第18話 残り香と夏の頼みごと

「初音ちゃんのところでシャワー浴びたらすぐ行くっすねー、お邪魔しましたっすー」

 そうして浦佐は、あっという間に僕の部屋から出て行っては、すぐ隣の敷島さんの家に入っていった。


「……あれ、敷島さん、家に鍵かけてないんですか?」

「……ほら、あれだよ。すぐ戻るつもりだったからさ。かけずに来たんだよ」

「僕のこと言えないじゃないですか……」

「あはははー」

 頬をポリポリと掻き、きまり悪そうにスーッと玄関に動く敷島さん。


「……それじゃ、あのちびっ子に家にある僅かな食料を食い荒らされないように家帰るわ。また今度、時間あったら豪勢にご飯食べようなー。そんじゃ、お邪魔―」

 やや早口になりつつもそう言って、彼女は隣の自宅へと戻っていった。


 ……別にまた一緒に食事するのはやぶさかではないけど、酒はもう飲まない。敷島さんの前では。

「はぁ……まだなんか頭痛いけど……なんか適当に動画でも見て暇潰すか……」


 ドッと襲って来た疲れを携え、僕はベッドに倒れ込みながらため息をだし、ポケットに入れていたスマホをポチポチと触る。

「……なんだ、このなんとも言えない匂いのブレンドは」


 枕と布団は避難させていたとはいえ、シーツはそのままだ。だから、昨日の焼肉の匂いがついていても不思議ではないんだけど……。


「……これ、浦佐の家の柔軟剤か……?」

 普段感じない香りが鼻をムズムズと刺激する。なんか、甘いとも爽やかとも表現し難い、けど、なんとなくいい匂いって感じる香り。


「…………。シーツ、洗濯しよ」

 恐らくっていうか十中八九、浦佐がベッドで寝たからだと思うけど、こうも少し匂いが移っただけでなんとなく気になってしまう。


「……あんなちっこい上にゲームしか興味なさそうなのになあ……」

 ──柔軟剤はいい香りがするのか。


 と、きっと本人が聞いたら「失礼な人っすねー。ぷんぷん」とでも言いそうなことを頭のなかで思い浮かべ、僕はベッドにかかっていたシーツを洗濯機に放り込んでは、すぐにスイッチを押した。


 洗濯が終わるまでの間、言った通り適当に動画を流し見していった。浦佐のチャンネルでも見てみようかなって思ったけど、そういえばチャンネル名を聞いてなかったなと気づき、おすすめに流れて来たものを上からポツポツと眺めていた。


 それからというもの、まあ夏休みということもあり(もしかした学期中もかもしれないけど僕は知らない)、週に三日くらい、浦佐は敷島さんの家にゲームをしに来ていた。


 なぜ三日とわかるかというと、週に三日だけ深夜に隣の部屋がうるさくなるから。……聞いてなくてもそのどんちゃん騒ぎで気づく。


 おかげでこちらの睡眠時間が削られていい迷惑と言えばいい迷惑でもあったけど、どうせ熱帯夜でまともに寝つけないし、その間積んでいた本をどんどん消化できたと言えばできたので、ある意味怪我の功名、みたいな一面もあった。


 そんななか、動きがあったのは、夏休みも八月半ばに差し掛かった日のこと。

 この日も、クーラーを利かせて昼間からベッドの上で寝転んで本を読んで自由な時間を謳歌していた僕だけど、ふと鳴り響いたインターホンとともにその自由は消し飛ばされた。


「はい、どちら様……って」

 玄関を開けて来訪客の姿を確認すると、見覚えのあるこじんまりとした子が一名。

「あ、どうもっす」

 彼女は両肩にリュックを背負い、それを両手で抱え白い歯を浮かべニカりと笑ってみせた。


「……えっと、今日は僕に用事、なの?」

「はいっす。初音ちゃんには頼めない用事っすからね」

「……その心は」

「…………。いやー、それは実際に行ってからのお楽しみっすかねー」


 僕が用事を尋ねてみると、途端に浦佐はにこやかな表情を崩さないまま、くいっと僕から視線を逃がした。……完全に怪しい。何か裏がある。


「ごめん僕今日本読むっていう大事な用事があるから他を当たって」

 嫌な予感がしたので僕は玄関の扉を閉めようとしたのだけど、

「ああっ、待ってくださいっすよー、言います、何頼むか言いますから閉めないでくださいっすー」


 浦佐は両手をドアノブに、両足をドアと玄関の隙間に投げだして、なんとか僕を呼び止めようとする。仕方ないので、話を聞くと、


「実は、今日これからゲーム機本体と新しいモニター買うんすけど、荷物運びお願いしたくて……」


「……やっぱり家で本読んでていい?」

「あっ、逃げないでくださいっすよー、この夏のお願いっすから、アイス奢るっすからー」


 ……アイスで釣られるほど、僕は甘くない。

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