第19話 大好きだったスーとの別れ

「話が一区切りついたのなら、俺にも説明してくれないか?」

 賢治視点では一人で会話して見えた私が、さぞかし変人に見えていただろう。

 それでも黙って様子を見ていてくれたのは、賢治の懐の深さ故だ。

「にはは。ごめんね賢治、置いてけぼりにしちゃってて。まだ途中だけど、とりあえずレイちゃんと話したことについて説明するよ」

「頼む」

 私は賢治に包み隠さず説明した。

 レイちゃんが私にしか受け取れない言葉で、私と会話していたこと。

 山田さんのこと。

 レイちゃんと廃工場にいた雷精が交わした約束。

 レイちゃんが私のパートナー精霊になること。

 賢治は私とレイちゃんのやり取りから断片的に状況を汲み取っていたらしく、驚きつつもすんなりと説明を聞き入れてくれた。

「それでさ賢治。……私一人じゃ不安だから、できれば賢治にも力を貸して欲しいの。お願い! この通りです!」

「この光精は二人で見つけたもんだろ? お前が有名人になる時は、俺も一緒だ」

 頭を下げて頼む私に、賢治は快く承諾してくれた。

 山田さんを拘束する泥が垂直に跳んで、落ちる。

「にはは! アースちゃんも心強い味方になってくれるみたい」

「それはそうと、そいつはどうするつもりなんだ?」

 賢治が私の後ろを指した。

 山田さん、のことではなさそうだ。

「そいつ?」

 振り返ると、目と鼻の先に一匹の水精が物憂げに浮いていた。

 五百円玉ほどの円形をしている。うっすらと茶色い。

 烏龍茶のほのかな香りが私の鼻腔をくすぐった。

「ちいちゃくなっちゃってるけど、この子ずっと私に付いて来てくれる子だ」

 いつの間に天から降りてきていたのか。

 他に協力してくれた水精は山に帰ったらしく、どこにも見当たらない。

『その水精が僕に知らに来てくれたんだ。ここいらには無い成分を纏っていたから、人が来たのだとすぐにピンときた。言葉のやり取りは出来ないけれど、怪しいものを見かけたら物知りな僕を頼るという機転は、幼いながらに敏い考えだ』

「そうなんだ。ありがとう水精ちゃん、賢いんだね!」

 私が水精に指を伸ばすと、やはり一定の間合いを取って離れてしまう。

『どうやらその子は、スミの魂に付いている水精の魂の残滓に反応しているようだね』

「レイちゃん、どういうこと? 私、水精にとり憑かれているの?」

『その認識でも間違いではないよ。今のところ、スミに悪さをする存在とは思えないけれど。その子は、そんな水精の残滓を救おうとしているように僕には見える』

 推測ではあるようだけど、レイちゃんが言うと確信めいて聞こえる。

「それでこの水精ちゃんは、私に近づいてくるのね」

 魂の残滓となった同胞を救おうと……。なんて仲間想いで優しい子なんだ。

「私に憑いている水精って、スー……なの?」

 言葉を口に出すと、心の中でなにかがかちりと噛み合った気がした。

 スーが居なくなってからも、ずっとスーを身近に感じていた。夢にも見てきた。

 朝起きてすぐにコップに注いだ水の中に気配を感じたこともある。お風呂でシャンプーしている時に、目をつぶって頭を洗っていると首筋の上を不自然に水が横切ったり。バス停で雨を凌ぎながら待っている時には、柱を伝って滴る水にスーを感じたり。

 私の妄想なのだと時間をかけて割り切ったけど、やっぱりあれらはスーの仕業だったんじゃないか?

 ――スーはずっと、私に構ってもらいたかったんじゃないか。

 そう考えると、後悔してもしきれない。せめて今からでも、スーの望むことをしてあげたい。

『魂の浄化を提案するよ』

 思った矢先に、私の心の声でなんてことを言うのだろうか。

 よりにもよって、スーを浄化するだなんて……折角スーのことを受け入れられそうなのに。

「このまま一緒に過ごしたらいけないの?」

『スミには心当たりとなる水精がいるようだね。酷なことを言うけれど、残滓に想いを向けても誰も報われない。悪霊と化す恐れもある。スミもそんな結末は望まないだろう? ――最後にスミに伝えたいメッセージがあるようだから、それを見てお別れとするのをお勧めする』

 スーが私に伝えたいこと……。

 あるのなら聞きたい。いや、聞かなくちゃいけない。

「……寂しいけど、分かったよ。でも具体的にはどうするの?」

『僕を誰だと思っているんだい? 僕に任せてくれ。丁度良い、この子の力も貸してもらおう』

 レイちゃんの淡い昼白色の光が、うっすらと茶色い水を纏う水精に寄り添った。

 水精は少しずつ形を変化させていく。

 球体から平べったい人型の形に。そこに細かな造形はない。

 水精は私の鎖骨に甘えるようにダイブすると、ぐるぐると勢いよく首を周回し始めた。

 ――スーだ。このはしゃぎ様は間違いなくスーだ!

「スーーー……。やっと会えた。スー、ずーっと会いたかったよ。ごめんねスー、今まで気づけなくって……。誰よりも私が気づいてあげなくちゃいけなかったのに……」

 泣き崩れそうになる体を、賢治が後ろから静かに支えてくれた。

 スーは私の首から離れると、空中で『良』を意味する丸い輪に変形する。変形して、砕け散る。

「スー!?」

 飛散した水滴は地面に落着する前に浮力を得て、一箇所に再結集して五百円玉ほどの丸い形を作った。

『一先ずは、これで良いだろう』

「レイちゃん、スーはどうなったの!?」

『元々スミの言うスーは、ここにはいない。僕らが再現したのはスーの記憶の断片でしかないんだ』

 ぷかぷかと浮かぶ水精からは、もうスーの気配を感じ取れない。

 きっとこれで良かったんだ。

 スーは最後に私を許してくれたんだと思う。

 平穏を愛するスーらしい気風の良さだ。

「スー、ありがとう。私、スーみたく優しい心を持てるよう頑張ろうと思う」

 この声はスーに届いていないだろう。

 それでも構わない。

 私の記憶の中にいるスーとの誓約だから。

 私の心の中には、いつだって首元を自由に闊歩するスーがいるんだ。

「スーとお別れができて良かったな。お前が苦しんできたの知ってるから、本当に良かったと思う。お前もよく頑張ったよ」

 賢治が猫背になった私の背中を、優しくさすってくれる。

「こうして過ごせているのは賢治のお陰でもあるんだよね。賢治もありがとう。にはは」

 私は涙目を誤魔化そうと精一杯の笑顔で応えた。

「お、おう」

 なのに、賢治は顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

 私の顔は直視できないほど酷い状態なのか……。軽くショックだ。

「あーそうだ賢治、水筒貸してもらってもいい?」

「構わないけど、今飲むのか?」

 賢治は突然の要求に不審がったけど、「ほいよ」とリュックから水筒を手渡してくれた。

 私は目尻を拭いて水筒のコップに烏龍茶を注いだ。

 水精の真下に差し出す。

「感謝の印だよ。力を貸してくれてありがとね」

 コップから烏龍茶の水滴が、まばらに吸い上げられていく。何度見てもUFOが牛を誘拐するそれだ。

「気に入ってくれたみたいで良かったよ。にはは」

 満足いくまで吸い上げたみたい。

 水精はコップに吸いかけの烏龍茶を残して、山の方へと何事もなく行ってしまった。

 同胞の気配がしなくなった私には、もう興味がないらしい。

 ……山の水精たちが私の拙い雨乞いに応じてくれたのは、スーの魂のお陰だったのかもしれない。

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