第23話 まさかの血の繋がり

 まだ日の高い帰りのバスで、座席を濡らしてはいけないからと立ち乗車するのは大変だった。

 賢治がなにか気を利かそうとあたふたするのを見ているのが楽しかったから、時間は早くに流れて苦ではなかった。

 服の裾からぽたりと水滴を落としつつ、とうとう近所まで戻ってきた。

「途中で着替えても良かったのに。お前のかぁちゃん何事かと驚くぞ」

「賢治のファッションセンスに興味がないわけじゃないけど、私洋服を買うお金持ってないし」

 賢治はそれを聞いて、少し受け口の愛くるしい唇を引き締めた。

「だからそんくらい俺が出すよ」

 帰りがけに見つけたお洒落な洋服屋に連れて行かれそうになった時は、ほんとうに焦った。

 危うく暫定奢られ金額が、一日で倍増するところだ。丁重にお断りして事なきを得た。

 妙ちゃんであれば、甲斐性がどうのと言って喜んで服を買ってもらうのだろう。私はこの年になっても妙ちゃんの女子力の足元にも及ばない。不甲斐なく思う。

 それでもこれが私って奴なんだ。きっと一生変わらない。

「よく言うじゃん、水も滴るいい女って」

「たしかに……お前はいい女だよ」

 褒められたのに、嬉しさよりも恥ずかしさが先に立つ。

 いい女だなんて、自分の口から言うものじゃないと知った。

 そして賢治も恥ずかしそう口元を手で拭っている。

「でも風邪を引いたらどんな女も台無しだぞ?」

 私の心理を見越してなのか、賢治はぐさりと釘を打ち込んだ。

「もう過ぎたことだし許してよー」

「じゃ、早く帰って風呂で疲れを取ってくれ」

 家の二つ手前のいつもの十字路で、賢治が片手を翳して立ち止まる。いつもの別れの挨拶だった。

「今日はありがとうね。大変な思いもしたけど、非日常を経験できて楽しかった」

「俺もだよ。次に非日常を経験するときは、安全なアトラクション施設がいいよな。そんじゃあな」

 賢治は自称気味に笑うと、照れくさそうに踵を返した。

 その背中が見えなくなると、なんだか物寂しい気持ちになる。

 高めに飛んでいたレイちゃんが側に降りてきた。変な気を使わせてしまっていたみたいだ。

『良い人間ではないか』

 老人のようにしみじみとした言い方だった。

「え? 私が? そう思う?」

『……賢治のことだ』

 なんだ賢治の方か。そんなこと、レイちゃんに言われるまでもなく知っている。


「ただいま~。お母さんいるー?」

 全身しっとりと濡れた状態で、玄関から家の中を覗いた。

「まあおかえり。……何事? どーして濡れてるの?」

 母さんは不思議な生きものを観察するように眉をひそめた。

 後から入ってきたレイちゃんを視界に捉えると、金魚のように口をパクパクさせる。

「そ、そ、それ……光精よね?」

「うん。にはは」

 経緯は嘘を入れつつだいぶ端折って説明した。

 賢治たちと道中で話し合った結果、私とレイちゃんが会話できることは秘密だ。

 世の注目を集めるだけなら、光精をパートナーにしている事実だけで十分だから。

 無用な興味は惹かれない方が面倒が少ない、という判断だ。

「遅くなったけど、これタオル」

 リビングで母と小一時間会話したあとに、ようやくタオルを手渡された。

 なんかもう要らない感が凄い……。

「まだ夕方にもなってないけど、お風呂入ろうかな」

 私は脱衣所に向かう。

 ――足を、ふと止めた。

 お母さんに聞かれて変な目で見られないよう、ひそひそと囁く。

「レイちゃん、まさか付いて来る気なの?」

『問題かい?』

「大問題だよ! ……って、レイちゃんって男の子なの? 女の子なの?」

『僕に性別という概念は存在しない』 

 悩ましい答えが返ってきてしまった。

「あーそうだそうよ!」

「にゃ! な、なにお母さん!!」

 不意のお母さんに、思わず変な声を出してしまった。

「あんたこそどうしたの? 急に立ち止まったと思ったら、ぶつぶつ独り言言って、かと思ったら素っ頓狂な声をあげて」

「ナ、ナンデモナイヨ? ……にはは」

『スミの母親にバレるのも、時間の問題かもしれないね』

 ――お願いだから今は話しかけないで。

 レイちゃんの声は私の心の声だから、思考が混濁する。

「それよりお母さんこそどうしたの? なんだか美味しい料理のレシピを発案したような声出してたけど」

「なによその変な例え。おっかしいわね。ちょっとレイを見てたら思い出したのよ。私のずーっとご先祖様に、あなたと同じ光精を飼ってた人がいたなって」

「へーそうなんだ。じゃーこれは血筋なのかな?」

「どうでしょうね……。私も私の両親も、そのまた両親も、そういう話は聞かないから。――遺伝子は世代を跨いで受け継がれることがあるらしいから、それかも知れないわね」

 そんな適当なー、と私はわざとらしく呆れた。

 お母さんは構わず話し続ける。

「たしか近藤 康介って名前の人よ。教科書にも載ってるはずだけど……まだ載ってるのかしら?」

 近藤 康介って、レイちゃんが初めてパートナーになった人の名前と一緒じゃん! つか、あの教科書の偉人は私のご先祖様だったの!? 

 ということは、レイちゃんは私のご先祖様のお知り合いなのか。

 数奇な巡りあわせだ。私たちは出会うべくして出会ったのかもしれない。――なんてね。都合よく考えすぎだ。

「へくっち! もうダメ、お風呂入ってくる」

『僕はどうすればいい?』

「待機!」

 性別不定のレイちゃんを残して、私は脱衣所へと向かった。

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