第3話 土精霊のアースちゃん(固い)

 翌日の土曜。

 絵に描いたような青々とした晴天。

 青い絵といえば――。

 美術の時間に空を書こうとして、誤って賢治の顔に青い筆を走らせてしまったことがある。

 仕返しにと、私は鼻先を黄色く塗られてしまう。いっそのこと二つの色を混ぜてしまおうと、私が顔をくっつけたら、賢治にメッチャ怒られた。

 どうしてあそこまで怒ったのか。

 今でも賢治謎行動選TOPスリーを飾る出来事だ。かくいう私も、なぜ顔をくっつけようという発想に至ったのか、謎だ。謎が謎を呼んでいる。

 そんなことを考えつつ、目的の山が一番近くにあるコンビニに、私はやってきた。

 間近で仰ぐと、聳え立つ山々は生命力に満ちて力強く、壮観だった。

 約束の十時の十五分前にたどり着いたのに、リュック姿の賢治が既に開けた駐車場に佇んでいた。律儀すぎる男だ。実に友達甲斐がある。

 賢治は立夏の登山に適したアウターレイヤーを着ている。水捌けが良さそうな服だ。ポケットも多めに付いている。

 私はリュックもなければポケットも少ない。

 山で何か拾ったらとりあえず賢治に渡そう。キノコとか珍しそうな昆虫とか。そんで返してもらう時に、本当に欲しいものかどうかを今一度考える。

 我ながら嫌わそうな名案だ。実行に移す気になれないや。

 私の装備は、白無地の長袖に水色のカーディガン。下は一応、動きやすそうなゆったりめのジーパン。今更ながらに、山の神に怒られそうな舐めたファッションで来たものだと思う。

 山道はキツくないって聴いていた。

 もしハシゴをのぼるような急勾配に出くわしたら、賢治に負んぶか抱っこをしてもらおう。それは冗談としても、楽な道だといいな。

「やっほー賢治」

「おう、早いな」

 その言葉はそっくりそのままお返ししたい。

「昼食はとってきたか? ここイートインできるみたいだし、もし良かったら――」

「ちゃんと食べてきたから大丈夫」

 私が親指を立てると、賢治は残念そうに肩を竦めた。

「ならいいが」

「そんなことより、その子がアースちゃん!?」

 賢治はすぐに取り繕うように、肩に乗ったアースちゃんを掴んで私に差し向けた。

「手に乗っけてみるか?」

「うんうん! うわー可愛い。賢治のペットとは思えないほど可愛い」

「見た目の割に重いから気をつけろよ。それと、一言余計だ」

 平らに広げた両手のひらにアースちゃんが乗る。

 ずしりと重い。表面はさらさらしていて、肉眼で見ると黒ずんだ色をしている。

「こいつ、俺の生まれた日に俺ん家にやって来たんだ。……って話したっけ?」

「きっと賢治に惹かて来たんだね。赤ちゃん賢治にツバを付けるなんて、物凄く先見の明があるね!」

 精霊を飼うためには、まず精霊が人間を見初める必要がある。

 心を通わせてきた精霊を人間が受け入れて、初めて互いの友好関係が結ばれるのだ。

 もしこの関係性が崩れれば、精霊は人間を見限ってどこかへ消えてしまう、なんてこともある。

「間接的に俺のこと持ち上げられると、ちと恥ずいな」

 賢治は満更でもない様子で頬を掻いた。

 よく見ると、アースちゃんの股関節にあたる部分に溝がある。

「なるほどね~」

 関節部を広い範囲で可動させることができるようだ。

「あ、ごめんアースちゃん。大丈夫?」

 アースちゃんが私の手の中で転倒した。が、すぐに手との接着面を巧みに変形させて、自力で起き上がる。

 そして不安定な足場で器用に片足立ちを決めた。力士が大きなシコをとっているみたいだ。控え目に言って、可愛い。

「偉い偉い! ほあ~、アースちゃんの体ってこんな風になってるんだね。もっと土っぽいのを想像していたけど、どっちかっていうと石や岩みたい」

「土を圧縮してるんだよ。圧縮すると水も通さなくなる。はは、アースもお前に会えてテンションあがってるみたいだな」

「にはは。この私にときめいたか? 初(うい)やつめ」

 片足の様相で、今度は地につけた足の股関節から上をぐるぐると自転させ始めた。回転可動域は無制限のようだ。

 上から眺めているとこっちの目が回りそうになる。

「ウチのはオーソドックスなタイプだ。貴金属を内包する奴とか、濡らすとベチャベチャになる砂っぽいのもいるけど、頑丈さならウチのが断トツだよ。その高さからなら落としても大丈夫なんだぜ」

「え!? そうなの?」

 テニスコートのネットの高さほどある、加えてこの重量だ。

 大丈夫と言われても、とてもじゃないがおいそれと落とす気になれない。砕けてしまわないものなのか。

 賢治のことだ、デタラメで言っているわけじゃないんだろうけど……。

「衝撃で足が折れても大事な核は中で泥に包まれていて、簡単には傷つかない構造になってんだよ。核に問題がなければ数秒で元にもどる」

「それ滅茶苦茶痛そうじゃん! 部位が切断されちゃうのは嫌だな」

 精霊の痛ましい姿を想像すると、どうしても暗い顔になってしまう。

「大袈裟だな。足が欠損した感覚はあっても人間みたくに痛みは感じないよ。こんなん小学生だって知ってるだろ」

 精霊は痛覚を持たない。もちろん知っているけど。

 足の感覚が一時的にとはいえ失くなるのは、それだけで十分に苦痛ではないのか。身の竦む妄想が広がった。

「悪い、言い方が悪かった。髪を切ったり爪を切ったり、そんな感じに近いと思うぞ」

 賢治はばつが悪そうに坊主頭を掻いた。

「うん。でも大切に扱ってあげてよね。アースちゃんは大切な賢治の家族なんだから。にはは!」

 些細な会話で空気を暗くしたくなくて、ちょっと無理して笑う。なんとなく首元に寂しさを覚える。

「気をつけるよ。…………平気か?」

「もちろんだよ。もう昔のことだし」

 私はアースちゃんの核のある部分をナデナデしてから、賢治の肩に戻してあげた。

「どうして賢治が暗い顔するのよ」

 私が柄にもなく一瞬とは言え、暗澹たる気持ちに浸ってしまったが故に、賢治にあの日の出来事を思い出させてしまったみたいだ。

 ほんの一瞬ですら見逃さない、賢治のアンテナは敏感だ。

「折角の土曜日だよ? 楽しまないと勿体無いよ!」

「だな。お前の言うとおりだ」

「若人は、こういう時間こそ大切に使わなきゃ。にはは」

「大切に、か……。若人のお前が言うと、説得力増し増しだな」

「賢治もそう思う? 私も言ってて良い事言ってるな~って気がしてたんだよね」

 私と話していると、微妙に賢治の声のトーンや仕草が変わる時がある。表面上に変わりはないし、私でないと見過ごすような些細な差異だ。

 条件は良くわからない。ほかの人と話している時は普通にしているのに。不思議だ。

 ここから賢治の悩みの原因の一端でも掴めればと、私は下から顔を覗き込んだ。

「なに!? 体近くないか?」

「近いかもね」

 賢治は避けるように体を反らして、困ったようにそっぽを向いた。臭いモノを本能的に嫌がる犬か猫のようだ。

 私のことを嫌っている風、ではなさそうだけど。

 ……まあいいか。

 アースちゃんの可愛さについつい心を囚われてしまったけど、ここへ来た目的を今一度胸に刻もう。

「アースちゃんのお陰でやる気出てきたよ! 賢治、やるからには必ずたくさんの光精を見つけようね」

「ああ……よろしく頼む。安全第一で、何かあったらすぐに俺に教えてくれよ。危なそうなことは俺が率先してやるからな」

 恥ずかしげもなくナチュラルに、こういうことを平気で言う。

 コンビニから脇を通る歩道へ出ると、車道に近いほうを賢治がさり気なく位置取った。私を危険から守ってくれているらしい。車なんて全然通らないような道なのにね。

 普段から性別を意識していない私でも、賢治といると自分は女の子なんだなって時折実感させられる。

 なんとも歯痒い感覚だ。

 最初は過度な紳士っぷりに戸惑ったけど、慣れてくると存外居心地が良かったりする。

「にっははは」

「なんだよ急に笑って……。変な電波でも受信したか?」

「ミヨンミヨン、ただいま変な電波を受信中――って違うよ! 賢治と初めて会った日のことをちょっとだけ思い出してたの」

「なんでまた? お前の突飛さは、未だに予測がつかないよ」

 賢治は苦笑した。

 話題を変えるようなら深堀せずに流そうかと思っていたけど、賢治は昔を懐かしむように瞑目していた。

 良かった。少なくとも賢治にとって、私との出会いの日は酸っぱいだけの思い出ではないってことだ。

「あん時のお前には恐れ入った」

 含み笑いで賢治は語り始める。

 恐れられるようなこと、私したか?

 それも含めて、目的地までまだ距離があるようなので、懐古談に花を咲かせながら賢治との出会いの日を思い起こしてみよう――。

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