第24話 和服で強調された巨乳ってエロくない?

 新緑が温気(うんき)に背をさすられて、ぐーんと成長する季節となった。

 具体的には八月の七日――鎮雷祭の日。

 私は玄関近くで、お母さんに着物の着付けをしてもらっている。

 帯がギュッと締まると、喉からギョェっと声が漏れる。

「も、もういいよお母さん。あんまりきついと水飴食べられなくなっちゃう」

「何言ってんのよ。賢治くんとのデートなんだから、空腹くらい我慢しなさい! っふん!」

 き、きついぃ。

 まだ午後の四時だ。待ち合わせは五時で、私が家に帰るのがたぶん八時とか? 現時点で空腹な私は、このまま行くと道半ばで飢えて死ぬ……。

「で、デートじゃないから……」

「賢治くんによろしく伝えておいてよね」

 発破をかけているつもりなのだろうけど、正直静観していて欲しいと思う。

「うん」

 一度だけ賢治を家に連れてきたことがあった。

 未だに告白の返事はしていないから、親友として呼んだ。お母さんにもそう紹介した。

 小学生時代のアルバムを見せ合うという、他愛のない親交だ。

 そんなリビングでくつろぐ私たちを見て、お母さんは何かを察知したらしい。

「賢治くんゆっくりしていってね。良かったら晩ご飯もあるけど、食べていく?」

 談笑する私たちに水を差すように割って入ってくる。瞳の奥が期待感で輝いている。

 賢治は苦笑いする私を見て、困ったように眉を歪めた。

「すみません、夕飯前には帰るつもりです」

「そうなの、残念ね……」

 己の期待を叶える策をまだ持っているのか、お母さんは柔らかな笑顔を湛えたまま怪しく台所に消えていった。

 それからというもの、家でやたらと賢治のことを聞いてくるようになる。

 今朝に、私が五年振りに鎮雷祭に行くと言ったら、お母さんは嬉しそうに頷いた。

 次に賢治と二人で行くと告げるや否や、血相を変えて両手を数回打ち鳴らし、「こうしてはいられないわ!」と火に油を注いだ勢いで浮き足立った。

 どこかから楠の木箱を持ってきて、取り出したのが、紺を基調とした梅の花が艶やかなこの着物。

『懐かしい……良い生地の着物だ。花柄のかんざしもよく似合っている』

 それはどうもありがとう。――レイちゃんに気持ち弱めのウインクを返す。

 気分はまるでお人形さんだよ。

 腰まである長い後ろ髪は、すべて後頭部辺りに纏めて結われた。

 爪には血色がよく見える薄ザクラ色の即席ネイルが施されている。

 化粧に至っては、誰この人ひょっとしてあなたのお知り合いですか? って鏡に向かって問いたくなるくらい別人感が凄い。

 唇がなぜかチラチラと光を反射している。これが、化粧? もはや変装の域だ。

 おっぱいも強調されている気がするし、我ながらちょっとエロくないだろうか? ないとは思うけど、痴漢に遭ったらどうしよう。知らない人にいきなり胸を揉まれるとか嫌だよ。

 ふと、山田さんの泣き顔が流星のごとく浮き上がって消える。そういやあれから会ってないけど、元気に生きているかな。

「ねえお母さん、これホントに変じゃない?」

 何が正しい姿なのかもう分からない。完全にお母さん任せだ。

 色気を犠牲に食い気に走って生きてきた付けが、ここに来て回ってきたとでもいうのか。はあ、お腹すいたなあ。

 賢治が私に気づかない可能性も無きにしも非ず……。さりとて、責めはしまい。

「綺麗よ。とっても。それじゃ、あなたは町の有名人なんだから、くれぐれも粗相のないようしなさいね」

「はい。行ってくるよ……」

「頑張りなさい」

 いったい何をどう頑張れというのか。

 分からないまま、私は玄関のドアが閉まり切るその時まで、感涙しそうなお母さんを見ていた。

 いくらなんでも、私が祭りに行くってだけで大袈裟だ。今夜には私が帰ってくるってこと、ちゃんと分かっているのかな。

『緊張しているようだね』

 私の少し前を飛ぶレイちゃんが光を滲ませる。

「緊張を強いられたんだよ、お母さんに。これで賢治に失笑われたら、絶対お母さんに愚痴を聞いてもらうから」

 レイちゃんは私の心境を探るように間を置いた。

『……鎮雷祭、久しぶりなのだろ?』

 昔に鎮雷祭で雷精に襲われたことをレイちゃんにも話してある。そのことを心配しているのかな。

「賢治もいるし、今年はレイちゃんもいる。大丈夫だよ」

『もしそうなった時は僕を頼ってくれ。スミがいきなり靴の底で雷精に喧嘩を売りつけなければ、僕が話をつける』

「レイちゃんまでその話題で私をいじめるのね……」

 しかも私は一度も靴の底で雷精に喧嘩を売ったことはない。あれは身を防ぐ盾として使ったものだ。噂に尾ヒレもいいところだ。

『ほんの冗談さ』

「冗談きついなーレイちゃんは」

 レイちゃんと出会ってから、私は学校の――町一番の有名人に祭り上げられた。

 予期していたこととは言え、放課後に校門から出る私たちを待ち構えていた報道陣には面食らった。

 レイちゃん云々の質問は望むところだ。

 隣にいる賢治が、私に代わって堂々と受け答えする姿はちょっぴり格好良かったな。

 伝えるべきを伝えて、隠すべきを隠して伝える。

 有名人になって一ヶ月が経つ頃。

 家に色んな手紙が届くようになった。

 ファンレターにラブレター、番組オファーの旨が書かれたものや、【光精飼いの会 会員参加申請状】というのが返信封筒と共に英語の文字で届いたこともある。

『良い傾向だ』

 手紙の束にレイちゃんが喜色の光を湛える。

 最近気付いたのだけど、嬉しい時はオレンジ、悲しい時はブルーに、見過ごしてしまうくらい僅かに光の色味が変わる。

 世論も私のニュースを機に、不法投棄を問題視しし始めている。

 国会がそれに応える形で動いて、ついには行政が重い腰を上げた。

 全国各地から多くのボランティアも名乗りあげて、町の一大プロジェクトとしてゴミの撤去は盛大に執り行われた。

 廃工場だけでなく、近隣の山の洞穴や、地盤が緩んで出来た窪みなどからも、土をかけられた廃棄物がわんさか見つかったらしい。

 私の想定した量の十倍が撤去された。山の主の雷精が怒るのも当然だと思う。

 新たに監視の目も付くということで、これだけ話題になった場所に、のこのこ廃棄しにやって来る愚か者はいないだろう。さすがに。

 これで一帯を統べる雷精の怒りが鎮まってくれたことを、ひた願うばかりだ。

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