第1.5話 報告者(了)

 一足先に色付いて、落ちた赤い葉を、スニーカーが押し潰した。くしゃりと乾いた音を立てて、葉は風に飛ばされていった。

 黒いパーカーにデニムパンツを着た大学生風の男が、パーカーをすっぽりと被って歩いている。顔を隠して、辺りを気にしながら早足で進み、やがてある場所で止まった。


「ふう……」


 古びて、ヒトから忘れ去られた廃教会。レンガ造りの外壁は、セメントがボロボロになり、ところどころ崩れて落ちている。敷地内の雑草は伸び放題で、そのまま教会内部のベンチにまで絡みついている有り様。


 男は、ギイと耳障りな音を立てて開く扉を引いた。思わずもう片方の手で耳を押さえて、ハッとした。ピアスを外したままだった。艶々とした一粒の黒い石のピアス、それを耳に開いた穴に通した。


「ただいま戻りました」

 声をかけても返事はない。男はベンチに挟まれた通路を進み、本来なら神父が立つ聖書台の前で立ち止まった。ここに誰もいないのならば、奥の部屋にいるのだろうと、男は右に曲がって、目的の部屋をノックした。


「どうぞ」

 返事を確認して、男は中に入った。元々は神父が待機する部屋だったらしい。その中心にあるアンティークの椅子に腰掛けている者に、男は片膝をついて、うやうやしく話しかける。


おさ。ただいま戻りました。報告を」

「んー、なんだっけ?」

 片側だけ長い襟足をいじりながら、興味なさそうに聞いてくる。黒いトレントコートを着たまま腰掛けていて、足を組み替えるときには革靴で蹴られるのかと男は一瞬ドキリとした。白銀の髪も、切れ長の目も、彼が鋭く光る刀の付喪神であることを表しているかのようだ。そもそも、男にとっては刀の付喪神というだけで、もう怖い。

 彼が、組織の長。ある目的のために結成された組織。黒いピアスはその一員の証。


「本部に潜入し、情報を集めてきました」

「あー、そうだったそうだった」

 まるで言われるまで忘れていた、というような口ぶり。もしかするとこの人は本当に忘れていたのかもしれない、と男は背筋がひやりとした。もし、潜入に失敗しても、誰だっけと言われて終わりだったかもしれない。


「報告だったね。二人も呼ぶから待って。小町こまちー! 史叶ふみとー!」


 後ろの扉が開き、足音が二つ分、男の横を通り抜けた。長の座る椅子の左右に位置した。右側には小町と呼ばれた少女。腰まである長い髪も含めて全身真っ黒である。フリルやレースがふんだんに使われ、袖口が大きく広がっている、ゴスロリ服に身を包んでいる。ヘッドドレスに付いているバラだけが赤くて、逆に不気味に思えてくる。小柄な少女ではあるが、弓の付喪神で、男にとって正直こっちも怖い。


 左側には小町よりも少し背の高い、中学生か高校生に見える少年、史叶。彼が学生に見えるのは、青みを帯びた暗い髪にメガネ、白シャツに紺のベスト、スラックス、といったどこにでもいそうな、その服装によるものだ。物は戦記絵巻で、その点は問題ないのだが、本人が何を考えているのか読めず、横の二人とは別の意味で怖い。


 組織の長、そして幹部が並ぶと威圧感がある。男は知らず知らずのうちに詰めていた息を吐いた。しかし、新しい息を吸うにも喉の奥がこわばって上手くいかない。


「なんですの? この男」

「本部の偵察に行かせたやつだろう」

「ああ、そういえばいましたわね」

「で?」

 小町と史叶の会話は流し、こちらに向けて放った長のたった一文字で、行動を促される。男は意識的に息を吐き切ってから、話し出した。


「警備課の内情は、事前の情報通りで、ほとんど差はありませんでした。見学と言えば簡単に内部を案内する、煙管の人を中心としている、三人一組で仕事をする、など。初めに紹介されたのが銃の人だった時は驚きましたが。その人とは体験ということで模擬戦をしましたが、瞬殺でした」

「まあ、そうだろうな」


 史叶に当然だと頷かれた。調査のためで、勝てると思って挑んだわけではなかったが、冷えた声に男は思わず唇を噛んだ。


「けっこう簡単に入れたんだ。他には?」

「実際の仕事に同行しました。三人での連携が良く取れていて、通報にはなかった者が現れても問題なく対処していました。……あ、そういえば一人、事前情報にはなかった付喪神がいました。物は傘です」

イロドリは?」

「すみません、詳しく聞く前に仕事が入ったので。防御の系統だとは思いますが」

 返事はため息だった。確かに中途半端な情報かもしれないが、せめて何か言ってほしい、と男は思った。


「彩の重要さを分かってますの? そもそも、こいつ彩が何か分かってます?」

「そうだね。小町、教えてあげなさい」

「はぁい、長。いいですこと? 小町が教えてあげますの。付喪神は稀に特殊な能力を持って開化することがありますわ。その能力を『彩』と言うんですの。本部は彩を持ったやつが多く集まっているんですのよ」


「まあ、イロ持ちはヒトの中では暮らしにくいってのもあるがな」

「邪魔するな、ですわ。メガネ」

「あー、はいはい」


 能力を持たない付喪神――通称イロなし、は永くあること以外はヒトと変わらない。工夫は必要だが、ヒトの世界に馴染むことは出来る。反対に、イロ持ち、能力のある者はヒトと大きな違いがあり、馴染むことが難しくなるらしい。


 もちろん男は知識として知っているが、黙ってそれを聞く。小町は満足したようで、話の主導権を長に戻した。


「どうぞですわ、長」

「うん、えらいね。小町」

「当然ですわ」


 小町は得意気に笑うと、ちょこんとその場にしゃがみ込んで、頭を撫でるように長に要求した。長は小動物を愛でるように、小町の頭を撫でた。

 史叶がわざとらしくため息をつく。


「その茶番は後でやってくれ。とにかく、その傘のやつのことを調べないと」

「史叶も知らない? 全く?」

「知らない」

「じゃあ、他の二人のイロは?」

「今言うことか?」

「言って」


 ねだるような、もしくは何かを試すような口調で長は言った。今、史叶に向けられているからいいものの、こちらに向かって言われたらと男は汗が滲む手を握りしめた。


「銃の方は〈意思を込める〉。意思を弾として込めて撃つことが出来る。実質弾切れがないということになる。煙管の方は〈煙に巻く〉。その煙で記憶を操作、消去する彩。ヒトにしか通じず、付喪神に対しては目くらまし程度だな」

「へえ、煙管って戦う系のイロじゃないんですの。意外ですわ。一番強いのでしょう?」

「ああ。煙管の戦闘技術は本人が後から習得したもの。逆に銃の方は彩に依存するところが大きい。って、前に教えただろう」

 小町が、えー忘れましたわー、とにこにこと笑っている。


「史叶さん、どうしてそんなに詳しいんですか」

 男は思わず感嘆の声を上げたが、直後それを後悔した。鋭く削った氷のような視線が、こちらに向けられたのだ。


「キミが知る必要のないことだよ。というか、まだいたんだ。もう下がっていいよ」

「は、はい。申し訳ありません。あの、次は何をすれば」

「しばらくはいいよ。警備課のやつらに顔見られてることだし」

「いや、でもそれは長が――」

 長が命令したから潜入したのに、という言葉を、男は飲み込んだ。飲み込まされた。


「ボクが何?」

「いえ……」

「もういいよ。下がって」


 穏やかな笑顔で長はそう言った。その笑みとは裏腹に男の体は恐怖に包まれた。全身の毛が逆立ち、一刻も早くここから立ち去りたいと全身が訴えてくる。

 男は無言で一度頭を下げると、身を守るように体を丸めながら部屋を出た。





「どうするんですの? 本部なんてさっさと攻め落としたらいいんじゃないですの? ねえ、長」

 ひじ掛けに置かれた長の手に、小町が猫撫で声で頬をすり寄せている。史叶は、呆れたように口を出した。


「対策と計画を練ってからだ。急ぐな」

「メガネは慎重すぎですわ。つまらないんですのー」

「は?」

 べーっと舌を出して不満を言った小町に、史叶が苛立って一歩踏み出した。間にいる長は、穏やかな声で仲裁に入る。


「まあまあ。作戦は史叶に一任しているから、よろしくね」

「分かっている」

「小町も、えらいから、ちゃんと待っていられるよね」

「はいっ。長のご命令ならば、小町待ちますわ!」


 この廃教会から、狼煙が上がるのは、まだ少し先のこと。


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