第1話 見学者ー2
「では、剣道にしましょう。と言っても細かいルールは気にしなくていいわ。竹刀を相手の体のどこかに当てたら勝ち」
「分かりました」
紅花は竹刀を二本取ると、一本を彼に渡し、畳で向かい合った。竹刀を構え、先を触れ合わせて、静止。
「――はじめ」
審判がいないので、紅花がそれを口にした。
「うおーー」
彼が竹刀を振り上げる。紅花は左足を少し後ろに引いてそれを躱す。耳の横を竹刀が風を切る音が通り過ぎた。今度は風が水平に迫ってくる。自分の竹刀でそれを受け止めて、押し返す。
「おっとっと」
彼がバランスを崩す。すぐさま彼の手首を叩こうとする。が、弾き返された。反応が早い。切り替えて、足に狙いを定める。それを警戒して彼が竹刀で応戦。その前に紅花がくるりと半回転させた竹刀で手をしなやかに打った。彼の手から竹刀が離れ、引っ張られるように尻餅を付いた。
「はー、負けました」
「強めに打ってしまったわ。ごめんなさい」
「いえ、一戦申し込んだのは僕ですから。これくらい何とも」
立ち上がる彼に手を貸そうとしたら、紅花より先に後ろから手が伸びてきた。その手は軽々と彼を立たせると、紅花に笑いかけた。
「何か面白そうなことやってるね、紅ちゃん」
「筆頭。いつからいたんですか」
「ついさっき」
そう言う彼は、紺の着流しにグレーの羽織を着こなしている。雪駄のおかげで歩くときに、ほとんど音がしなくて、いつの間にか後ろにいることがよくある。すらりと背が高いから、紅花を覗き込むようにして話しかけてくる。茶色い髪は、くせっ毛で右目が隠れているが、左目を細めてにっこりと笑っている。
「で、この子は新入り? 早速鍛錬とか気合い入ってるねー」
「いえ、見学で来ました! 尺八の付喪神です」
突然現れた筆頭に臆することなく、彼は自己紹介をしている。こちらも紹介しないわけにはいかない。
「この人は、筆頭。一応警備課のトップよ。一応」
「紅ちゃーん、そんなに一応って強調しなくてもいいじゃん」
言い直すつもりもないから、そっぽを向いて黙っていた。筆頭は、仕方ないなーと言いながら彼に顔を向けた。
「俺は、筆頭と呼ばれている。煙管の付喪神だ。よろしく」
筆頭は袂から煙管を取り出して紫煙を上に向かって吐き出した。紅花はこちらに流れてきたその煙を手で払う。
「俺とも勝負するかい? 新入り(仮)くん」
「いえ、遠慮しておきます……」
「ふーん、残念」
対して残念そうでもなく、筆頭は言った。だが、彼がうんと言ったとしても、勝負は止めていた。正直、入る前から筆頭と戦うことはさせたくない。圧倒的な差は、頑張ることすら諦めてしまいそうになる。
「じゃあ、俺も見学ついていこ。どこ案内したの?」
「まだここだけです。警備課が希望らしいので」
「へー、そっかそっか。まあ、他のところも見に行こうか」
筆頭を先頭に、三人は鍛錬室を出た。部屋を出ると、涼しい風が頬を撫でた。扉からエントランス、そして警備課のエリアまでは繋がっているから、外の空気がよく入って来る。
「二階は管理課、三階は修理課、四階は無帰課ってなってる。気になるところあるかい?」
筆頭が吹き抜けを見上げながら、各階を指さして説明を始めている。張り切っているようだ。これから他の課のことも説明するとなると、少し時間がかかってしまうかもしれない。
「あの、誰か手を振っていませんか? あそこ」
彼が三階を指さして言った。指された方向を見てみると、手摺から身を乗り出してこちらに手を振っている者がいた。
「おーい」
「葵! 危ないわ」
すっと体を引っ込めたかと思うと、あっという間に階段を駆け下りてきた。
彼女は膝丈の赤い袴を着て、何故か得意気に仁王立ちをしている。キュロットタイプの馬乗袴だから、足を広げても問題はない。いつものことだが、室内だというのに頭には笠をかぶっている。にっこりと歯を見せて笑う様子は、その背の小ささとも相まって可愛い。
「紅花ちゃん、筆頭さん、お疲れ様です! その人はもしかして新入りさん!? ついにあたしにも後輩が……!」
「残念ながら違うよ、見学だってさ」
「そっかー。あ、あたしは葵。警備課の中では一番後輩。物はかさだよ!」
「笠……?」
彼の視線が葵の頭に吸い寄せられていた。葵もそれに気が付いて、違う違うと顔の前で手を振って笑った。
「こっちの傘だよ!」
葵はくるりと半回転して背中を向けて、刀のように斜めに背負った傘を見せた。そっちか、と彼は納得して手を叩いている。
「警備課は、基本三人一組で動くわ。筆頭、私、葵の三人で組んでいるから、もしあなたが警備課に入るなら、どこか別の班になると思う」
「ごめんねー、うちの第一班は今いっぱいで。両手に花の状態だからさ」
無言で筆頭を睨む。が、目が合うと口端を少し上げて微笑んでくる。一方、葵はにこにこと喜んでいる。筆頭の軽口にいちいち喜んではいけないといつも言っているのに。
紅花、筆頭、葵の首元にはお揃いの赤いピンバッチが光っている。
「同じ班だから、皆さん和服で揃えているんですか。いいですね」
「というか、警備課の制服が和服なんだ。動きやすいように改良おっけーってことになってるけど」
そう言って葵がくるくるとその場で回って、自分の服を見せつけている。動きやすさ、で言うなら笠は邪魔のように思うが、あれはあれで必要らしい。
「そうだ、会議室も見てく?」
「ぜひ」
葵は、後輩になるかもしれない彼の手を引いて、会議室に案内する。扉は朱色に色づいて、四人を迎え入れた。部屋の中央に大きいテーブルがあり、それを囲むように椅子が並んでいる。入り口の反対側の壁にはホワイトボードが置いてあり、消し忘れたらしい『部屋の電気は消すこと!』という文字が躍っていた。
「ここで作戦会議したり、お茶したりするよー。あ、お菓子食べる? 何かあったかな」
一人でしゃべって、葵が部屋の端にある棚をがさごそと探っている。
「もう、葵がお菓子を食べたいだけでしょう」
「えへへー。だめ?」
「おもてなし、ってことなら少しくらいいいわよ」
「やったー」
ぽかんとしている彼の肩に肘を置いて、筆頭が何飲む? 苦手なものは? と聞いている。傍から見ると完全に居酒屋に誘っているようにしか見えない。
その時、鳩が来た。真っ白い鳩が、ドアの真横にある小窓を器用に開けて、部屋に入ってきた。
「え、鳩? なんで、うわっ」
戸惑っている彼を横目に、鳩は筆頭に向かって一直線に飛んで来た。彼は驚いて頭を抱える。
「驚かせて悪かったな、大丈夫かい」
鳩は水平に上げられた筆頭の腕に見事に留まっている。クルックーと得意気に一鳴きした。筆頭は、鳩の足に結ばれた長細い紙を広げて、目を通している。
「本部の中では、伝書鳩でやり取りをするの。この子たちは吹き抜けを通ってどの階にも来てくれるのよ」
彼は興味深そうに、鳩を見つめている。鳩の方はそれほど興味がないらしく、そっぽを向いてしまった。
「紅ちゃん、葵、出動だ」
筆頭の言葉で、お茶会の準備をしていた紅花と葵は、すぐさま仕事モードに切り替える。顎を引き、姿勢を正して応える。
「了解」
「了解」
緊張感のある雰囲気に、彼は一瞬たじろいだように見えた。彼をここに一人置いておくわけにもいかない。
「ごめんなさい、見学はここまでで。もし他に気になるところがあったら、受付を通して別の課の――」
「あの、邪魔にならないので、連れていってください。お願いします」
「え、危ないよ?」
「そうね。さっきの勝負とは訳が違うわ」
彼の申し出に、紅花も葵も首を横に振る。わざわざ危ないところへ連れていかなくても。
「お願いします!」
彼はさらに頭を下げる。そんな彼の肩を叩いて、筆頭がいいんじゃない、と言った。思わず紅花は聞き返してしまった。
「え?」
「いいんじゃない。別に。今回の対象は一人だし、大丈夫だよ」
「……まあ、筆頭がそう言うなら」
紅花と、葵もしぶしぶ頷いたことを確認した筆頭は、さっきまでと変わらない笑みをうかべながら言った。
「ついて来るのは構わない。一応ゲストだから守る。けど、全てを保障出来るわけじゃない。それでもいいかい?」
「……はい」
「そう。ならさっさと行こうー」
早く早くと急かす鳩と共に会議室を出て、受付嬢に短く問うた。
「避難は?」
ぐるりとリボンの巻かれた帽子に、首元にはスカーフ、制服のノースリーブのワンピースを身に付けた彼女は、鳩をその腕に留まらせて、答えた。
「完了しています」
「じゃあ、行ってくるよ」
筆頭は駆け出し、紅花もそれに続く。その後に、葵と彼が追いかける。本部を出て、現場へと急行する。
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