第2話 彼方と此方の供ー1

「もう一杯もらえる?」

「少々お待ちを」


 ある日の夕方と夜の境目、筆頭は一軒の小料理屋にいた。本部から徒歩で十分ほどのところにあるここは『はなのさと』という。木製の格子の引き戸に淡い黄色の暖簾が印象的。表札のような控えめな看板しかなく、一見、敷居の高い雰囲気がある。が、慣れてしまえば問題はない。

 中は、コの字型になっているカウンター席がメイン。テーブル席も二つほどあるが、筆頭はもっぱら店主の目の前のカウンター席に座る。


「リンちゃん、トロフィーくんたちのぶん殴る相手見つかった?」

「管理課でちゃんと調べとるよ。トロフィーの子はあと少しやよ。包丁の子は、まだ。元々そういう事件は多いからなあ」

「そっか。引き続きよろしくね」

「分かっとるよ。それより、うちのことはちゃんと竜胆りんどうさんって呼び言うたやろ。うちの方が年上なんよ?」


 一応注意はするが、仕方ないな、という様子で容認してくれる。上品な淡い黄色の着物の袂を片手で押さえながら、グラスを差し出してくれた。彼女は櫛の付喪神で、管理課の一員であり、ここの店主。妹と共に、小料理屋でヒトから情報収集をしているのだ。ちなみに妹はかんざしの付喪神である。


「リンちゃんを本部で見かけることあんまりないからさ、管理課の人っていうより、ここの店主っていう印象の方が強いんだよね」

「あら、それは褒めてるん? それとも、管理課らしくないって嫌味やろか」

「嫌味じゃないよ。親しみやすいって言いたかっただけ」

「そういうことにしときましょ。管理課は、付喪神のあらゆる情報の収集、管理を行う課。その情報はヒトからのもんも含まれる。どっちにおっても、うちは管理課の仕事しかしてへんよ」


 竜胆は、低めの位置で結わえた髪を持ち上げて、首元に付けた黄色のピンバッチを見せた。管理課の一員の印が店の照明を反射させて輝いている。


「そうだね。あ、これとこれもらえる?」

 筆頭はメニューを指さして追加の注文をした。ポテトサラダと一口唐揚げの組み合わせはお気に入りの一つだ。


「お待ちを」

 竜胆は穏やかに微笑むと店の奥、暖簾で仕切られたキッチンへと入る。料理を待っている間に、筆頭は紅花のことを考えた。一緒に飲みに行かないかと誘ったものの、結構ですとバッサリ断られてしまった。仕事第一の姿勢は良いことだし頼りになるが、もう少し肩の力を抜いてもいいと思っていた。


「……筆頭は力抜きすぎです、って言われそう」

 ありありと想像出来て、一人小さく笑った。


「思い出し笑いでもしてるん?」

「何でもない。それより、竜胆さんにちょっと頼みたいことがあって」

「どうしたん? 改まって」

 どうぞ、とポテトサラダが目の前に置かれた。箸を持つ前に、ここに来た本題を話しておこうと筆頭はカウンター越しの竜胆を見上げた。唐揚げを準備しに行こうとしていた竜胆は、少し迷ってから話を聞く体勢になってくれた。


「少し前に来た、見学者のことを調べてほしい」

「警備課に興味あるって子のこと? うちは会ってへんけど、何かあったん?」

「実際に何かが起こったわけじゃない。でも、紅ちゃんが違和感を持ったって、後から話してて」

「違和感?」

 一つ頷いて、筆頭は話し出す。店内に他の客はいないのだが、なんとなく少し声を潜めてしまう。


「理解が早すぎて、付喪神記の内容と本部の成り立ちを元から知っていたであろうことと、模擬戦での動きが訓練されたものだったこと。この模擬戦に関しては俺も見ていたけど同意見。この二点から、開化したてって言ったのはたぶん嘘だ」

「なるほどなあ。でもそれくらいやったら、そない問題視するほどでもあらへんと思うけど」

「もう一つ。四つの課の名前を言ってから、どれが希望かと聞いたら、警備課と即答したらしい。無帰課が何か、聞かなかった」

「それは……」


 無帰課。白いピンバッチを付けていて、四つの中では一番新しく、特殊な課である。主な仕事は役目を終えた物へ祈りを捧ぎ、送ること。物はこの世にたくさん溢れているが、付喪神となるのはその中でも百年経ったものだけである。そうでないものの方が圧倒的に多い。そんなものたちを送り出す仕事、これは本部外の者は知らないことだった。初めて本部に来た者は必ず、聞き馴染みのない無帰課のことを聞き返してくるのだ。


「つまり、明らかに本部の内情を知っとる、訓練を受けた者が、嘘をついてまで本部に来たってことやな」

「そう。入る前に雰囲気を見たかったとか、他人に言いたくないことがあるから嘘をついてるとかなら、別にどうってことはない。けど、紅ちゃんが気にしてる」

「あの子のため?」

「それもあるけど、紅ちゃんの勘はよく当たる。特に良くない方の」


 銃という物の特性なのか、危険が迫ると紅花はそれを事前に察することがある。毎回というわけではなく、本人もただの勘と言っている。


「分かった。調べておくわな、あずさくん」

「……その名前で呼ぶな」

「いつまで、自分の名前を捨てておく気なん。うちやって、あの人のこと忘れたわけやないけど、でも」

「俺は、筆頭であればいい」

 竜胆の言葉に、無視を決め込む。ため息と共に、堪忍な、と言われた。


「いらんこと言うて、堪忍な。唐揚げ、準備してくるわ」

 竜胆は、再びキッチンへと入った。ただ心配してくれた竜胆に、申し訳ないと思いつつ、それを口にするのも違うな、と。グラスを傾けて、辛気臭い表情を追い出した。


 揚げ物がまさに作られている小気味よい音と共にポテトサラダをつついていたら、すぐに唐揚げがやってきた。自然と口角が上がる。


「はい、どうぞ」

「揚げたてってのが嬉しいよね。いただきます」

 一口サイズの唐揚げを口の中に放り込むと、熱さに一瞬舌が驚いたが、さくさくの衣と肉の旨みで満たされていく。


「やっぱり美味しいよ、リンちゃんの唐揚げは」

「ありがとうな。食べながらでええから、少し聞いてくれへん」

「なに、リンちゃんも頼み事?」

「そうやね。『災いの鎧』って聞いたことあらへん?」


 聞いたことのない言葉に、筆頭は首を横に振った。ただ、そういう枕詞がつく物の話なら、明るい話題でもないだろうと、筆頭は一度箸を置いた。


「今は東雲博物館に展示されとる鎧なんやけど、昔、戦いに使われとった頃、持ち主が破れても、鎧は壊れんと勝者の戦利品となる。その勝者が今度は負けて、別のヒトの戦利品になる。そないなことが何度も起こって、主を破滅に導く災いの鎧と呼ばれるようになったんやって」

「なるほどね。ヒトの間でよくある怪談話って感じか。ただ丈夫なだけなのにね」


 物が丈夫なだけ、ではあるが、ヒトの間ではこういう、いわくつきの物の話はもてはやされる。数回の偶然でも、そこには絶対何らかの力が作用しているはずだ、その方が面白い、と。


「開化したのは結構前やけど、災いの鎧って呼ばれ出してから、少し気がかりな状態でな。警備課に任せたいって思うてる」

「それはいいけど、暴徒化の危険があるとか? 話聞く限りでは、管理課の範囲な気がするけど」

「これ読んで」


 竜胆は、ホチキス止めされた紙を差し出してきた。今回の案件の資料らしい。筆頭は促されるまま目を通し、そして、竜胆の言うことに納得した。


「分かった、警備課で担当する。明日二人にも言っておく」

 その時、タイミングを計ったかのように、袂に入れていた端末が主張してきた。映し出されている名前を確認して通話を開始した。


「もしもし、紅ちゃん?」

 この端末は修理課の者が作った特別製で、その動力は付喪神である自分たちの体力。一回端末を使うと、階段を一階分ダッシュしたような疲れが来る。距離がある場合は便利だが、本部内なら、やはり鳩を使う方がいいのだ。


『筆頭、まだ飲んでるんですか。飲みすぎないようにしてくださいよ』

「はーい。心配して電話してくれたの?」

『別に、そういうわけじゃ。もう切ります』

 他に要件はないようだから、本当に心配してくれたらしい。もう少しだけ声を聞きたくて、でも話題は仕事のことしか出てこない。


「明日、会議するよ。新しい案件」

『了解です。準備しておきますね』

「明日でいいよ、おやすみ」

『はい。おやすみなさい』


 通話を切って、端末を袂に入れる。少し冷めてしまった唐揚げを口に入れる。冷めても美味しいとは竜胆の料理の腕は素晴らしい。いつの間にか空になっていたグラスを見て、竜胆が尋ねてくる。


「おかわりは?」

「いや、いい。これ食べたら今日は戻るよ」

「そうか。ちゃんと言うこと聞くんやね」


 端末の向こうの紅花の声は聞こえていないはずだが、会話から推測したのだろう。まあね、と返して、筆頭は皿も空にしてから、店を出た。

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