貧血の理由~我が家に吸血鬼がやってきた~

青水

貧血の理由~我が家に吸血鬼がやってきた~

 最近、貧血だ。

 朝、目が覚めてから立ち上がろうとすると、立ち眩みとともに、よろめいてしまう。どうしてだろう? 僕は体質的に貧血になりやすいわけじゃない。病院に行って検査を受けて見たものの、特に異常は見られない。おかしい。

 その話を大学の友人である佐藤に話してみると――。


「うーん、わからんな。まあ、とりあえず、食生活を改善してみたら? ビタミンとか鉄分とか取ってさあ。お前、どうせカップ麺とかしか食ってないんだろ?」


 さすがにそんなことはない。だけど、僕の食生活が乱れているのは確かだ。

 大学進学を機に一人暮らしを始めてみたのだが、どうしても飯を作るのが面倒で、インスタントや冷凍食品、ファストフードなどに頼ってしまう。体型自体はあまり変わってないものの、栄養面では不足している成分が多いと思う。母の作る料理が、どれほどバランスのとれた食事だったかが身に染みる。


「食生活かー……」


 改善してみるか。家で頑張って料理でも作るかなー。

 僕が椅子から立ち上がると、佐藤が「んん?」と言った。


「どうしたの?」

「お前……首……」

「首?」

「首に……噛まれたような痕があるぞ」

「え? まじ?」

「まじ」


 僕はその痕があるところを見てみようとするが、首なので自分では見れない。佐藤はスマートフォンで写真を撮った。


「これよ」


 見てみる。

 なるほど、確かに噛まれたような痕があった。2、3ミリの丸に近い痕が二つ。何に噛まれたんだろう? 蛇とか犬とか……? いや、だけど、僕は一人暮らしでペットも飼っていない。僕に噛みつくような動物は、家にはいない。ネズミも僕の家にはいないだろうし、ネズミに噛まれたとしたら、こんな痕はつかないと思う。


「何に噛まれたんだろう?」

「お前、あれか? 彼女と首噛みプレイでもしたか?」

「首噛みプレイってなんだよ……。というか、僕に彼女がいないってことは、お前も知ってるだろ」

「いや、俺の知らないところで、ひっそりと恋人でも作ったんじゃないかなって」

「僕はそこまで秘密主義じゃないよ」

「それもそうか」


 その後、佐藤と首の痕について話し合ったが、それが何なのかはわからなかった。


「もしかして、吸血鬼に血を吸われたんじゃないか?」

「はは、まさか」


 僕は佐藤のジョークを笑った。

 吸血鬼なんて実在するはずがない、と思いつつも――僕はある噂を思い出す。最近、この町に夜な夜な吸血鬼が出るという噂。荒唐無稽だ。そう馬鹿にしたのだが……いや、まさかね?


 ◇


 その日の夜は暑かった。

 まだ夏じゃないのでクーラーをつけるのもなあ、と僕は暑さを我慢した。窓を開けて寝ようと思ったけれど、何者かが外から侵入してくるのだとすれば、窓を開けたまま寝るのはよろしくない。

 僕は掛け布団を被り目をつぶったが、緊張からかうまく眠れなかった。

 そのまま一時間以上は経っただろうか。汗が体からじわりじわりと出てきた。何か飲み物でも飲むか、と思ったそのとき――。

 ガタンガタン、と。

 音がした。

 僕は掛け布団を床に叩き落して、飛び起きた。慌ててカーテンを開ける。しかし、そこには誰も何もいなかった。


「なんだったんだ……?」


 窓を開けて、ベランダに出る。

 僕が住んでいるのはマンションの5階で、泥棒が壁を登って侵入するのは、不可能とまでは言わないものの、なかなか難しい。

 ベランダから身を乗り出して、左右を見る。


「うーん?」


 隣人がベランダ伝いにやってきた、なんてこともなさそうだ。

 窓を閉めて、カーテンも閉めると、僕は冷蔵庫に入ったペットボトルの麦茶を取り出して、ごくごくと飲んだ。その後、トイレに行くと、ベッドに潜りこんだ。


「寝よう」


 呟くと、目をつぶった。

 明日は講義がないとはいえ、できれば眠りたい。夜更かしをすると、睡眠のサイクルが狂ってしまう。寝よう、寝よう……。


 ◇


 まどろみの中で、ガタゴトと音がしたような気がする。バリン、とガラスが割れるような音が、小さく響く。僕は起きようとしたが、体がひどく重かった。まるで誰かが僕の上にのっているような……。


「ひ、ひひ……」


 いやらしく笑うような声。少女と思わしき、高い声。


「よしよし、眠っているな」


 僕の首を、小さな指が撫でる。


「いっただきまーす――」


 がぶり、と。

 僕は噛みつかれた。

 麻酔がかかっているのだろうか。そこまで痛くはない。しっとりとした舌と唾液が首を濡らした。不思議な感覚だ。愉快でも不快でもない……。

 ちゅうちゅう。嗚呼、血が――血が吸われていく。

 血が、僕の血が……。


「うわ、うわあああああ!」


 僕は叫びながら、飛び起きた。


「な、なんじゃあああ!?」


 僕の上に少女が跨っている。ネグリジェのような黒い服を着ているが、エロスは感じない。年齢は15歳前後か。金色の長い髪に、充血を超えた真っ赤な瞳。白い歯の犬歯は、人間より大きく鋭い。日本人には見えないけれど、だからといって外国人にも見えない。その子は、人間のようでいて、人間ではないような……。


「吸血鬼……?」


 僕の呟きに、少女は反応した。


「いかにも。我こそは、偉大なる夜の王――吸血鬼ミラ様だ!」

「な、なんと……!」


 彼女にあわせたオーバーなリアクション。彼女はお気に召したようで、ペラペラと喋り始める。


「吸血鬼は人間の生き血を養分とし、生きておる。おぬしの血はとてもうまい。妾が今までにすすった血の中で、最上に属するぞ」

「それはどうもありがとう」

「うむ。というわけで、今後もおぬしの血を吸わせてもらうぞ」

「それはちょっと……」


 僕がやんわり拒絶すると、吸血鬼少女ミラは不機嫌そうに顔をしかめた。


「は? なぜだ?」

「血を吸われすぎて、最近貧血気味なんだ……」

「なんと! 多少は配慮しているつもりだったのだが、貧血とは……うーむ……」

「だから、今後は他の人の血を飲んでくれると助かるんだけど……」

「いやいや、それは無理だ」

「どうして?」

「おぬしの血の味を知ってしまったのだから、いまさら他の人間の血など吸えない」


 それは、一度上げた生活水準を下げるのは難しい的なやつだろうか? だとしても、物理的に不可能というわけではないんだから、妥協してもらうしかあるまい。


「妥協してよ」

「嫌じゃ!」


 子供らしくジタバタと暴れる。


「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃー!」

「ねえ、君――」

「ミラ」

「……ミラは年いくつ?」

「忘れた……けど、もう1000年は生きておるかな」

「……わぁお。さすがは不死者」

「褒めるな褒めるな。それに、妾は別に不死なわけではない。……まあ、不老には近いのだがな」

「ふうん。まあ、でも、1000年も生きているんだから、妥協くらいしてよ」

「どういう理屈じゃ! 妾はな、妥協なんてしたくはない。毎日、おぬしの血をちゅうちゅう飲みたいのだ」

「えー……」

「とりあえず、貧血解消のために、鉄分やビタミンをたくさん摂るのじゃ!」


 ミラは勝手にキッチンに向かうと、冷蔵庫を勝手に開けた。中には、ペットボトルの飲料とおかしがいくつか……。野菜や肉なんて入っていない。彼女は呆れた顔をする。


「おぬし、普段は何を食べておる?」

「ええっと……インスタントとか冷凍食品とかファストフードとか……」


 はあああ、とわざとらしいため息をつくと、ミラは僕に言った。


「栄養のある食事をしろ。おぬしの血は極上なのだ。食生活、生活習慣をよくすれば、きっともっとうまくなるだろう」

「うまくなったら、僕の血飲むんでしょ?」

「もちろん」


 やれやれ。

 ミラはベッドに戻ると、ごろんと横になって掛け布団をかけた。どうやら、寝るつもりらしいが……忘れていないか、ここは僕の家なんだぞ?


「ちょっと、何してるのさ」

「何って、寝る」


 寝る? 眠る? スリープ? 


「家に帰って寝なよ」

「今日から、ここが妾の家じゃ」

「……は?」


 意味がわからない。わけがわからない。


「感謝しろ。これから毎日、妾がおいしくて栄養のある料理を作って食わせてやる。その代わりに、おぬしは毎日、ちょっとだけでいいから妾に血を提供するのだ」

「えー……」

「拒否権はないぞ。拒否したらどうなるか。くくく……」


 ただの人間である僕が、見た目が少女とはいえ吸血鬼に勝てるはずがない。僕に拒否権はない。彼女の言うことを、ただ粛々と受け入れるのみだ。


「これから、よろしく頼むぞ……名前なんだっけ?」

「拓海」

「よろしく拓海」

「……よろしく、ミラ」


 僕もベッドの中に入った。女の子と一緒に寝るのは初めてだったが、不思議とあまり嬉しくはない。あまり? いや、まったくだ。だって、相手は吸血鬼なのだから。

 僕たちの関係性はご主人様と奴隷。もう少しよければ、主人とペット。主人と家畜。主人と家畜が一番的確で、一番ひどい表現なような気がしないでもない。

 まったく、どうしてこんなことになってしまったのだ。いくら嘆こうとも現実は変わらない。眠りたくはなかった。でも、少しずつ眠たくなる。生きている限り、朝は必ず訪れる。

 朝になったら、ミラが灰になって消えていないかな、なんて思いながら僕は眠りについた。まあ、そう簡単に死ぬとは思えないけどね……。

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