第4話 水精霊のスー(可愛い)

 今でも鮮明に記憶している。

 私がまだブラジャー未体験だった小学六年生の頃。

 八月七日、雷精を沈めるためのお祭り――鎮雷祭(ちんらいさい)に遊びに来ていた。時刻は午後の七時過ぎ。

 鎮雷祭とはその昔、この時期になると必ずやってくる連日の雷雨に困り果てた狩猟が、山で出会った大きな雷精に供物を捧げたことでその年の雷雨を鎮めた――とされる伝承の名残りだ。

 私は正直まったくこれっぽっちもてんで興味のない話だった。

「ねースミちゃん、あっちで鎮雷の儀式やってるよー。見に行ってみる?」

 スミちゃんとは私のことだ。苗字の澄を取ってスミちゃん。捻りはないが愛着はある。

 友人の園田 妙子(そのだ たえこ)――妙ちゃんは、艶やかな花柄の着物をお洒落に着こなしている。茶色がかったショートヘアーが振り回される度に、吸引していたくなるシャンプーの香りがする。

 神社の入口に小首を傾げて、いつも以上にピンクの色した唇を私に向けている。

「出店を二週してから、お腹がいっぱいになってたら、行ってもいいよ」

 私は肩口の空いた白いキャミソールワンピースの上から、空きっ腹を撫で回しながら答えた。

 頬を通って肩にかかった長い髪が連動して揺れる。いい香りは……特にしない。

 神社の奥では、水色装束や黄色装束を纏った大人たちがぐるぐると回りながら「コヒーグレスーフレー」と奇妙な声を上げているけど、手にした水飴を口いっぱいに頬張った瞬間、雑多な感覚は甘味に弾き出される。

「それたんなる食休めじゃーん。しかも高確率で行く行く詐欺のやつ……。今年のスミちゃんも変わらないねー」

 妙ちゃんの含蓄ある口調に、だけど私の意見は変わらない。

 私にとって鎮雷祭とは、色んな美味しいものを食べて楽しむお祭りなのだ。

 バナナクレープにチョコアイス、みたらし団子に綿あめ、オレンジジュースでしょーそれから、おっと! ベビーカステラだ! 場所は覚えておこう。

 駅へと続く大通りの脇をビルが囲う。

 駅近を除けばほぼほぼ平均所得以下が好みそうな住宅街だけど、今宵だけは別だ。

 私たちは所狭しと出店が立ち並ぶ歩行者天国を、自由気ままに練り歩いていた。

「もごもごもご」

「そうだよねー、祭りと言ったら初手水飴安定だよねー。ふふ」

「もごもご!」

「はいはい、そうだねー。美味しいねー。ふふふ」

 六年来の付き合いなだけあって、以心伝心はお手の物だ。

 たまに何が「そうだねー」なのか私にも分からない時があるけど、細かいことは気にしない。お祭りってのは楽しくできることが正義なのだ。

 しかし人が多いな。

 ここへ来る途中で見つけたポスターの『去年の来場者数二十万人!』。

 人口二万程度の町が欲張りすぎだよ。

 にしても暑い。熱気が……蒸し暑さが……。

「スミちゃんはとうとう小学生着物デヴューしなかったねー。絶対可愛いのになー」 

 愛され口調で妙ちゃんは言うけど、その「絶対可愛いのに」は「私ほどではないけどね」という言葉の裏があるようで少し怖い。

 実際妙ちゃんは可愛いと思うし、男子にも人気があった。

「っぷは! いいのいいの、私そういうの興味ないから。ペロペロ。色気より食い気で生きていくから。それに、スーもいるし」

 肩の紐生地に触れないように、首周りを水精のスーが移動する。

 ひんやりと冷たくて気持ちがいい。おかげで納涼要らずだ。

「スミちゃんはー涼しそうだねー。こんなに暑いなら、団扇持って来れば良かったなー」

「スーを貸してあげたい気持ちはあるんだけど……」

 スーは水精としてまだ幼く、水を操る能力もひよっこだ。

 人の形を模してはいるけど、細かな造形はなく、ほとんど腰から上だけの棒人間に近い。

 着物に接触してしまうと、未熟なスーは生地に水分を奪われてしまうから、妙ちゃんの首周りは危なっかしくて近づけられない。

 私が着物を着ない理由の一つでもある。

 コップに入れて運ぶ手もあるけど、スーが私の首周りを好むのだ。

「スーちゃんがダメなら、スミちゃんの大きなおっぱい貸してほしいなー」

「お、おっきくないよ」

 去年あたりから急に膨らみだした。

 クラスの女子と比べると大きいかもだけど、子供サイズの域はまだ出ていない。と思う。

「着物じゃないんだけど、これはこれで色気あるんだよねースミちゃんは」

「妙ちゃんはいったいどこ目線で語ってるの?」

「むぅーー。もちろん胸目線だよー。……これ、揉んだの?」

 妙ちゃんの無遠慮な熱視線が私の胸に刺さる。

「揉んで大きくなったんじゃないよ!?」

「ほんとかなー」

「好きで大きくなったんじゃないし。――それよりさ、今年もまた荒れそうだよ」

 来たばっかりなのに、とぼやきつつ、私は墨で濃淡をつけたような曇天を見上げた。

 遠くで雲が稲光する。と、かしこから歓声や拍手が巻き起こる。

「あー、スミちゃんが期待するようなこと言うからー」

 期待は期待でも、当たって欲しくない方の期待だ。

「いつから鎮雷祭は、私の音声認識で反応するようになったの!」

 ゴロゴロと様子を探るような雷鳴がする。一層祭りの熱気は高まっていく。

「毎年思うけど、鎮雷祭って名折れだよね。雷雨にならないためしがないじゃん」

「神社で雨乞いと雷乞いの祝詞を捧げてるから、当日はほぼ間違いなく降るよー?」

 神社を通った時の奇妙な声は、祝詞だったのか。

「毎年来てたけど知らなかった……」

「スミちゃんらしいねー」

「でもさ、自分たちから呼び込むなんて神主はアホなの?」

「ふふ。たしか伝承だとさー、供物を捧げた日は荒れ狂ったように雷鳴が轟き続けたんだってー。その翌日から晴天になるって話だったはずだよー」

「それが本当なら私も平伏して歓迎するよ? 実際は翌日も雷雨とかザラにある気がするんだけど……」

「だねー。嫌になっちゃうよねー」

「今年くらいは勘弁してほしいよ」

 この切なる祈りを何処に捧げればいいのか、私は知らない。

 少なくとも、水精もしくは雷精宛てでは意味がないってことは分かる。

 しかも降るときは決まってゲリラ豪雨。

 そりゃ鎮雷祭の悪口を言いたくもなるよ。

「ふふ。スミちゃんってば、元も子もないようなことを言ってるー。そういうお祭りだよー? ただでさえ山に囲まれている地形だから尚さら、この時期はやっぱり仕方ないよー」

「雨は降らずに雷だけ降るんだったら、まだ許せるんだけどね」

「なにそれ怖い!」

 妙ちゃんは何を想像したのか、頭を手で覆ってぶるぶると震えた。同性の私から見てもキュートすぎる仕草だ。

 スーも妙ちゃんを真似て頭を抱えてぶるぶると震えた。――腰振りダンスみたいになってる。なにこれ癒し。

 ぴと。

 雫が私の鼻先に触れた。

 スーの腰振りダンスを疑ったけど違った。

「雨?」

 呆気に取られていた私に、妙ちゃんがすこし離れた位置から振り返って手招きをしている。

「なにしてるのスミちゃん! 早く避難するよー」

 盛大な音を引き連れて、大量の雨粒が天から降り注ぐ。

 キャーーー、という黄色い合唱に押されるように、人が出店に向かって潰れていく。

 各出店のスタッフは待ってましたとばかりに屋根に棒を引っ掛けて、軒先を伸ばしていく。

 そして、一息つく間もなく「安いよ安いよー!」という誘い文句が、雨音を押しのけて色んな出店からあがるのだ。 

 出店の屋根を雨宿りに利用した客は、若干の気まずさのためか、場所代感覚で店の商品を買ってしまう。

 ある意味この一連の流れを含めて、鎮雷祭だとも言える。

 とっても出店に優しいお祭りなのだ。

 妙ちゃんに手を引かれながら、出店の軒下に滑り込み、セーフ! ついでに私たちは小学生だから商品を買わなくてもセーフ! まあ、買うのは強制じゃないし、いいよね?

「通り雨でありますように!」

「大丈夫だよスミちゃん。きっと数分でやむよー」

 私たちの願いをかき消すように、特大の包み紙を破くような雷鳴がとどろき、辺り一面を閃光が駆け抜けた。

 かしこから「わー!!」と「キャー!!」の悲鳴が瞬時に入り乱れる。

 次の瞬間、耳をつんざくような雷撃音が鳴り響いた。

 雷が落ちた、光と音がほぼ同時だった。

「ぬわっ!? っとっと?」

 落雷に驚いた客足に体を押されて、私はあと退る。

 一度失われたバランスは、後ろに居た誰かにぶつかったことで補われた。

 私の頭が反射的に下がる。

「ごめんなさい」

「俺の方こそよそ見してた。ごめん。大丈夫だったか?」

 面を上げると、甚兵衛(じんべえ)を着た少年が心配そうに私を見つめていた。

 普段まったく人の容姿を気にしない私でも、少年を見た時は鼓動が一際強く打った。

 なんだこのキュートな垂れ目は! スポーツヘアーも抜群に決まっている。

 格好いい……。だから好き! とはならないけど、女子たちがイケメン芸能人の話題でワイワイ騒ぐ心理がすこし分かった気がする。

「え、うそ!? 賢治くんじゃん! こんなところで会うなんて思わなかったよー。いやだー、久しぶりー。甚兵衛もすごく良く似合ってるー!」

 妙ちゃんが心なしか私と話す時よりもワントーン、いやツートーン明るい声色で、嬉しそうに前に出た。

 彼女のこれはいつものことだ。

 惚けて固まっていた私をフォローしてくれた――ってことはたぶんない。

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