第56話 こんなゆるーい日常も
それから。敷島さんの言う通り、瞼に涙の跡が残った美穂が夜になってようやく僕の部屋に戻ってきた。
「……お、おかえり」
そんな妹に、普通に話しかけることなどできるはずもなく、おそるおそる僕は口を開く。
「……それで、浦佐さんとは結局どうなったの?」
ちょこん、と僕が腰かけていたベッドの隣に座りこむと、怖いくらい落ち着いた口調で、そう尋ねた。
「……え、えっと……まあ、その……お付き合いすることに」
「……そっか」
僕が答えると、美穂は落ち込むでも、取り乱すでもなく、淡々と空気に近い声を吐き出しては、自分の足元に視線を流した。
「……敷島さんに、何言われたの?」
「何って……。別に、そんな大したこと言われてないよ? 本当にお兄ちゃんを合法的に手に入れたいなら、国会議員になって法改正進めなとか、別に皆に認められなくていいなら、誰にも知られずにひっそりとお兄ちゃんと思う存分イチャイチャしてなって」
……どこまでも適当だな、あの人。いや、前者に関しては正攻法と言えばそうなのかもしれないけど。
「……でも、そうじゃないんだったら、ただお兄ちゃんを独り占めしたいなら、半分くらい、誰かに分けてあげなよ、って」
「…………」
「正直、本当は半分だって分けたくないよ。……でも、浦佐さん、いい人っていうのは、東京来てからよくわかったし……けど、それとこれとは話が別っていうか……」
ブラコンと友情(と形容するのが適当かは知らない)の狭間で揺れているのだろう、美穂は、変わらず下を向いたままそう続けた。
「……大丈夫だよ、浦佐もそのへんのことはきっとわかってるよ。……美穂から、僕を全部貰うなんてつゆも思ってないはず」
「……ほんと、かな?」
「……あの浦佐だよ? きっと、ニコニコ足パタパタさせながら、『妹ちゃんも一緒にゲームするっすー』って言うに決まっている」
「……お兄ちゃん、浦佐さんの口真似似てない」
「バッサリだね」
「東京の唯一の友達だからね」
「妹に新しいお友達ができてお兄ちゃんは嬉しいよ」
「……なにそれ」
「……何はともあれ、さ。……多分、今までとそんなに変わらないよ」
「今までと同じじゃ駄目」
すると、美穂は僕のシャツの裾をギュッと掴んでは、
「……毎年お盆と年末年始になったら実家帰ってくるのと、毎週一回は電話してくること。それくらいしてくれなきゃ、認めない」
押し殺したような声で、僕にそう訴えた。
「……わ、わかったよ、わかったから」
「本当だからね? 電話かかってこなかったらお兄ちゃんの家か会社押しかけるからね」
「……は、はい、わかりました」
ははは、どこまでいっても、僕の妹のブラコンは筋金入りかもしれない。
「……あ、私が家に帰ったらもうだからね? サボった瞬間、だからね?」
「だ、大丈夫だって、信用ないなあ……」
「……今まで、実家帰ってこなかったのはどこのお兄ちゃんかなあ」
「ぎく」
と、まあ美穂とはそんな話をして、夏休み最後のひとときを過ごしていった。
「……それで、妹ちゃんとはちゃんと連絡してるんすか? センパイ」
大学生の夏休みは続く九月上旬のある日。浦佐はこの間の約束通り、僕と一緒にアドベンチャーゲームをしていた。
「……してるよ。おかげで近況を根掘り葉掘り聞かれる」
「いいじゃないっすかー、愛されてるって感じがして」
……浦佐は、例によって僕のベッドの上に寝転がっては、短パンから伸びる足をパタパタと振っている。
っていうか、この調子だと、友達のときと全然変わらない気もするけど……まあ、浦佐ならそんなものだったりするのかな。
「あ、こここの選択肢のほうがいいんじゃないっすか?」
「え? そう? まあ、浦佐がそう言うんだったら……」
僕は、浦佐のアドバイスに従って、ある選択肢を選ぶ。が、しかし、続く会話は、どう見たってよろしくないもので。
「ちょっ、浦佐っ、だましたな僕のことっ」
「わーいっす、引っかかったっすねー。いやー、このルート、特殊エンドに行けるみたいで、一度見てみたかったんすよー」
「……そ、それならそうと言えよ、いたずらっ子だなあ」
してやったり、の浦佐の頭を僕はわしゃわしゃと犬みたいに撫でると、
「あはは、くすぐったいっすよー、何するんすかー」
「悪い子にはしつけをしないとなあって」
「ああっ、子供って言ったっすねえ、子供って。センパイでも言っていいことと悪いことがあるっすよ」
「はいはい、今度ラーメン奢ったげるから」
「ほんとっすかっ? やったっす、ご馳走様っすー」
まあ、こんなふうに、ゆるーく浦佐と過ごす日常が続いていくのも、そんなに悪くはないかな、とコントローラーを握りながら僕は思った。
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