第2話 彼方と此方の供ー2



 会議室。紅花と葵が椅子に座り、ホワイトボードの前に筆頭が立っている。筆頭は今回の資料だという紙の束を配った。


「じゃあ、まずは管理課からの情報を共有していくよ」

「あー! ノートがない!」


 筆頭が話し始めた途端、葵がガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。さすがに隣に座っていた紅花も驚いた。葵はいつも新しい案件があると、ノートにメモを取っている。まだ新人の領域から出ないから、知らないことも多い。元々、メモを取るのは紅花のくせだったが、勧めたら葵もするようになった。


「どこかに置いてきたんじゃないの?」

「たぶん修理課だと思う。すぐ取ってくる!」


 葵が朱色に色付く扉を勢いよく開け、飛び出していこうとして、急停止した。扉の向こうには、まさに今、扉に手をかけようとしていた者がいた。あやうく葵と衝突するところだった彼女は目をまん丸にして固まっていた。ふわりと真っ白い髪が揺れる。


「あわわわ、ごめんなさい! 淡雪あわゆきさん」

「いえ、ちょっと驚いただけよ。はい、これ葵ちゃんのでしょ?」


 淡雪の手には、葵のノート。忘れ物を届けに来てくれたらしい。ナースワンピースを身に付けた彼女の首元には修理課の印である青いピンバッチが輝いている。修理課は、物に傷がついたり、身体を怪我したりした者を直すのが仕事。皆のお医者さんといったところだ。


「ありがとう!」

「どういたしまして。それより、葵ちゃん今走ろうとしてたでしょ? 今日一日は走っちゃだめって言ったのに」

「あっ。うう、えっと、ごめんなさい」


 淡雪に叱られて、葵がしょんぼりとしている。というか、葵が足を怪我していたことを紅花は知らなかった。


「葵、また怪我していたの?」

「いや、あの、軽い捻挫だから! すぐ治るし!」

 おろおろしながらも、葵はピースサインを作って大丈夫、と主張する。が、紅花と淡雪はため息をついてから、短く叱った。


「報告!」

「安静!」


 ごめんなさい、ともう一度しょんぼりする葵を見て、紅花は肩の力を抜いた。反省してくれているなら、それでいい。一連の流れを見ていた筆頭は、からからと笑っている。全く。


「いい? 葵ちゃん。私たち付喪神はいくら人の姿をしていても物だからね。自然治癒力はないの。怪我をしたら、物の方にも不具合が出てきて、それを直すことで、身体の方も治っていくの」

「ゆっくり治っていくことが多いから、自然治癒みたいに見えるけどねー」

 淡雪が、せっかく葵に言い聞かせていたのに、筆答が余計な一言を追加した。葵が、確かに! と頷いてしまい、話の趣旨が逸れてしまっている。


「筆頭、空気読んでください」

「何が?」

「はあ……。淡雪さん、すみません」

 ぺこりと上司の非礼を詫びるが、淡雪は気を悪くした様子もなく、笑顔で首を振った。いい人だ。


「あ、せっかく来たので、出張メンテナンスしてもいいですか? 警備課の皆さんは、よく戦闘があるので、こまめな点検は欠かせませんし」

「じゃあ、お願いしようかな」

 筆頭の言葉を受けて、淡雪は椅子に腰掛けて、まず葵の傘を診る。ついさっき治療をしたようだから、念のため、といったところだろうか。


 木製の柄の部分を持って、傘を広げる。ほとんどの面積が臙脂色で、縁の部分がぐるりと黒くなっていて、帯があるようなデザイン。軽い捻挫と言っていたから、どこかの骨が少し歪んだのかもしれない。


「問題ないわ。はい、今日は安静ね。葵ちゃん」

「もう、何回も言わなくても分かってるもん!」

 ぷくーっと頬を膨らませて、葵は傘を受け取り、いつものように斜めに背負った。


 次は紅花の番だった。太ももに巻きつけてあるガンホルダーから、自分自身である銃を取り出し、淡雪に渡した。真っ黒で小ぶりなその銃は、回転式小銃に分類される。シリンダーと呼ばれる部分を回し、弾を装填する。手動ではあるが、構造が単純で、メンテナンスはしやすい。淡雪は、表面に傷はないか、シリンダーの動きは正常か、などあらゆる箇所に目を光らせている。持ってきていたクロスで優しく表面を磨くと、微笑みながら手渡してくれた。


「はい。紅花ちゃんも問題なし。とても綺麗だわ」

「ありがとうございます」

 基本的に後方支援を担う紅花は、普段から大きな怪我や破損をすることは少ない。修理課の人に物を預けるのは、こうしてメンテナンスをしてもらう時くらいで、少し緊張する。


「じゃあ、俺もよろしく」

 筆頭は懐から煙管を取り出して渡した。口を付ける吸口と、煙の上がる先端部分である雁首は金色に輝き、それらを繋ぐ胴と呼ばれる部分は檜皮色をしている。淡雪は同じように、目を光らせて、さっと表面を磨いてから筆頭に戻した。


「以前の打ち身の箇所も直っています。問題ありません」

「あ、こっちも念のため頼んでいいかい」

「もちろんです」


 筆頭はもう一つ、煙管を取り出した。正確には、煙管の形をした、鉄の塊。昔、喧嘩煙管と呼ばれたそれは、江戸時代に刀などの武器を持つことを禁止された町人が、対抗手段として作り上げたもの。


「鉄パイプ受けても大丈夫って、すごいなあ……。あたしも鉄製の傘作ってもらおうかな」

「いや、傘はさすがに重いよ。葵が潰れる」

「確かに!」

 筆頭は戦闘のときは基本的にこの鉄製煙管を使っている。自分自身の煙管もある程度の強度はあるが、鉄パイプのようなものを何度も受けるのは危険である。修理課の人が作った特別製で、そこらの鉄より固い。その分重いらしいが、使う筆頭はそれを感じさせない。


「こちらも大丈夫そうです。使いづらいとかはありませんか」

「うん、使い心地ばっちり。オリジナルと全く同じ形で作ってくれてるからね。またお礼言っておいて」

「はい、伝えておきます。では、私はこれで。何かあったら修理課に来てくださいね」

 淡雪は一礼をして、会議室を出た。




 さて、と筆頭が立ち上がって、両手をぱんっと打った。

「少し寄り道をしたけど、新しい案件の話に入ろうか」

「はっ! そうだった。あたしがノート忘れたから、中断してたんだった! ええっと、筆頭さんどこまで話してたっけ……」

「うん、まだ何も話してないよ?」

「あはは」


 真っ白いページをめくって必死にメモを探していた葵は、決まりが悪そうに頬をぽりぽりと掻いた。紅花は改めて資料を手に取った。


 ある鎧が、『災いの鎧』と呼ばれるようになった経緯を聞いた。そして、その鎧の様子が気がかりだと管理課から頼まれたと。


「で、資料の二ページ目の下を見て欲しいんだけど」

「はい」

 そこには、最近のことが記録されていた。眺められるだけの日々に耐え切れず、過去の主の元へいくために、人の身で自害をしようとした、と。


「……ッ」


 紅花は思わず下唇を噛んだ。持ち主を守るはずの鎧が守り切れず、次々と持ち主を変え、自分だけが残される。今は展示物として、もはや本来の使われ方もされなくなった。しかも、災いの鎧などと呼ばれるようになった。そんな状況にある者の心を思って、息が苦しくなった。


 記録の続きには、鎧は博物館の所蔵物だったことから、すぐに物の方が修理され、物も付喪神も消えることはなかった、とある。しかし、貴重な展示物に傷がついたということで、担当者が解雇され、災いの力は健在だと、さらに噂が広がったらしい。


「筆頭、こんなにのんびりしていていいいんですか? また壊そうとするかもしれませんよね」

「とりあえず、事情を知っている博物館の子に見張りを頼んでる。今すぐに行動を起こすことはないと思う」

「そうですか。それで、どうするつもりですか」


 見張りをしていても、根本的な解決にはならない。状況的に暴徒化の可能性があるから、警備課に回ってきたのだろうが、解決となると難しい。


「どうって、そうだな、紅ちゃんならどうする?」

「私は……まずは修理課の人に頼んで傷を直してもらいます。それから、話を聞いて、説得。がセオリーですけど、正直それでいけるとは思えません」

「俺も同意見。葵は?」


 真剣にメモを取っていた葵は、急に呼ばれて慌てて顔を上げた。えっと、としばらく考えてから、一つ答えた。


「鎧さんの、新しい主さんを見つける、とか……」

「新しい主、か。なるほど、ありだね」


 筆頭が、片方の袖を抜いて内側から腕を出し、顎に手を当てている。何か考えている時に筆頭はこの懐手の仕草をするのだが、珍しい真剣な表情が見られるので少し見惚れてしまう。行儀が悪いので、一応毎回注意はするようにしている。


「筆頭、行儀悪いですよ」

「んー、ごめんごめん」

 ひょいと腕を袖の中に戻すと、会議室を片付け始めた。


「じゃあ、行こうか」

「了解」

「了解」

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