第20話 山田さん、家に帰る

「こいつはもう解放していいんだよな? あんま気は進まねぇけど……」

 賢治はうんざりした様子で山田さんを見下しながら、レイちゃんに訊いた。

「いいんじゃないかな。――もう人に雷精をぶつけるようなことしちゃ駄目だよ?」

 レイちゃんでは返答できないから、代わりに私が答えた。

 山田さんは泣きながら「もうしません……もうしましぇんんん……」と無様に繰り返す。

 なーんか薄っぺらく聞こえてしまう。

 今は反省している素振りでも、雷精の電磁波に当てられたら、また「フヒヒ!」と笑いながら襲って来るんじゃなかろうか。

「よし、それでもいい! 私は許すよ! 山田さんのこと」

「ほんとうにいいんだな?」

 賢治は半信半疑で坊主頭を掻いた。

「賢治がダメじゃなければ……お願い」

「……よし。アース、仕方ない、解いてやってくれ」

 賢治が遣る瀬無さそうに許可を出した。

 山田さんを拘束していた泥が緩んで、地面に泥溜りとして広がっていく。

「あ、あ……ありがとぅ巨乳ちゃああぁん!」

 山田さんは解放されたばかりの体で、私に抱擁を求めてきた。

 私は反射的に距離を取る。

 ただでさえ雨で濡れている体なのに、このうえ泥にまで塗れたくない。気持ちだけ受け取っておこうと思う。

「巨乳ちゃああああぁぁぁぁーーーん!!」

「わ、わかったから! 泥を飛ばさないでよー!」

「……はい。ごめんなさい」

 山田さんは瞬時に正座してしゅんとなった。

 一時はどうしたものかと思ったけど、案外と聞き分けの良い素直な一面もあるようだ。助かった。

「私もうお家に帰らせていただいてもよろしいですか?」

 借りてきた猫のような大人しい口の利き方。

 許すと宣言した手前、これ以上拘束するつもりはないけども。

「山田さんの雷精は? 置いて行くつもりじゃないよね?」

 山田さんと雷精の仲が複雑なのは分かるけど、見捨てて行くのは違う気がする。

「あれとはいつも山の麓で合流して、仕事が済んだらここで解散しているんです」

「家に連れて帰らないの?」

「家に連れて帰るだなんてとんでもないわ!」

「や、山田さん?」

 山田さんの琴線に触れてしまったらしく、身を乗り出して、ぶつぶつと沸く泡のように不安を紡ぐ。

「私のワンLDKの城が滅茶苦茶に破壊されてしまうじゃない! アニメのフィギュア収集は子供の遊びじゃないのよ!? あのお胸のフォルム、思い出すだけでおっと涎が……。巨乳に囲まれる幸せといったら筆舌に尽くしがたいわ。…………そんなフィギュアに、指一本――いや、静電気の一欠片でも起こしてみなさい! 電子レンジに閉じ込めて、生き地獄の生体フィギュアにしてあげる! いいこと!? はあ……はあ……」

「あ、うん……はい、分かったから、山田さんちょっと落ち着こう」

「フィギュア代だって安くないのよ……」

「な、泣かないで」

 山田さん、趣味と生活費の金銭面で本当に苦労されてるんだね。

 雷精は人間社会にいるだけで問題を引き起こす恐れがある。

 電波をこじらせたり、壁を壊したり、物に火を点けたり。

 自分の敷地内だけで事態が収まればまだいいけど、隣家にまで影響が及んだらフィギュアどころの騒ぎでは済まない。

 仕事場だけの今の関係が、二人にとって最良なのかもしれない。

「雷精のことはわかったよ。――それで、明日は疲弊した光精たちを捕まえに来てくれるんだよね?」

 これに懲りて仕事を放棄されては、レイちゃんが辛い想いをしてしまう。雷精も困るだろう。そうなったら私たちにも害が及びかねない。

 こう考えていくと、山田さんのしていることは実はかなり偉いんじゃないかな……。尊敬はしないけど。

「廃業できたらいいんだけど、これが、ね」

 そう言って山田さんは、片手でお金のマークを作った。疲れきった表情だ。なんだか哀れに思えてくる。

「うん、じゃあ、もう行っていいよ。気をつけてね」

「……はい。失礼します」

 さながら保護していた小鳥を自然に返すような心境だ。

 荒波に揉まれてもめげずに頑張って生きてね、山田さん。

 ライダースーツについた泥をべたべたと落として歩きながら、途中にある虫取り網と籠を拾って、大型バイクに跨った。

 遠目からでも哀愁が漂ってくる。

 山田さんはマフラーを吹かして、手を振る私ににべも無く走り去った。

「ちょっとやりすぎちゃったのかな、私たち」

「そんなことはないだろ。一歩間違えれば、俺たちが酷い目に遭わされていたんだし」

 賢治の所感はもっともだと思う。

「これで少しは改心してくれればいいけど」

 一抹の不安が拭いきれないけど、山田さんの良心を信じる他ない。

「ん! ごほん!」

 賢治は小さく二回咳払いをした。なんともわざとらしい。

 指先で右耳を軽く触っている。

 ここからは茶化し過ぎると叱られる話題が来る。用心しよう。

「今回は予期せぬことに巻き込んぢまって悪かったな。俺のリサーチ不足だった」

「なになに? やめてよ急に真面目になるの。みんな無事だし、レイちゃんとも仲良しになれたし、結果オーライだよ!」

「ああ……。そうかも知んねぇけど、一応ケジメとして言っておきたかったんだ。――その、ちょっと二人きりで話したいんだけどいいか?」

 賢治は肩に移動していた見慣れた姿のアースちゃんを、地面に置いた。

 私としては今の状況で十分『二人きり』なのだけど……。

 アースちゃんやレイちゃんに聞かれると困るような話なんて、何かあるのかな?

「うん、わかった」

 レイちゃんにここで待つよう目で合図を送ってから、移動した賢治の後を追う。

『……なるほど。僕に数分の猶予をくれ』

「え?」

 良くわからない言葉を残して、レイちゃんは一番ゲートのシャッターを潜って消えてしまった。

「光精どうかしたのか?」

「うーん、分からないけど、大丈夫だと思う」

 賢治の問いに適当に答えてしまったけど、もしかしたら一帯を統べる雷精に事の顛末を報告しに戻ったのかもしれない。報告、連絡、相談は大事な社会スキルだ。

 レイちゃんのことより、今は賢治に集中しよう。

 もう何度失念したかすら忘れてしまったけど、ここに来た私の目的は、賢治の悩みを解消ないし軽減させることにある。

 話を聴いて力になれそうなら協力する。

 直接力になれることはなくても、役に立てることは何かしらあるはずだ。

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