第42話 ゼリーかプリンか

「……やばいかやばくないかで言えば、やばいと思うけど」

「そっ、そんな悠長なこと言ってる場合じゃ──」

 慌てふためく浦佐を渋い目を浮かべつつ隣で見ていると、ゆっくりと動いていたコースターは、少しずつ加速を始めていて、


「……せ、センパイ、面白いこと言っていいっすか?」

 あと数秒で勾配が上りから下りに切り替わる、というタイミングだった。


「何? 本当に面白いことだった笑ってあげるけど」

「……自分、怖くて両手を安全バーから離せないんすよね」

「…………」


 それ、つまるところ、眼鏡を支える手がないってことだよね?

 僕はふと、コースターから地上を見下ろした。たくさんの人が歩いている地上に、こんな高さから眼鏡が落下したらどうなる? 一種の……凶器になるんじゃ。


「あの、全然笑えないんだけど──」

 瞬間、どうやらタイムリミットが来てしまったみたいで、僕がそう言いかけた後、

「ぎゃあああああああああああああああ!」

 コースターは下降を始め、ぐんぐんスピードを上げていった。その間にも、


「ああっ! 眼鏡っ! 眼鏡が早速ずれてるっす!」

 数センチ隣に座っている浦佐は悲鳴をあげ続ける。


「せめて! せめて片手は離せないの!」

「無理っすよおおお! それができたならこんな大騒ぎしてないっすうううう!」

 じゃあなんであんなジェットコースター乗るの乗り気だったんだよおおおお! 叫びたいのはこっちだよおお!


「ああもう! わかった! わかったからちょっと顔こっちに寄せて!」

 このままじゃ高度数十メートルから眼鏡という爆弾を落とす事故が発生してしまう。普通に迷惑だし最悪けが人出すかもしれないしそうなったとき色々やばいし、僕は左手を浦佐の顔のほうに伸ばしては、


「眼鏡、眼鏡取るから貸して!」

「こっ、これ以上は無理っすううう! ぎゃああああ! また、またズリって言ったっすうう!」


 なんとか眼鏡を預かれないか模索する。利き手ではないしこっちも体が固定されているからなかなか自由に動けず、

「ぎゃっ! そ、そこ顎っすよっ! くすぐったいっす!」


 お目当ての眼鏡を当てることができない。猛スピードで進行していくなか、僕は左手を動かしていると、ふと、妙にぷにっとした感触が走った。例えるなら、ゼリーというか、プリンというか、その手の何か。


「っっっ! ちょっ、どっ、どこ触ってるんすかっ! センパイのヘンタイ!」

「もうこの際変態でもいいって! そこ唇か⁉」

「そうっすよおおおおお!」

 じゃあもう少し上に行けば、ずれた眼鏡にたどりつける。


 僕は左手を精一杯伸ばして、なるほど、鼻の下までずり落ちた眼鏡の鼻当ての部分に手を触れる。瞬間、

「ぎゃあああ! 眼鏡が! 眼鏡が! 落ちる、落ちるっすううう!」

 浦佐の体に衝撃が走ったからか、崖っぷちで踏みとどまっていた彼女の眼鏡がとうとう完全に落ちかけた、が。


「取ってる、取ってるから安心しろ! とりあえず終わるまで僕持ってるから!」

 なんとかギリギリで間に合ったみたいで、僕に左手には浦佐の眼鏡がしっかりと掴まれていた。あとは、終わるのを待つだけ。


「あああああああ!」

 その後も、浦佐からの悲鳴は鳴りやまず、こっちもこっちで眼鏡を預かっているのに集中しないといけなかったので、なかなかに疲れる時間になってしまった。


 ようやくコースターが減速をして、スタート地点に戻ると、

「……ほら、眼鏡」

「……ど、どうもっす」


 完全にドッと疲れた表情で僕らはそんなやり取りを交わした。安全バーを外し、案内に従って出口に向かう間も、浦佐はまだ足元がふらつくようで、小さな体を左右にふらふらと蛇行させながら進んでいく。


「……この時間だけで寿命一年くらい縮んだ気がするよ」

「……いや、ほんと助かったっす……ありがとうっす……センパイ……」

「頼むから、次から眼鏡でジェットコースター乗るときは事前に預けてくれ……」

「も、もう二度としないっす、生きた心地がしなかったっすよ……」

「そりゃ、そうだろうな……」


 アトラクションを出て、美穂と合流をすると、一気に疲れ果てた僕らの表情を見た美穂はどこか不思議そうな様子をする。

 ……そら、そんな顔にもなるだろうけどさ……。説明するのも面倒だし……、

「じゃ、じゃあ……帰ろうっか」

 ヘトヘトになった僕は、そう言った。

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