第15話 アースちゃん……死す!?

 アースちゃんが感情のままにどしんどしんと地団駄を踏む。

「落ち着いて、取り乱したら駄目だよ。賢治ならきっと……大丈夫だよ……」

 根拠のない慰めに、けれど、アースちゃんはなおも足を踏み鳴らす。

 怒っているのだ。当然だ。

 私だって怒りで頭がどうにかなってしまいそうだ。

「これで晴れて二対二になったわ。専守防衛の土精と何もできない巨乳ちゃんじゃ、敵戦力として物足りないけど……これも私の大事なお仕事のためなのよ」

 挑発的な態度で、だから諦めて受け入れろ、とでも言いたいのだろうか。ふざけている。

 アースちゃんの身に何かあれば、賢治が辛い想いをする。それは嫌だな。

 私は今でもたまにスーの夢を見る。朝起こしてくれるスー。学校で一緒に授業を受けるスー。お昼時間に友達との会話にはしゃぐスー。お風呂で手伝ってくれようとするスー。枕元のカップで眠るスー。

 風邪の時。悲しい時。嬉しい時。誕生日。入学式に卒業式。果ては七五三。全部全部スーが一緒だった。

 幻から覚めて、これから先の人生にスーは居ないんだって思うと、無性に虚しくなる。

 こんな残念な想い、賢治にさせたくない。

 賢治のためだけじゃない。アースちゃんは必ず守る!

 考えるんだ……私! 賢治と一緒に咄嗟に氷を投げつけてやったことを思い出せ。靴底のゴムでも何でも利用しろ。打開策は必ずあるはずなんだ。

 せめて、アースちゃんだけでもなんとかして守れないだろうか――。

「あぁ、どうして諦めの悪い人間をみているとゾクゾクしてくるのかしら。ずっと巨乳ちゃんの苦悶の表情を見ていたいわ。でも、そろそろ仕事を片付けないといけないの」

「アースちゃんをどうするつもりなの?」

 私はアースちゃんに苦肉の策を伝授して、相手に気取られないようにそっと離れた。

 アースちゃんは私に近い足を小さく持ち上げて下ろす。

 『YES』のサインだ。

「私に渾名す精霊には消えてもらおうかしら。そしてあなた達には私の脅しに屈してもらう。なーに、仕事の邪魔をしないでくれればそれで許してあげるわ。あとそうね、満足するまで胸を揉みしだくくらいかしら」

 相変わらず言動が気持ち悪い……。

「――いま、あなた達、って?」

 ゲホッゲホッ! と地面に横たわっている賢治が大きく咳き込んだ。良かった、生きてる!

「人殺しになるつもりはないわよ? 懲役行きなんて死んでも嫌だもの」

 精霊を殺しても罪になる。ただ、殺精は殺人と違って刑が軽い。この差が、私達とアースちゃんとの待遇を隔てているのだろう。

 刑が軽い方は殺しても構わない、とは酷い差別意識だ。彼女はどこまで利己的な人間なのだろうか。使われている雷精に同情したくなる。

 ふと、視界の端から何かが飛んで来た。

 手を伸ばせば届く距離。

 水精? まだ幼い。纏う水を御しきれてなくて、RPGに出てくるスライムのような外見をしている。

「あらあらまあ。それが巨乳ちゃんの奥の手なのかしら? 随分と可愛らしい切り札なのね」

 女性の嘲りを無視して、水精に指を伸ばす。

 まるで同極の磁石を近づけた時のように、水精は後退して間合いを取った。

 人に慣れていないのだろう。でも、なんで私のところに来たのかな。

 ほんのりと烏龍茶の香りがする。

 この子、道中で見かけた水精だ。後を追ってきていたの? それで私が追い詰められた顔をしていたから、危険を承知で慰めに来てくれたのかな。

 雷精との悪縁に呪われていると思っているけど、同時に、水精との良縁に祝福されているのかも、と思う。

 禍福は糾える縄の如しというが、その巡り合わせの早さに可笑しさを覚える。

「ありがとう水精ちゃん。にはは。お陰で少し元気出たよ」

 気持ちがリフレッシュした効果なのか分からないけど、私は成功する確率が微塵もない奇策を思いついた。

 ダメ元だ、試すだけ試してみてもバチは当たらないだろう。

 天を仰ぎうっすらと行き渡る雲に祈りを込める。もしも精霊の神がいるのなら、水精の神に願いよ届けと。

 そして、私は改めて余裕綽々としている女性をキッと睨みつけた。

「私だって無抵抗でやられるつもりはないよ! 水精を誰よりも愛するこの想いを思い知らせてあげる!」

「急に粋がっちゃってどうしたの? そういうのを敗北フラグって言うのよ。…………トドメを刺せ」

 雷精はアースちゃんの核のある部分を執拗に、容赦なく、絶え間なく攻撃し始めた。

 すぐに亀裂が生じる。

「フヒヒヒ。もう耐える力も残ってないじゃない! 可哀想、可哀想に。その大きな体は、結局なんの役にも立たないお飾りだったわね」

「アースちゃん……ごめんね、辛いよね。でもお願い、もう少しだけ耐えて……。コヒーグレスーフレー! コヒーグレスーフレー!」

 私は天に向かって手を合わせながら、大声で呪文を唱えた。

 朧げながらに記憶に残っている雨乞いと雷乞いの祝詞――コヒーグレスーフレー。

 もし雨を降らすことができれば、水滴が触れる度に放電する雷精にとって不利な環境を作り出せる。豪雨にでもなればなお良しだ。

「フヒヒヒヒ! 気でも違ったのかしら!?」

「笑いたければ笑えばいいよ! コヒーグレスーフレー!!」

 私は専心して呪文を唱えた。――けれど、目の前の水精はピクリとも反応しない。

 やっぱり無理だったのか。

 即席のにわか仕立てで、うまくいく方がどうかしているんだ……。

『それは雷乞いの呪文だ。雨乞いをするのであれば、コヒーグレスーライクだ』

 心の中で声がした。

 自分の声だけど、自分のものではない。上手いこと形容できない不思議な感覚だ。

「コヒーグレスーライク?」

 反芻するように新たな呪文をつぶやくと、浜辺ではしゃぐ子供のように水精が忙しなく辺りを飛び回りだした。 

『それでいい。コヒーグレスーライクだ』

 再び天に向かって、力強く呪文を唱える。

「コヒーグレスーライク……コヒーグレスーライク!」

 水精が上昇気流に乗ったかのようにぐんぐんと昇っていく。

 施設外にある木々からも一匹の水精が雲に向かっていった。右からも二匹、後ろからも一匹。

 合計で五匹の野生の水精が、私の祝詞に応えてくれた。

 こんなことってあるだろうか。奇跡としか言いようがない。

「野生の水精を数体操ったからなんだっていうのかしら? しゃらくさいことしてないで、いい加減諦めなさい!」

「友達を見捨てて諦めるなんてしないよ!」

 感情の赴くままに歯ぎしりをする女性に、負けず劣らないように、私は人生で初めて人に明確な敵意を向けた。

「往生際が悪いのよ。…………これで終わらせろ」

 女性はこれでもかとばかりに掴んだ電池を、雷精に投げ込んだ。

 雷精は薪をくべられた蒸気機関車の如く力を漲らせ、雷膜に収まりきっていないエネルギーをアースちゃんの核のある部分で盛大に発散させた。

 バアァァァン!!

 特大の打ち上げ花火が爆発したような、めまいを引き起こす音がして、アースちゃんの核のある部分が粉々に砕け散った。

 アースちゃんの一部が私の頬を掠める。――泥だ。本来であれば、中で核を衝撃から守っていたであろう部分。

「そ、そんな……アースちゃんが……」

「フヒヒヒヒ! これでもう十分でしょ? 観念して私に胸を揉まれなさいな」

「違うよ……そんなはずがない……。だって、アースちゃんが死ぬなんてこと、あっていいはずがない……」

 私の言葉に背くように、接合部を失った二つのアーチ状の脚が地に倒れる。その拍子に砕けて割れた。割れて、もう動かない。

 しとしと、と乞い願っていた雨が降る。私たちの周りだけ。えらく限定的に降る。

 間もなく。シャワーの水圧を限界にまでしたような篠突く雨へと豹変した。

 スーを失くした日に引き摺った後悔を、責め立てられているような気がしてくる。

「あらあらご愁傷ですこと。せめてもっと早くに降っていれば、勝ち目があったかもしれないのに。可哀想に。フヒヒ。私がこの手で慰めてあげる」

 女性がわなわなと指を動かして近づいてくる。

 激しい雨にバチバチと不快な音を散らす雷精も一緒だ。

 だけど、私は動けないでいた。

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