つくもがみ統括本部ー警備課ー
鈴木しぐれ
序
「待ちなさい!」
対象は路地に逃げ込んだ。夕暮れの真っ赤な光は建物に遮られて、薄暗い。昨日の雨のせいで水溜りが出来ている。他にも誰かが投げ捨てて行ったらしいゴミや、無造作に放置されたドラム缶が転がっていて、とても走りづらい。ブーツが水を跳ね上げるが、深紅のフレアスカートや太ももに装着したガンホルダーには水滴は届かない。真っ赤な瞳で路地を注視する。黒髪と相まって巫女のような装いは、路地では目立ってしまう。このまま対象に逃げられると厄介だが、こちらは三人。それはまずありえない。
「
角の向こう側で、仲間の声が聞こえた。曲がると同時に、瓶や金網の破片などが飛んできた。が、それが彼女たちに当たることはない。守るように開かれた臙脂色の傘がそれらを全て弾いたから。
「
「えへへ」
赤い馬乗袴が汚れるのも構わず、地面に片膝を付いて道いっぱいに傘を広げている。頭に被った笠をずらして紅花を見上げる。葵は褒められて、この場にそぐわないほわほわとした笑顔を浮かべている。つい、こちらまで力を抜いてしまいそうになるが、紅花は銃を握る手に力を込める。傘が少しすぼめられて、対象の姿が見える。その手にはいつの間に拾ったのか、小型のナイフが握られている。
「はあ……ナイフを道に捨てないで欲しいわ」
「本当にねー。面倒くさいってのに」
「
後ろからした呑気な声に抗議をする。紺の着流しの上にグレーの羽織を肩に引っかけているが、それが綺麗なままなので、一度も走っていないのだろうな、と推測した。雪駄もほとんど汚れていない。呑気なものだが、くせっ毛の奥の目は、しっかりと対象を捉えている。
筆頭は傘を閉じるように示して、対象と向かい合う。手に持った煙管から生み出される紫煙をくゆらせて、口元に笑みを浮かべている。
「ナイフを捨てて、投降してくれない?」
「はっ、誰がするかよ」
「紅ちゃん」
名前が呼ばれると同時に、銃弾が対象の手首に命中する。ゴム弾だが、当たればそれなりに痛い。対象はナイフを落とした。拾おうと動いた足元にも一発。
「いい子だ」
低く甘さのある声で紅花にそう言うと、筆頭は一気に距離を詰める。対象はナイフを諦め、力を込めた拳を繰り出す。筆頭は煙管を吸いながら、近所を散歩するように、最小限の動きで攻撃を避けている。
「くそっ」
対象が苛立ってきている。しきりに左側を気にしている。どうにか隙をついて逃げようとでも考えているのだろう。けん制として、撃ってもいいのだが、それよりも。
「筆頭。遊んでないで真面目に仕事してください」
「えー、仕方ないなあ」
くるりと身を翻して、一瞬のうちに対象の背後を取る。急に目の前から攻撃するべき相手を失った対象は、驚いて固まる。次の瞬間には、筆頭が腕を後ろに捻り上げた。軽い力で膝の裏を突くと、そのまま膝をついて崩れ落ちた。
「くそっ」
「はい、おしまい」
両腕を後ろに回させて、両手首を札で巻き付ける。対象は札に体力を吸われ、ぐったりとした。
「な、なんなんだよ。お前ら」
「
建物の隙間から、夕日が差し込み、三人を後ろから赤く染め上げた。
***
『陰陽雑記に云、器物百年を経て、化して精霊を得てより人の心を誑す。これを付喪神といへり』
――――――御伽草紙の一つ、「付喪神記」冒頭より
人の手により作られた『物』は百年この世に在り続けると、命を得て人の姿をもった付喪神となる。その姿はかつて関わりのあった人間に似ていたり、いなかったり。
人の姿で、人の世の中で、人と同じように暮らしている。
これは、彼ら付喪神の和やかな日常と、それを守るための非日常の物語。
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