第7話 頑張る水精霊に振りかぶって投げました

「――――」

「なに?」

 言葉にならない感情が流れ込んでくる。

 怒り、憎しみ、妬み。

 どういうわけだかこの雷精は、人を傷付ける意図を持って暴れている。 

「なんで……」

 自然と涙が溢れてくる。

 今どんな感情を抱いているのか自分自身わからない。色んな感情が目まぐるしく心の中を巡っているようで。

 ただはっきりしていることは、私はこのまま妙ちゃんを見捨てるつもりはないってこと。

 雷精は私に反応している。

 なら!

 妙ちゃんから遠ざかるように右へ旋回してからダッシュする。

 逃げるためではない、引き付けるためだ。

「こんなのズルっ子だあぁ!」

 二歩目で先回りされてしまった。反則だ。機動力に差がありすぎる。

 だけど、私に反応しているという読みは間違っていなかった。

 もし私に何かあっても、妙ちゃんと賢治は狙われない。そんな気がする。単なる願望かも知れない。死んでしまったら、それすら確かめる術はない。

 目の前で雷精がボルテージを上げていく。

 眩しくて目も開けていられない。どうやら、私の人生はここまでみたい。

 怖いし、悲しいし、辛い。どうにもならない。

 ちゃぽん、と水の打つ音。

 瞼の裏の光が揺らめく。雷精のほとばしる電撃音が、急に何かの壁越しに聞こえるようになった。

「ど、どうなったの?」

 恐る恐る目を開けて確かめる。

 一匹の水精が私と雷精との間に割って入り、高さ二メートルはあろう水の壁を形成していた。厚さは足首が浸かれるくらいある。

 四角い壁だと思ったけど、よく見ると平べったい人の形を模している。頭の形があり、胴体の形があり、両腕の形があり、両脚の形がある。それ以外の細かな造形らしい造形はない。

「スー……じゃないよね」

 棒人間のスーに似ているなと思ったけど、スーはこれほど沢山の水を操れない。別個体の水精だ。

 水壁の中心で水精の核と思しき粒が、命を削っているかのような力強い青色の輝きを放っている。水精のこんな輝き見たことない。相当力のある水精みたい。

 雷精が右へずれると、ほぼ同時に水壁も右へずれる。左へ右へ、右へ左へ。鮮やかなマーキングブロック。

 とうとう雷精が痺れを切らした。

 鞭のようにしなり刃物のように鋭利な稲妻が、水壁の頭を弾き飛ばし、片腕を切り落とす。その度に衝撃で水壁がぶるんぶるんとたわむ。

「うぅ!」

 水の破裂音と痛々しいその光景に、見ている私の身まで竦む。

 水精は落とされた水を即座に再吸収する――水精系統の伝家の宝刀『覆水盆に返す』だ。

 切断ではダメージが薄いと悟ったのか、雷精がゆっくりと水壁に接触していく。

 水面に焼け石をつけたみたいにジュュューーーという水蒸気を立てながら、水壁が勢いよく発散させられていく。

「が、頑張って、負けないで水精!」

 私は咄嗟に叫んだ。

 ここで抜かれたら、雷精が私の空きっ腹にシュートを決めるのは自明だ。

「――――!」

 水精は応えるように、蒸発した分を地面などに残っていた水分を奪い取って補っていく。

 鼬ごっこのように思えたが、身近から吸収する水分を使い切った水壁が、どんどん小さくなっていく。

 いや、よく見ると雷精の体も一回り小さくなっている。内部の電力を消費して弱まっているんだ。

 遠かったパトカーのサイレンが近い。

 せめてもう少し時間が稼げれば、この難局を乗り切れるかもしれない。

「こっちだ! 動けるのなら手を貸してくれ!」

 賢治が人一人入れそうな箱式のクーラーボックスに、片手を突っ込んだ状態で私を呼んだ。

 まさか棺桶として使うつもり? ちょっと気が早くない? 感電死は嫌だけど、凍死も同じくらい御免被る。せめて最期は土の中で眠りたい。

「この中に氷があるんだけど、今の俺だけじゃ持ち上げられないんだ。手伝ってくれ!」

 氷……。かき氷店の商売道具だろうか。

「今行く!」

 すぐに賢治の元に駆けつけて、円柱状に整った氷塊を一緒に持ち上げる。冷たっ、なんて言っていられない。

 高い位置に持ち上げて、「いっせいのーせ」の掛け声で落として砕く。

 私は氷の一つを掴んで、全体的に厚みの減った水壁目掛けて振りかぶって全力投球する。

「水精ちゃん、受け取って!」

 ジャボン! っと奏でる水を貫き、投げた氷が雷精にも直撃した。

 やった! 人生希に見る絶好球だ。体育の授業で、フォアボールを連続一五球の記録を打ち立てた私は、もはや過去の存在だ。

 与えたダメージは微々たるものだった。一瞬ひるんだだけで雷精は動じていない。

 それでもいい。

 雷膜に弾き返されて粉々になった氷の欠片を、水精が自身の体に取り込んでいく。

 私と賢治は次から次へと雷精を標的に投げまくった。

 砕けた氷がなくなれば、すぐにクーラーボックスから補充した。

 そうこうしている内に、裏手から警察がわらわらと集まってきた。

 警官と一緒に来た火精に水精に土精が、雷精に対して三者三様の臨戦態勢をとる。

「助かった?」

「……のか?」

 賢治と見合わせて、一度大きく膨らませた胸をなで下ろした。

 雷精の雷膜もだいぶ小さくなっているし、これならなんとか――。

「わっ!?」

「まぶしっ」

 突如、閃光が一面を白く染め上げた。

 あろうことか、上空の雷雲と雷精の体が稲妻の糸で繋がっている。

 バリバリと音を立てながら、雷精はみるみる雷膜を膨らませていく。最初見たときより遥かに大きい……。

 コンセントから電気を吸収する雷精は聞いたことがあるけど、雷雲から電気を吸収するのは反則だ。雷雲を漂っているのなら許せるけど、ここは人間の楽園、地上だよ。

 ルールも情けも無用な雷精ほど、恐ろしいものはないと知る。

「化け物かよ」

 賢治が半眼した垂れ目を引きつらせた。

 賢治だけじゃない、私も駆けつけた警察官も、その強大な力を前に対処の仕方に漠然と困り果てていた。

「許サナイ」

「え? 妙ちゃん?」

 ずっと笑顔で黙っていた妙ちゃんが、頭を振って口元を引き攣らせている。歯を剥いて、いやな汁をいっぱいに含んだ海面のような般若の形相だ。

「許さない許さない!! フフフ。みんな壊れちゃえばいいんだよー!」

「どうしちゃったの妙ちゃ……!?」

 妙ちゃんの頭上で雷精が大きく左右に揺れた。

 ――私を攻撃しに来る。直感がそう告げる。

 私は履いていたスニーカーを急いで脱いで、決死の防御に備えた。

「早く逃げなさい!」

 数人の警察官が動かないでいる私たちの元へ走りだした。

 それとほぼ同時に、力を得た雷精が動き出す。

 雷精は煩っていた水壁をいとも容易く通り抜けた。

 水壁は糸の切れた人形のように崩れて、水溜りと化した。その水溜まりは、もう動かない。

 せめて賢治を巻き込まないようにと私は移動した。追尾するように雷精が軌道を修正する。

 ――接触の時だ。

 私は無心で両手を突っ放した。手にはめたスニーカーからゴムの焼ける匂いがする。

 ゴムは電気を通さない、と習ったけど、電気を通さなくても摩擦熱と衝撃で破壊されることがある、とまでは教えてもらってない! 先生の職務怠慢だ!

「きゃぅ!」

 それでも黒焦げにならず、吹っ飛ばされただけで済んだ奇跡には感謝しておく。

 背中から屋台にぶつかって止まっていた。

 脊髄反射で酸素を求めて背筋が伸びる。

「くぅぅ……」

 万策尽きた。

 スニーカーも見るも無残な姿になっている。右手のスニーカーに関しては、靴底が欠けて穴ができている。

 もう痛いのかどうかすらも分からない、体がまともに動かせない。足は痺れ、正しく呼吸ができているのかも定かではない。

「少年を確保!」

「こっちも少女を一人確保!」

 警察官の緊迫した声が飛び交った。

 一度近づいた警察官の足音が慌ただしく遠ざかっていく。良かった、二人は無事だ。

「――――!?」

 雷精が狂ったように身体を無作為に動かし始めた。

 私を見失っている? いや、自分を見失っているというべきか。

 地面を抉り、近くの屋台を貫通して建物の壁を削り取る。しまいには電柱の一本をなぎ倒して、雷精は暗雲の彼方へと行方をくらませた。――戻ってくる気配はない。

 予想外の顛末に、けれど言葉も出ない。

 本当の決着が先延ばしにされただけのような、根本的な問題が解決されずじまいであるような。雷精から流れ込んできた様々な感情を思い返すと、そんな気がしてならなかった。

 全てを洗い流すかのような激しい雨が降る。

「遅いよ」

 私はたまらず虚空に向かってそうぼやいた。

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