第1話 見学者ー3



 現場に向かいながら、筆頭が今回の対象について手短に話してくれた。少し前まで、警察署で傷害事件の証拠品として収容されていたトロフィー、の付喪神。ヒトに対して復讐をしようと企んでおり、ついに実行に移そうとした。それを見つかり、今は立て籠もっているらしい。


 着いたのは、警察署の近くの建設中のビルだった。立て看板には、白藤スポーツジム、と書いてある。ジムになる予定らしい。避難は完了しているということは、中には対象しかいない。ほどよい緊張感だけ残して、体の力は抜く。紅花は深呼吸一つでそれを行う。


「じゃあ、行こうか。あ、見学くんは外からそろーっと中を覗くくらいにしときなね」

「あ、はい」

 彼を残して、紅花たちはビルの中に入る。まだ骨組みが出来たところで、鉄の棒が縦横に組まれただけの箱だった。風が吹くたびに鉄骨の箱を覆うシートが揺れる。そこかしこに作業中らしき板やパイプ、工具が転がっている。自分たちが動くのに合わせて砂埃が上がり、思わず咳き込む。


「けほっ」

「大丈夫かい?」

「問題ありません」


 鉄骨の箱の中心に、一人の男性が立っていた。スーツに身を包み、足元は革靴と、正装と言える服装なのだが、砂埃を浴びて白っぽくなり、髪は乱れているのでちぐはぐな印象だ。目は力強く前を見据えているのだが、瞳に影がかかっている。この影こそが、暴徒化した付喪神の特徴である。


「対象確認」

 筆頭が言い、紅花と葵が頷いた。そして、それぞれ行動に移る。葵は念のために二人の前に立ち、傘を開く。防御の体勢だ。紅花は一歩引いたところでガンホルダーから銃を抜き、低い位置で構える。筆頭は口元に笑みを浮かべたまま、ご近所さんに話しかけるように軽いトーンで話しかける。


「きみがトロフィーの付喪神くん?」

「ああ。お前らはなんだ」

「付喪神統括本部、警備課。きみを止めにきた」

「邪魔をするのか」

「うーん、きみから見るとそういうことになるかな。無差別にヒトを襲わせるわけにはいかない」

「全部、ヒトが悪いんだ! 復讐して何がいけないんだ。オレをこんな目に合わせたヒトに、仕返しして何が悪い!」


 語気を荒げながら、転がっている資材や鉄くずを投げつけてくる。葵がそれら全てを、広げた傘で受け止める。傘には傷一つ付いていない。砂埃を払うために二、三度ばさばさと開閉させていた。筆頭はその間に葵の横をすり抜け、対象に向かって歩いていく。


「くそっ」

 さらに手あたり次第に投げつけてくる。筆頭は器用にそれを避けながらゆっくり進む。葵は引き続き傘を開き、紅花に投てきの物が当たらないよう守ってくれている。焦りからか、投げ方に隙が見えてきて、葵は飛んできたトンカチを打ち返した。


「えいっ」

 しかし、それは筆頭の右腕すれすれのところを通過した後、奥の鉄骨に衝突した。予期しない後ろからの投てきに、筆頭は一瞬歩みを止めた。首をわずかに斜めに動かして、文句を言う。


「こらー! 葵!」

「ごめんなさいいい」

 葵は、ぺこぺこと何度も頭を下げて筆頭の背中に謝っている。


「ナイスショット、葵」

「紅ちゃーん?」

 小声で言ったつもりだったのだが、筆頭の耳にまで届いたらしい。が、無視を決め込む。いつも真面目に仕事をしないから、少し痛い目を見ればいいのに、と思ってしまう。ただの八つ当たりだと、分かってはいる。


 投げたものが一つも当たらないことに、対象がイライラし始めている。興奮状態で近くにあった鉄パイプを持ち、筆頭に向かっていく。


「おらあ!」

 筆頭は頭をわずかに傾けるだけでそれを避けた。縦に横に振られるパイプは、単調で筆頭は直前まで待ってから避けているようにも見える。そして、その状態のまま対象に話しかける。


「きみ、ピアノコンクールの優勝トロフィーなんだって?」

「それがどうした」

「そんな名誉な物が、ヒトを襲うなんて、やめなよ」

「オレのことを何も知らないくせに、そんなことを言うな!!」

「ああ、知らない。きみがどんな物かは」


 筆頭は煙管で鉄パイプを受け止めると、勢いを横に逃がし、弾き返した。戦っている中で、筆頭は彼の想いを吐き出させようとしている。


「オレは傷害事件で使われた。あの時、何かがぶつかって、棚から落ちた。落ちた先にヒトがいた。驚いて、ぶつかった方を見たら、そいつは慌てるでもなく、焦るでもなく、オレとその下のヒトをただ見ていた。わざと落としたんだよ! そいつは!」


 彼は、付喪神として開化する前、『ツボミ』の頃のことを語る。開化する前、百年未満の物たちは、人の姿形はあるが、人差し指ほどの小ささで物の近くをふよふよと漂っている。そんな彼らのことを総称して『ツボミ』と呼ぶ。ヒトの姿を持つ付喪神と違い、ヒトの目には見えない。


「その後は、よく分からないところで散々調べられて、終われば箱の中に押し込まれた。何年も、何十年も」

「警察署での鑑定、そして保管か」

「オレはこんなことのために作られたんじゃない! ヒトを傷つけるためでも、真っ暗な箱の中にいるためでもない!」


 身を引き絞るような叫びと共に、彼が鉄パイプを振り上げる。筆頭は受け止めることはせず避けた。鉄パイプが地面を打ち、甲高い音が響いた。




 筆頭と彼の戦いを見守る体勢に入っていた紅花は、突然出現した気配に肩を揺らし、すばやく銃口を向けた。


「動かないで」

 紅花と葵のすぐ近く、ベニヤ板の陰に隠れてもう一人いた。正確にはさっきの鉄パイプの音に紛れて侵入してきたのだろう。近くに来るまで気が付かなかった。気配を消すのが上手い。


「あなたは?」

「そこにいる彼と同じようなもの。ただし、そのために買われた」

 そう言うと、ベニヤ板を刃物のような物で切り裂いて、女性が姿を現した。オフィスカジュアルという表現が合いそうな、彼女は次の瞬間には砂埃を舞い上げ、こちらの視界を遮ってきた。


「紅花ちゃん!」

「大丈夫よ。でも、まさかもう一人いたなんて」

 トロフィーの彼がここに立て籠もるまで、そして立て籠もってからも、息を潜めていたようだ。見えたのは一瞬だったが、おそらく物は包丁。こちらに斬りかかってきたら、厄介だ。


 葵が傘の開閉で起こした風で、砂埃を追い払うと、彼女はしゃがみこんで、いくつものロープを掴んでいた。さっとそれを目で追うと、このビル内に蜘蛛の巣のように張り巡らされている。一気に引っ張られれば、ここにいる全員まとめて足を取られてしまう。決定的な隙が生まれてしまう。


「やめなさい」

 今まさにロープを引っ張ろうとしている彼女の手元に向けて銃弾を放った。続けて二発。


「!?」

 実弾で撃ち抜いたのは、ロープだった。彼女の手元からロープが千切れ、それを再び掴ませないように地面を打ち、けん制。


「いい子だ」

 一瞬見ただけでこちらの状況を把握して、筆頭はそう笑いかけてくる。いや、もう一人いることに途中で気が付いていたのかもしれない。だとしたら、なんだか悔しい思いがする。


「なんでよ!」

 癇癪を起こした子どものように、彼女がコンクリートの破片を無造作に投げてくる。紅花はさっと葵の後ろに避難する。彼女は、紅花たちではなく地面を睨みつけて、なんでと繰り返しながら、投てきをしている。


「なんでよ、なんなのよ! ただ普通に使われたかっただけよ! なんでよ……」

 やがて、言葉も腕も力をなくし、彼女は放心状態で紅花たちを見つめた。一応、拘束用の札を手に、紅花は彼女に近づいた。この札は一見するとただの薄っぺらい紙だが、本部の者が開発した特別製で、巻かれた者の体力を急激に奪う。


「本部でお話を聞く。これ、巻かせてもらうわ」

「いいね、あんたは幸せそうで」

「……銃が在り続けることが、幸せだと思う?」


 彼女が心の底から羨ましい、というような口調で言ったから、紅花はつい皮肉めいた言葉を返してしまった。言ってからすぐに後悔した。


「葵、その人のことお願いね」

「了解」


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