第1話 見学者ー1

 葉が色付き出している。緑色の葉から青みが抜け、黄色、橙色、そして鮮やかな赤色となっていくのだろう。今は緑色から黄色へと移り変わるところ。その中に、駆け足で秋を運んできたかのような赤い葉がちらほらと見える。

 秋の訪れをいち早く写真に収めようと、カメラを向けるヒトたち。小さな秋を見つけることは出来ても、その奥にある建物は目に入らない。



『付喪神統括本部』



 そう書かれた銅板が入り口に表札のように掲げられている、四階建ての建物。白とベージュのレンガを基調とした外壁、角度の緩やかな切妻屋根にはグレーのタイル、窓は半円アーチで、ルネサンス風の博物館か、美術館を思わせる。

 まるで背景の一部のように、ヒトには認識出来ない。意識の外側にあるそれは、付喪神による、付喪神のための機関。


「ただいま戻りました」

 扉を開けて、一人の少女が本部に帰ってきた。外から吹き抜けのエントランスに吹き込む風に、ハーフアップの黒髪と赤いリボンが揺れる。巫女のようなトップスに、深紅のフレアスカートを合わせた、和洋折衷の服装を着こなし、颯爽とブーツを鳴らしている。


「あの、紅花さん」

「どうしたの?」

 エントランス奥にあるカウンター、そこには常に一人以上の受付嬢が待機している。戻って早々に彼女に手招きされた紅花は、早足でカウンターの前まで行く。


「帰ってきてすぐなのに、すみません。本部を見学したいという方が来ていまして……」

 彼女が手のひらで示した方向には、来客用のソファがあり、そこに一人の男性が腰かけていた。


「見学、なのね」

「本部に入りたいと思っているけど、その前に見学がしたいと言っていました。今、受付が一人なので、わたしがここを離れるわけにもいかなくて」

「分かった。私が案内してくるわ」

「ありがとうございます」


 紅花は、ソファに座っている男性に声をかける。本部内を興味深そうに眺めている彼は、黒いパーカーにデニムパンツという格好で、どこかの大学生のように見えた。


「こんにちは。本部の見学を希望しているというのはあなたですか」

「あ、はい。よろしくお願いします!」

「こちらこそ。私は、付喪神統括本部、警備課の紅花です」

「えっと、僕は最近開化したところで、名前は特に付けてなくて。尺八の付喪神です。紅花さんは何の付喪神なんですか」

「……銃ですよ」

「あっ。そう、なんですか。あの、えっと、紅花さんの方が年上だろうし、敬語じゃなくて、大丈夫です」


 いつものことだった。銃の付喪神であると告げると、驚きと怯えが隠せていない笑顔がお決まりの反応だ。慣れたとはいえ、奥歯を噛みしめていないと、情けないため息が表に出てしまいそうになる。


 物が百年この世に在り続けると、命と人の姿を得て、付喪神となる。付喪神の誕生のことを『開化』と言う。物が壊れない限り、付喪神は在り続ける。全国各地にある、不老不死伝説や、生まれる以前の記憶、つまり前世の記憶を持つ子どもなど、そういうもののいくつかは付喪神のことだろうと言われている。あとは、いつまでも若々しい人も。


「では、お言葉に甘えて。中を案内する前に、本部の成り立ちを話すわ」

 彼はコクンと頷いた。開化して間もないと言っていたから、少し丁寧に話した方がいいかもしれない。紅花は彼の隣に腰掛ける。


「付喪神は、ヒトのような見た目をしていても、年を取ることはない。見た目も変わることはないわ。つまり」

「外見で判断してはいけないし、出来ない、ですよね」

「ええ」


 彼が紅花の言葉を引き継ぐように言った。見た目だけで言えば、大学生に見える彼の方が、十代後半の小柄な少女の見た目をした紅花よりも年上に見える。実際の年数はその逆であるが。付喪神の外見は元の持ち主と似た姿になるという説がある。長い間同じヒトに使われていたなら、思い入れの強い時期や年齢の姿を取るらしいが、詳しいことは解明されていない。


「永い時を過ごす付喪神たちがヒトの世で在り続けるには、色々と困り事が出てくる。そのための機関が、付喪神統括本部」

 いよいよ本題に入るところで、彼が背筋をピンと伸ばした。


「こういうの、聞いたことは? 『陰陽雑記に云、器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑す。これを付喪神といへり』と」

「いえ」

「これは、昔の人間が私たち、付喪神について記した書物の冒頭。書物の内容をざっくり言うと、付喪神が自分たちを捨てた人間に対し、仕返しとして町を破壊しつくした。そして格上の神によって退治された。って感じよ」


「そ、そんなことが……」

「まあ、全てが事実というわけではないと思うけれど。そして、再びそうならないために作られたのが、付喪神統括本部。四つの課で仕事を分担して、平和を守っているわ」

「なるほど、そうだったんですね」

 彼は感心したようにそう言った。初めて聞いたにしては、かなり理解が早い。紅花はソファから立ち上がった。


「座って話を聞いているだけでは退屈でしょうから、歩きながらでも」

「はい、ぜひ」


 白い床を踏みしめると、ちょうど踏みしめた箇所だけが正方形にほのかに色づいた。数歩進むと、そのたびに薄紅や琥珀、鶯色などに色づいて、振り返るとまた元の白色に戻っていた。


「おおお……」

「あ、これ、面白いでしょう」

「はい。さっき本部に入ってきた時もびっくりして。あ、ドアも色が付くんですね。どうなってるんですか?」

 目線の先で、ドアが押し開けられると床と同様、ほのかに色づき、閉じられるとまた白色に戻った。


「さあ。私も仕組みは知らないわ。そういうもの、としか」

 肩をすくめて笑うと、彼もおかしそうに笑った。紅花はカウンターを通り過ぎて、その奥へと進む。


 本部の建物内は、一階から四階までが吹き抜けになっていて、その吹き抜けを中心に半円状に廊下がある。ドアは円に沿って規則正しく並んでいる。廊下も壁も階段も、白を基調としていて、無駄な装飾を排除し、洗練された博物館のような雰囲気がある。もっとも、人が動くたびに床やドアが色づくため、視覚的には色鮮やかである。


「本部には、四つの課があると話したわ。警備課、管理課、修理課、無帰課むきかの四つ。どこか希望はある?」

「警備課で!」

「即答ね。じゃあ、警備課のことを」


 紅花は一階を歩きながら、話し出す。各階がそれぞれの課のフロアとなっていて、一階はエントランスと、警備課のフロアだ。


「まず、課によってピンバッチで色分けがされているの。警備課は赤色。他のところはまた後で教えるわ」

 紅花は自分の首元についている、丸いピンバッチを指さした。水滴をそのまま閉じ込めたかのような澄んだ輝きを持っている。


「へえー、綺麗ですね」

「警備課の仕事は、稀に暴徒化してしまう付喪神を、ヒトや他の付喪神に被害が出る前に鎮圧、保護をすること。暴徒化の理由については、捨てられたこと、本来の使われ方をしなかったこと、忘れられたこと、など様々あるわ」

「さっき言っていた、書物みたいなことを、未然に防ぐってことですか?」

「ええ、そうよ。もしかして、どこかで聞いたことがあった?」

「いえいえ。初めてです。なんとなくそうかなと思っただけで」

「そう」

「そういう事件がないときは、どうしてるんですか?」


 彼は、紅花から少し目線をずらして、聞いてきた。紅花は、理解の早い彼自身のことが少し気になったが、それは横に置いておいて、質問に答えた。


「書類作業もあるけれど、主に鍛錬をしているわ。元々の素質で運動神経がいいと有利ではあるけど、それよりも日々の鍛錬がものを言うわ」

 紅花は規則正しく並んだドアのうち、一つの前に立った。ドアノブの斜め上にあるプレートには『鍛錬室』と書かれている。ドアを押し開けると、緋色に色づいた。


「わあ……」

 中を見た瞬間、彼は口をあんぐりとさせた。鍛錬室は、一度に三十人が両手を広げて立っても余裕のある広さに、様々な設備が置かれている。ランニングや筋トレが出来る一般的なものから、アーチェリーの縮小版のような遠距離戦や、マネキンまたは対人での近接戦の訓練が出来る格闘技のリングに似た設備まである。


「凄いですね。あのスペースは何に使うんですか?」

「あれは、剣道や柔道、空手など、色々使われるわ」

 六畳ほどの大きさの簡易畳が敷かれているスペースを指さした。今は使っている人はいないようだ。


「一戦、お願い出来ませんか?」

「え?」

「見学の延長というか、体験みたいな感じで。だめですか?」

「……」


 紅花は、即答しなかった。開化してすぐ、しかもまだ警備課に入ってもいないのに、鍛錬をさせてもいいものかと、迷った。が、本人の言うように、実際に体験してもらうのも、いいことかもしれない。


「分かったわ」

「ありがとうございます!」

 彼は、先ほどよりも引き締まった表情で、頭を下げた。

 一戦、と言ってもこちらが銃を使うわけにもいかない。何がいいかと考えて、紅花は部屋の隅に立てかけてある竹刀に目を止めた。

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