第16話 勝負有り!
私の足元で、アースちゃんの体が水分を含んで形を失っていく。
もはや見る影もない。
私は痛む心をぐっと堪えて、女性になけなしの笑みを浮かべた。
「私の胸、そんなに揉みたいの?」
「え!? 揉んでもいいの? やっとその気になってくれたのね!? フ、フヒヒ、フヒヒヒヒヒヒ! だだ、大丈夫、痛くしないわ。――ゴクリ」
不愉快極まりない女性の興奮した吐息が、私の顔にかかる距離まで近づいた。
「じゃ、じゃー、お胸を拝借」
女性が合唱した後に伸ばした手首を、私は掴む。――正確には手袋を介して、掴む。おそらくこれも耐電圧仕様なのだろう。
女性はワケがわからないといった風で、化粧で書かれた柳眉を歪ませる。
「どういうつもりかしら?」
「揉んでいいとは言ってないよ」
「……感電させてから無理やり揉んでもいいのよ? 雨で放電してるみたいだけど、それくらいの力なら残ってる。なんなら電池でまた回復することもできる。さぁ、この手を放してちょうだい」
「そんなに放して欲しいなら、放してあげる!」
私は力いっぱいに、大袈裟に、女性の手を払いのける。
その一瞬の隙を突くように、足元に広がる泥が雷精に向かって跳ね上がった。
ビチャ! と雷膜の約半分が泥で覆われる。
分厚くこびり付いて、少し放電された程度では剥がれない。
泥の重みで制御を失い、酔っ払ったように中空を彷徨う。
バリバリバリ! と、雷精は不意の攻撃に混乱したように電流を迸らせる。
電気を使えば使うほど、みるみる内に雷膜を縮こまらせていった。
「ちょっとちょっと! 私の仕事道具が! 土精の核は破壊したはずなのに、どうして泥が独りでに跳ぶのよ!」
分かりやすく狼狽する女性に、私はニヤリと笑う。
たしかに核のある部分は破壊された。
だからといって、核が破壊されたとは限らない。
「……まさか巨乳ちゃん、土精の核を前もって移動させたの?」
「言ったはずだよ、アースちゃんが死ぬはずないって! 核ばっかり狙うんだもん、イヤでもそれで閃いたよ」
核を常に土で覆い隠している土精だからこそできる芸当、死んだフリ。
ただ核の位置を、足の裏に移動させるよう伝えただけだ。
運が良ければ、私と賢治がやられてもアースちゃんだけはこれでやり過ごせると思って、地団駄を踏んだ後くらいにこっそり耳打ちしておいた。
そっからの土弾ならぬ騙し討ち泥弾は、私の指示ではなくて、アースちゃんのアドリブ。
互いの咄嗟の機転が噛み合った、私とアースちゃんの見事なコンビネーション。素晴らしい!
雷精が泥と雨に悪戦苦闘している内に、私は女性の体に食ってかかった。
ここで押し負ければ、電池で回復する雷精が私たちを待っている。そうなれば元の木阿弥だ。
最低でも雷精を完全に無力化するまでは、何としてでも彼女を押さえ込まなきゃいけない。
「なーにこの程度! 蹴りの友ちゃんの異名で恐れられた私にかかれば――ふわっ!?」
女性は大きくぐらついた。
賢治だ! 匍匐状態の賢治が、執念で女性の足首に手を掛けている。
「ここを見過ごしたら男が廃るってもんだぜ」
「なによあんた、大人しく向こうで寝ていなさいよ! 這ってここまで来たっていうの? 雨と放電の音で気付けなかったわ。ああもう! …………こいつらをまとめて感電させろ!」
女性の怒号は豪雨に遮られた。
少なくとも、雷精には届いていない。だってついさっき、雨を嫌ってどこかへ飛んで行ってしまったからね。懸命な判断だと思う。
「って居ない!? この、薄情ものおおぉぉぉ! ぅわっ!」
「隙有り!」
私は体育授業で形だけ習った足払いを放った。
女性はとうとうバランスを崩して、地面に両の手のひらを付けて倒れた。
私は逃すまいと即座に背中に腰を落として、女性の動きに上から制限をかける。
「放して放して放しなさい! すぐにそのおっきなお尻をどけないと、大変なことになるわよ!? …………私が! だから離れなさいよー! んごおおぉぉ!!」
「お前がかよ! アース頼む……このうるさいのを拘束してくれ。ちっ、暴れるな!」
女性が自力で逃亡する前にと、賢治が指示を出した。
ドロドロになったアースちゃんは絞った雑巾のように一部の水を吹き出させ、カメの速さで女性の体を下から徐々に飲み込んでいく。
「きょえぇぇえ!! やめてやめなさいよ、なによこれ!! あれ? ……ちょっと気持良い。――じゃなくって! ああぁあぁぁ! 特注のライダースーツがあ! いくらしたと思ってんのよ! 弁償しなさい、すんごく高いのよ? ガキの小遣いじゃ買えないくらい高いんだから! ねちょっともう嫌だあぁ。ねーお願いだからあぁ、もうしないがらぁ、わたしを許してちょうだぁい。うわぁぁあああん」
最初から聞くに堪えない嘆きで、最後の方はほとんど泣いていた。
ひとまず、女性の拘束には成功した。
つ……疲れた。これでようやく一息つけるかな。
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