第17話 光精霊の悲しき習性

 賢治に大した怪我はなく、感電したのが嘘のように立ち上がった。

 私も大きな怪我はない。ちょっと擦りむいたくらいだ。

 それを訊いた賢治はわかりやすくホッと胸をなで下ろした。

 次第に雨は止んで、すっきりとした晴天が、山一つ分だけぽっかりと頭上で広がっている。

 時計を見なくても降り注ぐ光の角度で、だいたいの時刻が分かる。十二時だ。

「にしてもこいつ、雷精がいなくなった途端に性格が変わったな。みっともないの大人代表かよ」

 情緒不安定、賢治はそう指摘したいのだろう。

 私の目からみても、女性の精神はブレッブレだ。

 先程までフヒヒと笑いながら襲ってきた相手と同一人物とは思えないくらい、ヘタっている。

「ゴホ! おねがあぁい、く、苦しいの。息が、詰まりそうなのよ。ゴッホゴホ! もうちょっとでいいから泥を軽くしてよぉ。このままじゃ私、死んじゃうよぉ!」

 女性はまだ水を含んで重くなっている泥に、首から下を完全に飲まれている。

 重くて苦しいというのは、きっと偽りじゃない。様を見ろ、と内心で思うけれども。

「ねえ賢治――」

「ああ、わかってる。アース、動けない程度に軽くしてやれ」

「ありがどぅございますぅー。一生恩に着ますぅー。…………あれ、あれれアースちゃん? 全然軽くならないんだけどもー、まだなのかしらね? ゴホ!」

 アースちゃんなりの意趣返しなのだろう。

 実際に泥が動いて女性が息を吹き返すまで、必要以上に時間がかかっていたように思う。

「警察に電話したほうがいいよね?」

「だな」

 私の提案に賢治が即答した。

 確認のために聞いたけど、まあ悩む理由のない問いかけだった。

 雨で濡れた携帯端末を取り出す。ちゃんと動作する。防滴仕様で助かった。

 すぐに三桁の番号を押す。あとは『通話』ボタンを押せば繋がるはずだ。

『通報は待ってもらえないだろうか』

「え!? 誰!?」

 私ではない誰かが、私の声で私に語りかけている。

 ……私、疲労のあまり頭が変になったのかな。賢い方ではないけれど、ここまでポンコツだったとは悲しい驚きだ。

「どうした? 知らない奴から変なメールでも送られてきたのか?」

 賢治の適当な推測は、当たらずとも遠からずだった。

「声がした」

「声?」

 賢治は眉をひそめて周辺を見渡す。

 当然だけど、私と賢治と変態女しかいない。アースちゃんもいるけど、この声の正体がアースちゃんだとは思えない。

 やっぱり私の頭がおかしく――

『今そちらに行くよ』

 なってなかった。やっぱり私以外の何かがいるんだ。

「良くわからないけど、こっちに来るって言ってる」

「来るって、誰が?」

 そんなこと私に聞かれたって分かるはずがない。

「あっ」

 私は声を漏らした。

 一番シャッターの陰から、一匹の光精が私たちの方へ飛んできた。

「光精? お前はもしかして、雷精をなだめてくれたのと同じやつか?」

 賢治も光精に気づいて驚きの声を出した。

 たしか賢治は廃工場内で雷精から逃げる際に、光精が現れたと言っていたっけ。

『僕と波長の合う人間は君で二人目だ。レイと呼んでくれ。かつてのパートナー、近藤 康介に僕はそう呼ばれていた』

 近藤 康介? 最近どこかで聞いた名だ。どこだったか。…………思い出した!!

「ああ! 百二十年前! 昨日の授業で私を窮地に追いやったギャグマンガに出てきそうな大人に成りきれなかった変態オヤジ!!」

 まあ私が彼を魔改造したのがことの発端なのだけど。とにかく、彼とは一方的な因縁がある。

「どうした急に?」

 賢治が驚きを通り越して心配するような目で見ている。

 光精の声は、やっぱり賢治には聞こえていないんだ。

『百二十年前……そう言えばそれくらい昔になるね』

 それがどうかしたのかと言わんばかりに、光精は私の反応を待っている。

「にはは……。よ、よろしく? で、いいのかな……。私のことは良かったらスミって呼んで。そんで、こっちは賢治。それと賢治のアースちゃん」

 状況が飲み込めてなくて何を話せばいいのか分からないけど、名乗られたら名乗り返すのが礼儀だ。

 テストで高得点を取れなくても、学校での教育って大事だなと身に染みて思う。

『僕の方こそよろしく頼む。ちなみに、そこで鼻を垂らしているのは山田 友子という名だ。君らにとっては悪人だが、僕らの営みに寄与してくれていた。どうか勘弁してやって欲しい』

 いかにも知能の高そうな光精が、あろうことか彼女を庇うだなんて。意外だ。

「んーーー?」

 賢治が訝しむような目で私を見てくる。

 私は愛想笑いでそれを返して、ジェスチャーで待ってくれと伝えた。

 賢治には悪いけど後で説明するとして――話を続ける。

「どういうことなの?」

『順を追って説明するよ。先ず僕ら光精が、死骸や長らく使われていた物に残った念を、浄化する性質があるのは知っているかな?』

「あー、その話も授業でした気がする。……たしか、光精が死骸の近くに現れるのは、魂を浄化するためじゃなくて、死骸の腐敗を早めて土地の負担を減らすため、とかだったかな」

『そうか……。あの頃は僕もまだ人間の言葉に疎かった。情報が上手く伝えられてなかったようだね。正確には、その両方の意味がある』

「つまり、どういうこと?」

『この施設の奥に人が使っていた家具が大量に捨てられているのを、君は――スミは知っているだろうか?』

「うん。酷い光景だった」

『そこから発生した雑多な念を、僕らは毎日浄化している。これは僕ら光精の本懐と言っていい。どうしようもなく引き寄せられてしまうんだ。それで浄化し切れれば問題はなかったのだけどね。念は念を呼んで深く絡みあい、中々上手くいかない。僕らは疲弊し続けた。特に、休息を知らない幼い光精は悲惨なものさ』

 光精が他の精霊と比べて存在が珍しいのは、生き残る条件が他精霊よりも厳しいからなのかも知れない。

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