第1話 見学者ー4(了)
紅花は筆頭の方へと視線を向ける。彼は、鉄パイプを振り回すことに疲弊してきている。どんどんと後退している。筆頭はたまに弾き返したりするものの、ほとんどを避けているようだ。
「くそっ」
「もう、いいんじゃないか」
筆頭が、彼に降参を促した。彼はそれに頷くような仕草を見せた。
「ああ。もうどうでもいい」
最後の力を振り絞るように、彼が鉄パイプを大きく振りかぶった。筆頭はそれを避けようとしたが、避けるまでもなく、鉄パイプは別の方向へ振り下ろされる。鉄骨の突起に引っかけてあった、鞄に一直線だった。
「――ッ」
筆頭が咄嗟に腕を割り込ませて、鞄を守った。痛そうに顔を歪めている。
「筆頭!」
「筆頭さん!」
慌てて駆け寄ると、腕よりもこっちだと、鞄を押し付けられた。重量感のあるその鞄の中を見てみると、トロフィーがあった。王冠を象ったモチーフが天然石の台座に乗っている厳かなトロフィーが。
「あなた、自分を壊そうとしたの!?」
「……」
「物が壊れたら、あなた自身が消えてしまうわ。物は私たちにとっての心臓、命そのものよ!」
「ヒトが憎い。でも復讐すら出来ないなら、もういい」
自暴自棄になった彼が消え入りそうな声でそう言った。鞄に手を伸ばしてきたから、紅花はさっとそれを避ける。渡してしまえば、彼はきっと自分を壊す。警備課は、対象を鎮圧、保護するためにいる。対象を壊してはならないという決まりだってある。
「じゃあさ、文句を言いに行こう」
「は?」
この場にそぐわない、あっけらかんとした口調で筆頭が言った。言っていることの意味が分からず、紅花は思わず強めに聞き返した。
「だから、文句を言いに行こう。トロフィー使って事件起こしたやつに」
「え、そんなことして、いいのか」
「付喪神、と名乗るのはだめだけど、例えばそのトロフィーを作った職人ということにして、よくもくだらないことに使ってくれたな、ってさ」
ぽかんとしている彼に、筆頭はウインクをしながら言い足した。
「それで、足りなかったら一発殴る」
「は? え? お前らがヒトを襲うなって言ったんじゃないか」
彼は混乱して、紅花たちを見回している。その瞳の影が薄くなってきているのが分かった。ついでに葵も混乱しているらしく、眉に皺を寄せながらミーアキャットのように首を動かしている。
「止めるかい? 紅ちゃん」
筆頭がこちらに話を振ってきた。自分で言い出して、説明は放り投げるらしい。
「止めませんよ。個人間の問題ですから、警備課としては止めません。ただし、やりすぎないように筆頭が付いて行ってください。必ず」
「だってさ」
今回の場合、トロフィーを使って罪を犯したヒトが全面的に悪い。無差別にヒトを襲うことは許されないが、当人に文句を言うくらいは許容されるだろう。
「どう? 本部に寄って行かないかい。そいつの居場所を突き止めないとだし、ね。管理課はそういうの得意だから」
「……分かった」
彼は力を抜いて、地面に座り込んだ。瞳の影はもうなくなっていた。筆頭が一応決まりだから、と札を腕に巻き付けた。先に札を巻き付けられた彼女が、ねえ、と声を上げた。
「わたしも、あいつに文句言いたいのだけど、協力してもらえるの?」
「ええ。歯止め役は付いて行くけれど」
「そう」
彼女は紅花の答えを聞いて、初めてほんの少しだけ笑顔になった。瞳に影はない。視界が悪くて、初めの状態を確認出来ていないが、きっと彼女の影は元々薄かったのだろう。
「さあ、外に出ようか」
葵は頷くと、今回の対象二人の腕を引き、ビルの外へと歩いていく。体力を奪っているとはいえ、二人とも自力で歩いているため、葵に任せて大丈夫そうだ。
「筆頭、腕大丈夫ですか」
鉄パイプを受けた筆頭の腕が赤く腫れている。紅花はハンカチを取り出して、水で濡らして冷やそうとしたが、水道がなかった。
「紅ちゃんのお望み通りかな?」
「は?」
「さっき葵にナイスショット、とか言ってたから、痛い目見ろーってことかなと」
読まれているとは思わず、紅花は一瞬固まってしまった。が、筆頭の読みは少しずれている。
「ちゃらんぽらんとしているので、少しくらい痛い目見たらいいのに、とは確かに思っていました」
紅花は筆頭の腕を持ち上げて、心臓より高い位置でキープする。以前、修理課で打ち身や打撲のときには患部を高くした方がいいと教わった。
「でも、怪我をして欲しかったわけじゃないです。少し肝を冷やした、それくらいでいいんです。無茶しないでください」
「紅ちゃ――」
「水道探してきます」
そっと手を離し、背を向けて近くの水道を探しに行こうしたが、一歩踏み出す前に手を掴まれた。
「いいよ。このままで」
「でも」
「紅ちゃんの手、冷たいからしばらく触れててよ」
「……はい」
腫れている患部には触れないようにし、その周りに手のひらを当てる。熱を持った筆頭の腕から、紅花の手のひらに体温が移っていくのを感じた。一分もなかったと思う。けれどすごく長い時間そうしているような気分になり、不思議な感覚だった。
「素直な紅ちゃんも、いいね」
「なっ! ほら、もう行きますよ」
「そうだね」
筆頭と紅花もビルの外へと歩き出したところで、先に外に出ていた葵がシートの向こうからひょこっと顔を出した。
「筆頭さん、紅花ちゃん、見学の人がいない!」
「え?」
紅花も外に出て、辺りを見回すがどこにもいない。対象二人を放ってはいけないから、葵も今見える範囲でしか探せていないのだろう。
「どこ行っちゃったんだろう。あたし探してこよっか」
「いいよ、葵。本部に入りたいのなら、また来るだろうからさ」
筆頭の指示で納得し、走り出す一歩手前だった葵はその場に落ち着いた。紅花は近くに公園の中に水道があるのを見つけ、ハンカチを濡らして、すぐに戻ってきた。筆頭の腕に巻き付けて、頷いた。修理課できちんと手当てをしてもらわなければ。
「じゃあ、帰ろうか」
「了解」
「了解」
紅花たちは、本部へ帰る道を歩きだす。
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