第12話 三度目の雷精霊……
いつの間にか山頂から垂れ込んできた平べったい雲が、地面にささやかな陰りを満遍なく作っていた。
「電話電話!」
息つく間も惜しんで、携帯端末をポケットから取り出す。
「あら? こんなところに巨乳の美女がいるだなんて珍しい。天が送り込んだ私へのご褒美かしら?」
喉元を撫でてきそうな抑揚のある声。
「え?」
つなぎ状の黒いライダースーツを着た女性が、こっちに歩いてきていた。
奥の駐車場スペースに見慣れない大型バイクが停まっているけど、あれはこの女性が乗ってきたのだろう。
手には厚めの手袋。頭にはシステムヘルメットを被っている。
フェイスシールドは光を反射するミラー仕様だけど、顎の部分から頭上に持ちあげられていて、女性の顔が見えた。
二十歳くらいだろうか。私と同じくらい長い茶髪を、ヘルメットの隙間から垂らして優雅に揺らしている。ライダースーツ越しにもわかる胸を含めてすらっとした体型。
青いアイシャドーに赤い口紅。顔は整っていて綺麗なのに、まるで悪役レスラーであるかのように化粧が濃い。美人だけど残念な感じになっている。
そして、手には何なぜか特殊な虫取り編みと大きな虫籠。
「あの、友人が今あの中で雷精におそわ、れ……て…………」
女性の背後から音もなく拳ほどの雷精が現れて、私は言葉を飲み込んだ。
つくづく私の人生は雷精と縁があるようだ。
縁は縁でも悪縁だ。この状況でまた出会うだなんて。もはや呪われていると言っていい。
「あー、怖がらせちゃったかしら? これなら大丈夫よー、私の指示なしにあなたを襲ったりしないから。それより突然で悪いんだけど、胸を揉ませてもらえないかしら? 最近なーんか物足りないなと思っていたけど、胸を揉む感覚が足りていなかったのね。あなたの巨乳を見て確信したわ」
指示なしには襲わない、逆を言えば、一言あれば私を襲わせることもできるとも受け取れる。
私は片手で胸を守るようにしながら距離を取った。
その怪しい言動や容姿から、助けを求めていい相手かどうか疑わしい。
「あーらら、警戒されちゃった?」
そう言う女性に反省の色はない。
「胸の件は保留にするとして。本当にこんな辺鄙なところでなーにやってたの? 肝試しするような時間でもなしに。暇を持て余すのは若人の特権だけど、こんな所で時間を潰すなんてよっぽど詰まらない趣味しか持ち合わせていないのね」
どうして初対面の私に、眉を歪めて哀れむようなことを言ってくるのか。
――って、こうしてはいられないんだ。賢治のために助けを呼ばなくちゃ!
女性を無視して携帯端末を操作する。百十番。
『通話』を押して掛かるのを待った。
「ちょっとちょっと! まさか通報しようってんじゃないでしょうね!? まだ胸触ってないわよ? 幾らなんでも理不尽じゃない!?」
肩を怒らせて近づこうとする女性から、再び距離を取る。
「違います! あなたのことを通報するんじゃないですからっ」
女性は鼻白んだ。
「ふーん……」
到底納得したとは思えない不満な声を漏らしているけど、私には関係ない。
――まだ? どうして繋がらないの? 山の中だから電波が弱いのかな。
「あなたの事情は知らないけど、こっちにも懐事情ってのがあってね。悪いけど通報はさせないわ」
「させないって、どういうこと?」
「こーいうこと」
雷精が雷膜の内側で、線香花火のような音を立てて光を散らしている。
「私のこれはね、電磁波が得意なの。いわゆる妨害電波ってやつ? 周囲の通信を阻害するのはもちろん、電子機器の機能を一時的に麻痺させることができるの」
「そんなことって……」
半信半疑で携帯端末の液晶を覗く。
通話待機中だったはずの画面が、文字の判別が利かないほど歪曲している。悪戯にしてはやり過ぎだ。
「ね? だから悪いけど、通報は諦めてちょうだい」
「どうしてこんな意地悪をするんですか? 中で親友が大変な目に遭っているんです! 邪魔をしないで!」
「わー怒った。怖い怖い。さっきも言ったけど、私にも懐事情ってのがあるのよ。通報されてみなさいな、私の大切な仕事場が、仕事場じゃなくなっちゃうじゃない。そしたらあなた、代わりに私を養うことが出来るの? とりあえず即刻キャッシュで五十万渡すことができる? できないでしょー」
なんて我侭で身勝手な人なんだ……。友達にしたくないタイプだ。ん? 今、大切な仕事場って言った? ここが……?
現状の廃工場でお金を稼ぐ方法なんて、手段が限られる。
本来であれば処理費を支払って破棄すべき家具家電の、不法投棄。出費を減らすことで利益とする忌むべき行為だ。
ここにいたら不味い!
とっさの判断で、私は雷精から逃げるように踵を返して駆けた。
妨害電波には射程範囲があるはず。そこから脱すれば助けを呼べる。
木々の奥へと逃げ込めれば、妨害電波の影響も減らせるはずだ。
電波は障害物に弱いって、科学の授業で習った知識を今こそ活用する時。
「追いかけろ」
女性の黒い声を背中で感じた。
八歩目で雷精に私の進行方向を塞がれる。
やはり人間と雷精とでは機動力に雲泥の差がある。
……とてもじゃないけど振り切れない。
「追いかけっこはもう終わり? あ、この台詞言ってみたかったのよね。ふひひ、言う機会をくれてありがとう」
「どう致しましてだよ」
感謝されたのにちっとも嬉しくないや。
二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなって、雷精を睨みながら打開策を頭の片隅で練る。
その時だった。
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