⑥
「さて、まずは自己紹介をしましょう」
僕のベッドに座った天使はそう言った。
その言葉に、そう言えばまだ自己紹介を済ませていなかったと思い出す。これから先も天使と呼んでいたらいろいろと都合も悪いだろう。
僕は勉強机の椅子に座って頷いた。
「わたしの名前はアリス。アリス・エンプティロードです。アリスとお呼びください。朝も言ったように天使です。……あなたは?」
「僕は柳原透。ただの高校生だよ」
「そして変態覇王、と」
「違うよ!」
だからなんだよ、変態覇王って! せめて変態紳士って言って! いや変態じゃないけど!
「改めてよろしくお願いしますね、透さん」
「こちらこそ」
なんとなく握手を求めてみた。
差し出した僕の手を、けれどアリスさんは一瞥すらせずにスルーした。
悲しい気持ちになりながら、僕は手を引っ込める。
「さて透さん。さっそくですけど、本題に入りましょうか」
「……そうだね」
「あれ? どうしたんですか? 元気なさそうですけど」
「別に、どうもしてないよ」
「やだなぁ、握手を無視したくらいで落ち込まないでくださいよ、面倒臭い」
……もうやだ、この天使。慈悲がないよ。
「ま、まあいいや。……それで、パンツの呪いってなんなの?」
僕は本日何度目かもわからないため息を吐き出して、アリスさんに話の先を促した。
パンツの呪いなんて意味のわからない言葉は、どうやったって理解できそうもない。まず字面がふざけているとしか思えない。
未だに悪い冗談や夢であってほしいと思っている自分がいる。
パンツの呪いで死ぬかもしれないだなんて格好がつかなすぎる。
アリスさんはゴホンと咳払いを一つして、それからおもむろに口を開いた。
サファイアのように輝く碧色の瞳が僕を見つめていた。
「今朝も言ったように、これはあなたが禁忌に触れたことで発生した呪いです」
禁忌。それは天使のパンツに触れて、不埒なことをしようとすること。
僕がアリスさんのパンツに触れ、匂いを嗅ごうとしたことが原因で、僕はパンツの呪いにかかったというのだ。恥ずかしい限りだった。
「この呪いの内容というのはですね、【一週間に一度、少女のパンツを見せてもらわなければ、呪いにかかった者は死んでしまう】というものなんです」
「……はい?」
「ですから、一週間に一度――、」
「そうじゃなくて! なんて言ったのかはわかる。だけど意味が……。それどういう意味なの?」
「どういう意味も何も、そのままの意味ですけど?」
馬鹿なのこいつ、みたいな顔で僕を見るアリスさん。
いやいやいや。こっちが言いたいよ……。
なに、そのふざけた内容は。パンツの呪いという言葉だけでもう頭が痛いのに、その上この内容である。もはや頭痛が痛いとか言ってしまうレベルだ。
なんだよ、それ。一週間に一度、女の子のパンツを見せてもらわなければ死ぬってなに。その呪い考えたやつ、頭おかしいでしょ……。
「それ、本当なんだよね?」
「嘘なんてつかないですよ、面倒臭い」
「まじかぁ……。女の子のパンツ見ないと死ぬのか」
頭痛が酷くなることではあるけれど、思ったよりは簡単そうだ。
洗濯物として干してある妹のパンツを見ればいいことだ。馬鹿みたいだけど、助かった。
「すっかり安心してますけど、そんな余裕でいいんですか?」
「だって簡単なことじゃないか」
「……言っておきますけど、洗濯物のパンツを見ればいいとかじゃないですからね?」
「……え?」
「やっぱり、そう思っていたんですね。そんな簡単なわけないじゃないですか」
「そ、そんな」
「条件があるんですよ」
「条件?」
「はい。三つほどありますよ」
み、三つもあるの!?
無駄に細かいな。
「条件って?」
「一つ目。パンツは同世代の少女の物でなければならない」
「……、」
「二つ目。穿いているパンツでなければならない」
「……ん?」
「三つ目。見るではなく、あくまでも見せてもらわなければならない。……以上です」
「……馬鹿じゃん」
本当に馬鹿げている。そんなの無理ゲーだ。難しすぎる。
「あ、四つ目がありました」
「まだあるの?」
「忘れるところでした。危ない、危ない。……四つ目。毎週同じ相手ではいけない。同じ相手は二週間開けないといけないんです」
……無理ゲーどころじゃない。宇宙がひっくり返ったって不可能だ。だってそれは三人以上、パンツを見せてくれる女の子を探さないといけないということだ。
無理だ。できるわけがない。
モテモテハーレム野郎ならいざ知らず、僕のような男にできるはずもない。童貞、舐めるなよ?
「……もうおしまいだ」
希望は潰えた。
僕は童貞のまま死んでいくんだ。悲しいな、悔しいな、泣けてくる。
……いや、待てよ? まだ諦める時じゃない。
僕の敵は呪いだ。相手が呪いなら解呪できるのではないか?
「あのさ、アリスさん」
「なんです?」
「この呪いって、解呪できないの?」
「できますよ」
思わずガッツポーズをしてしまっていた。
やった! まだ希望はあったんだ!
「できるにはできるんですけど」
けれど天使は首を横に振った。
「今は難しいですね」
「どうして?」
「パンツの神様が行方不明だからです」
……パンツの、神様? え、なに。そんな神様いるの?
というか神様って行方不明になるものなのか。
「えっと、パンツの神様って?」
「パンツを司る神様です。パンツに関する仕事をします」
パンツに関する仕事、とは。聞いても理解できそうにないし、理解したくもない。
あえてスルーすることにした。
「あの、えっと。全体的に意味がわからないけれど、その神様じゃないと解呪できないの?」
「そんなことはありません。他にもできる神様はいます」
「な、なら他の神様に頼んでみたりできないの?」
「嫌です」
即答されてしまった。しかも否定ではなく、拒絶の言葉だった。
「な、なんで……、」
「いいですか? 悪いのはあなたです。……ですけど、わたしも原因の発端であったりするんです。限りなく潔白に近いですけど、わたしにもその。〇・〇〇〇〇一%は悪い部分があるというか。わたしがふざけてパンツで輪投げゲームしなければ、わたしのパンツが人間界に落ちることはなかったというか……、」
ちょっと待て。それってだいぶアリスさんにも非があるような……。
というかパンツで輪投げって、変態かよ。痴女じゃん。
「な、なんですかその目は! 変態を見るような視線を向けるな!」
「いや変態じゃないとしても頭おかしいでしょ」
「あなたには言われたくないです! ……し、仕方ないじゃないですか。パンツの神様が行方不明で、パンツ神殿には他に誰もいないし。暇だったんですよ」
パンツ神殿ってなに。
「だからお酒を飲んで……、酔っ払って、その……、」
「痴女行為に走ったと」
「痴女って言うなぁ!」
僕のベッドで暴れだす天使、アリス・エンプティロード(痴女)。ついでに枕を投げつけられた。
やめろって。
一通り暴れたアリスさん……。もういいや、この痴女にさん付けしたくない。
一通り暴れたアリスは、赤くなった顔で、ゴホンと仕切り直すように咳払いをした。
「そ、それでですね。あなたの呪いを解呪するようお願いしたらすべてバレるんです。わたしのしでかしたことも、全部です。だから嫌です」
なるほど……。
アリスの性格がだんだんわかってきたぞ。
「でもなら無視してもよかったんじゃないの? 僕の前に現れないでさ」
僕の疑問に、けれどアリスは首を横に振った。それは選択肢になかったらしい。
「駄目です。無視して、もしもあなたが死んでしまったら、死因が他の神様にバレます。そうなるとパンツの神様に問い合わせがくるでしょう。なにせ報告しなければいけないのにしてないんだから」
してないのか……。
「でもパンツの神様は行方不明なので連絡は繋がらず……。自然、わたしに視線が向きます。きっとあなたの死因にわたしが関係したとバレるでしょう。嘘を司る神様もいるので」
死ぬのは嫌だけれど、もしそうなったとしたら、自業自得であるような気がする。僕だけかな?
「そしてパンツの神様が行方不明であると報告しなかったこともバレます」
やばい、どんどん擁護できなくなってきた。ただの職務怠慢では?
「わたしは神のお傍付きから外されて、下手したら天使でもなくなってしまう。それは困るんです!」
「困るって、君が報告をしなかったのが悪いんでしょ?」
「それを言ったら主神様が一番悪いですよ。あ、主神様っていうのは一番偉い神様のことです。……あのジジイがパンツの神様なんて役職作ったのが悪いんです」
どうでもいいけれど、一番偉い神様をジジイ呼ばわりしても問題ないんだろうか。
それこそバレたらヤバイ気がする。大丈夫か、この天使。
「一応聞くけど、どういうこと?」
「いいですか? すべてはあのジジイ……主神様が悪いんですよ!」
そして、アリスは語り始めた。
☆
彼女の話を要約するとこうだ。
まず神様というのは天使の中から本当に優れた者が、主神によって選ばれてつける役職なのだとか。
パンツの神様もそうやって選ばれたらしい。しかも二千年ぶりだったらしい。
最初はパンツの神様などという役職はなかった。ではどうしてそんな神様が生まれたのか。
神様という役職は交代することは滅多にない。交代するとしたらその時は、相当に悪いことをした時。辞退や自らの交代要望は通らない。
つまり、本当に優秀な天使が神に選ばれた時、新たな神を作ることになる。
けれど必要そうな神はなかったのだという。日本には八百万の神という考えがあるけれど、実際に様々な神がいて、主要なものはすでに揃っていると思われたのだ。
けれど、その神に選ばれた天使は、あまりにも優秀過ぎた。神にしないのはもったいないと、そう言ったのは主神だった。
そこで主神が考えに考えた結果……ではなく。酒に酔って勢いでパンツの神様を生み出したらしい。
ついでに「パンツの呪いって面白そうじゃね?」と他の神様の反対を押し切って、パンツの呪いもまた誕生したのである。人騒がせジジイかよ。
パンツの神様となった天使は辞めることも叶わず、絶望に染まった顔をしていたらしい。あたりまえだ。
そしてアリスがその神様の傍付きになった。
なったはいいのだが、特に仕事はなく、さらにはパンツの神様は引きこもってしまった。アリスはどうしようもなくて、パンツの神殿内で一人暇つぶししながら過ごしていたとか。
そんなある日。神様の部屋を訪れたアリスは、その部屋の鍵が開いていることに気がついた。
中に入ってみると、そこには置き手紙があった。
置き手紙には探さないでくださいとあった。
アリスは慌てた。
彼女が気ままに遊んでいるうちに主が消えた。それがバレたら大変なことになる。
傍付きでありながら主の失踪を許してしまった。しかも遊んでいて。絶対に怒られる。
そう思った彼女は、報告はせずに主を探し始めた。
来る日も来る日も探し続け、けれど見つからず……。やがてアリスは気がついた。
あれ? これって言わなければ行方不明のままでもバレないんじゃね?
仕事もないし、アリス以外に神殿内に天使はいない。
ならば黙っていればいい。そう思い、アリスはいつもの日常に戻ったという。
それがすべてのあらましだった。
☆
「ということです。わたしはわるくありません」
「いや悪いよ」
確かに主神という神様も悪いだろう。というか頭がおかしいと思う。
けれど、アリスはアリスで悪い。
主を放っておいて遊んでいたとか、職務怠慢もいいところだ。
さらにはバレないんじゃね? と探すのを止めて、遊ぶ日常に戻ったとか。頭がおかしい。
その結果、僕はパンツの呪いにかかってしまった。
「……ま、まあわたしが悪いとか悪くないは置いておいて」
置いとくな。
「そんなわけであなたが呪いにかかってしまった。このままではわたしが天使ではなくなります。だから、そうならないようにあなたを助けにきたんです」
自分の都合だった。
「まさか、そんな理由で呪いにかかってしまうとは……、」
「他人事のように言ってますけど、あなたがパンツの匂いをかごうとしなければここまでにはならなかったんですよ。あなたも悪いんです」
「まあ、そうなんだけどさ」
否定はできないのが辛いところで、けれど全部が僕のせいではないという事実は、少しだけ心を落ち着かせくれた。
それに、良かったこともある。アリスが来てくれたことだ。
彼女は僕を助けに来たのだという。つまり僕だけで解決しなくてもいいということだ。
一人でなら無理ゲーだけれど、協力者がいるのなら多少はなんとかなる気がした。
「この際、原因はどうでもいいよ。とりあえず生き続けられる方法があるなら、それをするよ。僕はまだ死にたくないからね。君が協力してくれるならなんとかなるかもだし」
「そうですね。わたしのために生き続けてください。でも協力はしませんよ」
「はい?」
「いやだって面倒臭いですし。というかわたしもやることがあるので」
「助けに来たって言ったじゃないか!」
「ええ。だから教えてあげたじゃないですか、呪いについて」
「それ助けにきたって言えるの!?」
「もちろん、それだけじゃないですよ。あなたが死なない努力をしている間、わたしはパンツの神様を探します。解呪してもらうために、です。ね、助けるって言えますよね?」
「……いや、まあ。そうなるけど」
なるけども、という感じだった。
一度懸命に探して見つからなかったパンツの神様。それがすぐに見つかるとは思えない。
その間に限界がきてしまうかもしれない。間に合わないかもしれない。
「……不満、みたいですね」
「それはもちろん。死ぬかもしれないんだし、せめてもう少し何か……。頼むよ」
「もう、仕方がないですね」
なんでそんな偉そうなのか。そう思ったけれど、一応はお願いした形になっているから言わないでおいた。
僕って超優しい。
「なら、そうですね……。パンツを見せてくれそうな女の子は見つけてあげます」
「本当に?」
「はい」
それならまだなんとかなりそうな気がした。
でもパンツを見せてくれそう女の子なんて見つけられるのかな。
「心配しなくても大丈夫です。すぐに見つけます。神様は気配を消せるので簡単にはいかないですけど、それくらいはわたしにだってできます。わたしを誰だと思っているんですか」
自己中心的なきらいのあるサボリ魔で悪魔な痴女天使。
……ん? 痴女?
「あ、なるほど。痴女だから痴女を見つけやすいのか」
「……ぶっ殺されたいんですか?」
「わお、天使の台詞じゃない」
恐ろしい天使だ。
「それで、もう文句はないですよね?」
「うん、まあ。それなら一人でやるよりはいいかな」
「決まりですね」
これからの方針は決まった。
問題なのはどうやってパンツを見せてもらうかだ。これだけは自分で考えなければいけない。
どうしたものか。最悪土下座をするしかないかもしれない。
「とりあえず一人目はもう見つかりましたね」
僕が一人で悩んでいると。アリスがそんなことを言った。
「え?」
「いるじゃないですか。ほら、あの人ですよ。さっき学校の前で話をしていた」
「……それって昴のこと?」
「名前は知りませんけど」
「いや、無理だよ。昴は痴女じゃないし」
「そんなことはどうでもいいんです。別に変態じゃなくても問題はないです。大切なのはやり方次第で見せてくれる可能性が高いかどうか、なんですよ」
「……昴がその条件に当てはまる、と。理由は?」
「わからないんですか? 頭悪いですね」
……我慢だ、我慢。
「仕方ありませんね。今回だけは特別に教えてあげます」
欧米人がやるように大袈裟な動作を交えて、アリスはやれやれと言った。当然ながらおっぱいは揺れなかった。彼女の胸は平たい。
僕はおっぱいを指さして鼻で笑った。枕を投げつけられた。
「もう教えてあげませんよ?」
「すみません。教えてください」
土下座をして許しを請うと、アリスは僕の後頭部を踏んづけた。今朝と同じ状況になってしまった。
「よろしい」
許してくれたようだったけれど、彼女は足をどけてくれなかった。ドSで痴女とか笑えない。
「いいですか? わたし、あなたたちの話を聞いていました。あの子は勝負をしたいと言っていましたよね? 負けたほうがなんでも言うことを聞くというルールの」
「……まさか」
嫌な予感がした。
新たな無理難題を言い渡される予感。それはきっとあたる。
現にアリスは頷いた。そうしてから口を開く。
「そうです。勝負をして勝てばいいんです」
天使は――、アリス・エンプティロードはそう言った。
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