第5話 雪解け富士に溶ける恋

「園田さん久しぶりだね。その着物も似合ってると思うよ」

「うそー、嬉しい! 妙って呼んでいいよー。一人なのー? 良かったら私たちと一緒にお祭りまわろー」

 話が勝手に進んでいく。

 妙ちゃんがそうしたいなら、私は構わない。

 こうしている間に私は、目と鼻で甘くて美味しい物を売っている出店を探しておく。

「さっきまで友達といたんだけど……雨宿り先を間違えて孤立したみたい。あーでも、携帯あるから問題はないよ。それで、そっちの子と強めにぶつかっちゃったんだけど、大丈夫かな」

「私?」

 少年が心底心配した顔で私をみてくる。

 さっきの妙ちゃんに遮られた謝罪で済んだ話だと思っていたけど、少年の心はまだ晴れていないらしい。

 非はこちら側にあったから、彼が許してくれればそれで良さそうな気もするけど。

 私に怪我はない。肩に乗っているスーも問題なさそうだ。

「にはは。私なら大丈夫、気にしないで」

「なら良かった。そうだ、ちょっと待ってて、お詫びに奢るよ」

 予想外の展開に「え!?」という文字が顔にまんま反映されたであろう私に背を向けて、少年は出店の人と交渉を始めていた。

「狩野 賢治くんって言って、私たちと同い年だよー。学校は違うけど、近くに住んでるんだー。中学に上がったら、スミちゃんも同じクラスになるかもしれないし、今のうちに仲良くしといた方がいいよー」

 妙ちゃんが隙を見て頼んでもいない情報を耳打ちで教えてくれた。このお話癖は彼女の趣味のようなものだ。

「そうなんだ。仲良くかー」

 特に意識しようとは思わない。気が合えば自然と仲良くなるだろうし、逆もまたしかり。

 程なくして、プラスチックの容器に入った青い山と赤い山のかき氷を手にした賢治が振り返る。

 まさかまさかではあるが、まさか賢治はこれを私たちにくれようというのか? ぶつかったのは私のなのに……。

「怪我もなかったし、これで許してくれよな。苺とブルーハワイにしちゃったけど、どっちがいい?」

「苺美味しそー」

 差し出された赤と青の山に、妙ちゃんがいの一番で声をあげた。どうやったらそんな甘い声が出せるのか。

 まだ食べていないのに本当に美味しそうな声だ。

「はい、イチゴ味」

「ありがとー賢治くん、嬉しー!」

 妙ちゃんは感嘆をあげながら、受け取ってぴょんぴょん跳ねた。

 祭りの夜にかき氷と着物、とても様になる組み合わせだ。妙ちゃんと友達でいると、私には出来ない女の子の楽しみ方を知れる。

 スーは賢治を警戒するようにうなじと後ろ髪の滝に隠れていたけど、ひょっこり半身を乗り出してぴょんぴょん跳ねた。真似をしたいお年頃なのだろう。可愛い。癒される。

「じゃー、はいブルーハワイ」

「えーっと……にはは……」

 知らない人から物を貰ってはいけません、とお母さんに言われて育ってきた。

 賢治がその例外だってのは疑うに疑えない。

 ならなんて言えば断ることができる? そもそも断る理由がない。と同じくらい、受け取る理由もまた見つからない。

 同じ年頃の男の子に食べ物を奢ってもらうだなんて、私はいつからそんな真似ができる子になったの?

 私が悩んでいる間に、妙ちゃんがそっと寄り添ってきた。

「ねえスミちゃん、こーいう時は笑顔で受け取ってあげるのが女の子の甲斐性なんだよー」

 こ、これが女の子の甲斐性?

 フリーズしかかった脳に蠱惑的な言葉が染みていくのが分かる。

「甲斐性とか男の俺には分からないけど。ほら、この祭りって屋根を雨よけ代わりに使ったら商品を買うのが礼儀、みたいな暗黙のルールあるだろ? でも俺さっきジュース飲んだばかりでさ、喉渇いてないんだ。……溶ける前にこれ、受け取ってもらえると俺としても嬉しいかな」

「あ……」

 心の中で固い何かが壊れる感覚がした。

 ここまで言わせてしまっては、甲斐性関係なしに、受け取らないのは酷く悪いことのような気がする。

「ありがとう、すごく美味しそうだね。にはは」

 控え目にそう言ってカップを受け取った。

 荒削りな氷晶の表面が出店の淡い光を反射して、キラキラと輝いている。

 真ん中にだけ掛かっていないシロップが小洒落て見える。なんだか食べるのが勿体無い。

「――綺麗」

 人生でこんなにブルーハワイを愛おしく想うことがあるとは思わなかった。

「ブルーハワイが?」

 賢治が不思議そうに訊いた。

「これ、夕日に照らされる雪解け中の富士山みたいじゃない? にはは。でもたまたま逃げ込んだ先がかき氷店で良かったよ。たこ焼きとかクレープとかケバブだったら、この何倍もしていただろうし、流石に悪くて受け取れなかったもん」

 言いながら、私は付いていたプラスチック製のスプーンで登頂部を削った。

 口の側まで運ぶと、美味しそうな匂いに誘われたのか、スーがパシャパシャと鎖骨の溝で跳ねだした。

「はいはい、美味しい飲み物はスーが先だね。鎖骨のプライベートプールで遊ぶのもいいけど、感想教えてね」

 先端を近づけてあげる。

 スーは全身で窪みを作り、一気にスプーンにかぶりついた。

 ちょっと冷たかったのか動きが鈍いように見えたけど、完全に吸収したあとに『良』を意味する丸い輪に変形した。

「にはは」

 スーのお墨付きを得たところで、私も遠慮なくいただいていく。

「賢治くん固まってるけど、どうかしたのー?」

 妙ちゃんが眉をひそめている。

 私も釣られて賢治の方を見遣った。

 小さく口を開いた状態で呆然と私を見ている。

 え、なに? もらったブルーハワイをハイテンポで食べていくのが気に障った? 祭りにかき氷ときて着物でないのがダメだったのか? 足元なんて普段履きしているスニーカーだし。

「いやごめん、何でもないんだ。俺の周りにいないタイプの女の子だったからちょっと。それよりそれ、水精だよな。俺も土精飼ってるんだ。今は家にいるけど。水精も愛嬌があって可愛いな」

「スーの可愛さ分かっちゃうかー。にはは。お婆ちゃんの代から一緒にいる子で、今は私の弟みたいなものなんだ。成長は遅いけど、可愛さだけなら他の精霊に負けないよ」

 精霊の成長具合は置かれた環境に大きく左右される。

 成長の遅さはいくらでも悪いように捉えることができるけど、お母さんは「スーがそれだけ穏やかで平和な暮らしをしてきた証拠だよ」って言っていた。私もそう思う。

「大切なんだな」

「もちろんだよ、スーは家族だもん」

 私が酷く落ち込んでいた時も、ただじっと側にいて私を慰めようとしてくれたことがある。

 些細なことだったけど、私がどれだけ救われた気持ちになったことか。

 水精の他者の心を理解する力は精霊随一だ。水精系が常に堂々の人気ナンバーワンなのには、列記とした理由がある。

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