅花は胸をなで下ろした。彼が在り続けることを選んでくれて、ほっとした。


「じゃあ、きみには少し眠ってもらおうかな」

「?」

 筆頭は、担当者の元へ歩いていくと、煙管に火を付けて紫煙をくゆらせた。生み出された煙を、担当者へと吹きかける。煙に包まれた彼は、壁にもたれかかって眠りについてしまった。


「はい、おしまい。ここでのことは記憶をぼかしておいたから、心配しなくていいよ」


 筆頭の彩の〈煙に巻く〉。ヒトのみに効果を発揮して、記憶を操作、消去する。万が一ヒトに見られた時や噂が広がりそうな時に使用する。今回はぼかした、と言っているから、きっと担当者の中では夢の中の出来事となるのだろう。


「クロガネくん、一応怪我とか傷、修理課に診てもらいなね」

「承知した」

「よし、今日の仕事は終わり。お疲れ様」

「私たち何にもしてませんけどね」

 葵が会話に入らず、拳を握りしめてぷるぷるしている。どうしたのかと、聞こうとしたら、その前にバッと顔が上がった。


「筆頭さん、最初からクロガネさんを壊す気なんてなかったんだ! 紅花ちゃんも分かってたんだよね! あー、あたし一人焦っちゃって恥ずかしいよー」

 葵は、笠を深く被って、その場にしゃがみ込んでしまう。丸くなってしまった葵の隣に座り、背中を撫でた。


「ちゃんと説明しない筆頭が悪いわ。気にすることないわ」

「そうかなあ」

「そうよ。ですよね、筆頭」


 葵がおずおずと筆頭を見上げている。紅花は無言の圧を送る。それに対し、筆頭は頭を掻きながらごめんね、と返した。葵はむくっと立ち上がると、拳を天井に突き上げた。


「今度は気付けるように、頑張る!」

「その意気よ」

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